第6話 雨宮雫はひんやりしたい


 雨宮さんが今日から俺の家で暮らすことになった。


 掃除時間にそんなあまりにも特大過ぎる爆弾をあっさり投下された俺は帰りのホームルームで連絡事項を話す先生の声を聞き流しながら、割と本気で頭を抱えていた。


(雨宮さんが俺の家で暮らすって何!? 何でいきなり十段ぐらい段階をすっ飛ばしてんの!?)


 婚約関係にあるのだから、同居自体はそこまで違和感のあることではない。カップルが結婚前に同棲するようなものだからな。

 だが、今回はあまりにも展開が急すぎる。婚約関係が発覚したのは昨晩なのに、一日と経たずして同居にまで事態が発展するとかもう非常識を通り越してファンタジーだ。明日起きたら世界中にゾンビが蔓延していても驚かないぐらいに、事が進み過ぎている。


(大体、雨宮さんは嫌じゃないのか!? 好きでも何でもない俺と同居生活だなんて!)


 雨宮さんは感情が顔に出ないから本心を読み取れない。親に言われてしょうがなく、という可能性もゼロとは言えない。

 同じ教室にいる雨宮さんの方に視線をやる。先生からの連絡事項を相変わらずの無表情で聞いていた。これから俺と一緒に暮らすことになるというのに、気にしている様子すらない。


(はぁぁ……勘弁してくれよ……)


 別に雨宮さんとの同居が嫌という訳じゃない。正直言って、かなり嬉しい。だって同居ですよ同居。同居と言えばラブコメの定番。手作り料理にラッキースケベに一緒のベッドで睡眠に――


 ボゴォオオオッ!


「ひ、日野くん? いきなり自分の顔を殴ってどうしたの……?」

「……すいません。ちょっと蚊が止まってて」

「まだ春先なのに……?」

「早起きな蚊だったみたいですアハハ」


 困惑する先生に小粋なジョークを披露する。何とか納得してくれたのか(それとも「こいつにはこれ以上関わらない方が良い」と判断したのか)、先生は気を取り直して連絡事項伝達を再開する。


(雨宮さんにそんないやらしいことを期待するなよ。最低だぞ)


 婚約関係にあるとかないとか、そんなことは関係ない。エッチな展開に憧れるのはいいが、だからといって彼女にそれを期待するのは流石に不味い。彼女は許嫁ではあるが、実際はただのクラスメイト。それも、俺のことを嫌っているクラスメイトだ。嫌いな奴からセクハラ紛いのことをされたら、誰だってトラウマになるに決まってる。


(なるべく失礼のないように努力しよう。……ヤバくても、脱衣所で鉢合わせぐらいで)


 ここでちょっと妥協してしまう自分の情けなさにちょっと涙が出た。



     ★★★



「日野くん。一緒に帰ろう」

「……目的地一緒だしまあそうなるよねー……知ってましたー……」


 帰りのホームルーム後。

 多くのクラスメイト達がまだ教室に残っているというのに、雨宮さんは何の躊躇いもなく俺に声をかけてきた。

 今日一日の流れを顧みると、この後の展開をもう色々と察してしまう。


『一緒に登下校……ッ! 全思春期男子の憧れ……ッ!』

『憎い……憎い……ニクイニクイニクイィィィイイイイイイイイイ』

『暗殺術の通信講座でも受けようかしら……』


「…………」

「どうして泣いているの?」

「平和な学園生活が壊れていく音を聞いたからかな……」

「???」


 果たして俺はこの学校を無事に卒業できるんだろうか。なんかクラスメイトに暗殺者が生まれようとしてるけど。つーか暗殺者の通信講座って何? 日本っていつからそんなバイオレンスな教育を取り扱うようになったの?


「お、一緒に帰るの? いやあ、ラブラブだねえお二人さん。妬けちゃうねえ」

『『『(スチャッ。チキキキキキ……)』』』

「言葉には気をつけろ伊織。俺はまだ死にたくない」

「う、うん、そうだね。今後からかう時はTPOを弁えるようにするよ」

「からかわないという選択肢は?」

「ない☆」


 笑顔のあまりの眩しさに思わず拳を握ってしまった。

 それにしても、クラスメイト全員が一糸乱れずにカッターナイフを取り出して投擲準備に移行するとかこの平和な日本で有り得ちゃダメだろ。統率取れすぎだよお前らはテルモピュライの戦いに臨むスパルタ兵か。

 これ以上ここにいたら本当に命を落としかねない。そう判断した俺は手早く荷物をまとめ、雨宮さんの手を取った。


「っ」

「じゃ、じゃあ俺達は先に帰るから! またな伊織!」

「……巡坂くん、また明日」

「はいはーい。お幸せにー」


 明日まで命があったら絶対に一発ぶん殴る。

 そんな決意を固めながら、俺は教室を飛び出した。



     ★★★



 数多の生徒達から地獄のような殺気を向けられはしたものの、俺はなんとか五体満足で学校から帰路へと移ることに成功していた。


「はぁ……なんかすっげえ疲れた……」


 身体的にというか、主に精神的に疲れた気がする。まさか人から殺意を向けられ続ける一日を過ごすことになるだなんて、昨日までは思いもしなかったですハイ。


「……日野くん」

「ん?」


 一日を振り返って軽く死にたくなっていると、ずっと黙っていた雨宮さんが俺の名を呼んだ。

 反射的に彼女の顔を見てみる。視線の先には、俺に固く握られた彼女の手があった。


「ご、ごめん! 咄嗟だったから……」


 慌てて彼女の手を離す。朝も思ったけど、雨宮さんの手って結構暖かいよな。春先で夕方はまだ少し肌寒いし、もっと握ってたいな――って何考えてんだ俺は。

 まあ、求められた通り手はちゃんと離したし、機嫌を悪くされることは無いだろう――


「……どうして離すの?」


 ――耳を疑った。


「……雨宮さん?」

「どうして手を離すの?」

「ど、どうしてって……俺なんかに手を握られたら迷惑かなって――」

「えい」


 雨宮さんの暖かくも柔らかい両手が俺の右手を包み込んだってちょっと待て。


「あ、あああああ雨宮さん!?」

「これで良し」

「こ、これで良しって……」

「朝もこうして手を握っていた。だから帰りも手を握る。……何かおかしい?」


 上目遣い&可愛らしく首を傾げる雨宮さん。ただでさえ手をいきなり握られて心臓が破裂しそうなのに、ここで更に可愛い追撃を加えてくるのは本当にやめて欲しい。

 俺の反応を見て楽しんでるのか? とてもそういうことをする人には見えないが、でも、それならどうしてこんなことをしてくるのか……くそっ、こんなことならもう少し女心を学んでおくべきだった!


「朝も思ってたけど、日野くんの手、結構大きい」

「え? あ、うん、えと……ま、まあ、俺も男だからね!?」


 興味深そうに俺の手をにぎにぎしてくる雨宮さん。行動の一つ一つが可愛すぎて、何かアクションを起こさないと可愛いの波に押し流されてしまいそうだ。


「そ、そういう雨宮さんの手は意外と暖かいよな! ほら、今握ってるから分かるだろうけど、俺の指先って冷たいからさ!」

「そうなの? 自分では、よく分からない」

「暖かい暖かい! まだ少し肌寒いし、カイロ替わりにずっと握っていたいぐらいだ!」

「カイロ……?」

「え? ……あ」


 女性の手を捕まえてカイロ呼ばわりとかちょっとデリカシーなさすぎるぜ日野大地! どんだけ女性経験ないんだよ! うるせえわ!

 まずい。自分が情けなさ過ぎて軽く錯乱してきた。自分の心の安寧を得るためにも早くフォローを入れなくては。


「な、なーんて、冗談! 大地くんジョーク! いきなりカイロ扱いしちゃってほんとにごめんな!?」

「…………」


 ああああぁぁぁ……黙っちゃった、黙っちゃったよ。今度こそ怒ったかなぁ……?

 悲しみに打ち震え、心の涙が止まらないわたくし日野大地。ダサいを通り越して男失格レベルにまで落ちてしまっている自分自身が情けなくてしょうがない。

 ――そんな自虐を脳内で繰り返していると、突然、雨宮さんが俺の手を自分の頬にピタリと触れさせた。

 当然、そんなことをされたら俺はびっくりしてしまう訳で。


「!?!?!?!?!?!?」

「ん、冷たくて気持ち良い」

「なんっ頬冷た俺の手雨宮さ柔らかどうして状況意味がんんんん!?」


 衝撃が強すぎて言語機能がバグってしまった。

 慌てふためく俺に構わず、雨宮さんは柔らかな頬を俺の無骨な手にすりすりさせる。


「私は体温が高いから、日野くんの手はちょうど良い保冷剤替わりになる」

「ほ、保冷剤……?」

「日野くんが私の手で暖まりたいなら、代わりに私は日野くんの手で涼む。フフッ、お揃い、だね」


 俺の手をすりすりしながら、気持ち良さそうに目を細める雨宮さん。


(……俺もう死んでいいかもしれん)


 彼女のあまりの可愛さに、俺は思わず空を仰ぐのだった。


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