第5話 巡坂伊織は心配したい
「そう……美味しかったんだ……嬉しい……」
心の底から嬉しそうに微笑む雨宮さんの姿に、今度こそ心臓が止まるかと思った。
『美しい……(バタリ)』
『え、衛生兵ー! クラスメイトの中に衛生兵はおりませんかー!』
『クソッ、俺も一度でいいからあんな笑顔を向けられたい……っ!』
『日野大地を許さない会に参加希望の人はこの書類にサインをお願いしますー』
クラスメイト達の怨嗟で俺はハッと我を取り戻した。
(……まさかただ微笑むだけでここまで破壊力があるとは)
普段から表情豊かだったらここまでの威力は望めなかったはず。
無表情がデフォである雨宮さんだからこそのギャップ萌え。しかも、俺のことを嫌っているはずの雨宮さんが、俺に美しい微笑みを見せたというこのシチュエーションのレア度により、その破壊力はまさに地球破壊爆弾にすら匹敵していた。
(って、いかんいかん。見惚れていたらまた指摘されちまう)
伊織にからかわれるのはまだいい。いつものことだからな。でも、雨宮さんに指摘されるのは何というか、その……恥ずかしすぎて心が耐えられない。
誤魔化すように雨宮さんの弁当を口の中にガツガツ掻き込んでいく。そんな俺を他所に、伊織が相変わらずのニコニコ顔で雨宮さんに話しかけ始めた。
「雨宮さん雨宮さん。君って大地の許嫁なんだよね?」
「(こくり)」
「親同士が勝手に決めた婚約だって大地から聞いてるけど、雨宮さんは大地のことをどう思ってるのかな?」
「…………」
箸を止め、沈黙する雨宮さん。気のせいか、表情が険しくなっているように見える。
「ちょっ、伊織。どうしてそんなこと……」
「やー、答えにくいなら無理して答えなくてもいいんだ」
伊織はカラカラと喉を鳴らすと、
「ただ、君が大地との婚約を承諾した理由が知りたくってさ。いやほら、僕って一応は大地の親友な訳じゃない? だから、大地に関係していることは知りたくなっちゃうというか、心配しちゃうというか……ね?」
「…………」
雨宮さんからの返答はない。――が、彼女は助けを求めるようにこちらを見てきた。
「伊織。お前が俺のことを気にかけてくれるのは嬉しいけど、流石に悪趣味だぞ」
「……そうだね。雨宮さん、気を悪くしたならごめん。大地に人生初の春が来たことでちょっと舞い上がっちゃってたみたいだ」
「じ、人生初じゃねえし!」
こんな俺だって昔はモテていたのだ。中学生……小学生……いや、幼稚園児……近所のおばさんとかに……あ、やばい涙出てきた。
雨宮さんはハイライトの薄い瞳で天井を見上げると、俺にしか聞こえないぐらいの声量でポツリと呟いた。
「(…………私の、気持ち……)」
「雨宮さん?」
「……何でもない。お弁当、ありがとう」
「え? あ、うん……」
空になった弁当箱を俺に渡すと、雨宮さんは教室の外へと歩いて行った。トイレにでも行ったんだろうか。……それにしても、食べるの速いな雨宮さん。俺なんかまだ二段目すら食べ切れていないというのに。
「うーん、これは本当に気を悪くさせちゃったかな」
「お前があんな態度を取るなんて珍しいな」
「あはは。悪気は本当にないから、そこだけは安心してほしいな」
「じゃあ何であんなこと聞いたんだよ」
「それはさっき言った通りだよ」
「え?」
「大地のことが心配。――たったそれだけが理由だよ」
いつも通りの裏の読めない笑顔で、伊織は淡々と言った。
★★★
あの後、昼休み終了までに弁当をなんとか食べ終えたのは良かったが、あまりにも満腹になり過ぎて午後の授業はずっと居眠りをしてしまった。幸いにも教師には気づかれなかったが、後で伊織にノートを貸してもらわなくてはなるまい。
授業が終われば、次にやってくるのは掃除時間。
うちの学校の掃除はちょっと特殊で、担当箇所と担当者が毎日入れ替わるシステムを取っている。シャッフル対象はクラス内限定。何でも、毎日同じ人と同じ場所で過ごしていたらマンネリ化するからとか何とか。倦怠期の夫婦かよ。
そんな訳でいつものように教室内の掲示板に張り出された担当割を確認し、今日の掃除場所である体育倉庫へと向かったのだが――
「…………」
「(まさかの雨宮さん!)」
しかもよりによって二人きりである。最近急に世界が俺に厳しくなった気がするんですが、ちょっと泣いてもいいでしょうか。
「…………」
「…………」
昼休みの一件のせいで空気が重い。俺は全く悪くないのに……今度伊織を一発殴らせてもらおう。うん、絶対そうしよう。
「日野くん」
「ひゃひい何でしょうか!?」
「……ひゃひい?」
「い、いきなり声をかけられて驚いただけです気にしないでくださいごめんなさい」
「分かった。気にしない」
いきなりの奇声に対してもクールに対応。彼女なら世界一怖いと言われるお化け屋敷すら涼しい顔で踏破してしまうかもしれない。
「そ、それで、何かな? あ、もしかしてさっさと掃除しろって言いたかったっ? ごめんすぐに始めるから――」
「日野くんは、どう思ってるの?」
「へ?」
質問の意味が分からず、思わず間抜けな声を返してしまう。
「許嫁のこと。日野くんは、あまり嬉しそうじゃなかったから」
「ど、どうって……」
正直、まだ受け入れ切れてはいない。というか、昨日カミングアウトされたばかりなんだ。そんなすぐに受け入れられる訳がない。俺は聞き分けの良い優等生でも何でもない、自分勝手でワガママでちょっとネガティブな凡人なのだから。
でも、そのことを直接ここで伝えたら、雨宮さんはどう思うだろうか。あなたとの婚約をまだ受け入れられていません。だから分かりません――そんな無責任な発言なんて、彼女は求めているのだろうか。
「……怒らないって約束してほしいんだけど」
「うん、約束する」
「いや決めるの早ぇな。ま、まあ、うん。その、なんだ……嬉しい、かな」
「嬉しい?」
「ほ、ほら、雨宮さんって可愛いしみんなの憧れだし! そんな人が許嫁だなんて男冥利に尽きるというか、こんな俺にそんな幸せがあっていいのかというか!」
「……買い被りすぎ。私はあなたが言うような女じゃない」
跳び箱に寄りかかりながら、雨宮さんは言う。
「人と話すのが苦手。笑うのが苦手。私は、人に好かれるような女じゃない」
「…………」
表情の変化は乏しいけど、どこか落ち込んでいるように見えた。
俺のことを嫌っているはずの雨宮さんが、どうしてそんな悩みを俺に吐露してくれるのかは正直分からない。もしかしたら、嫌いな俺を遠ざけるために言ったのかもしれない。
でも、そんなに悲しい顔をされてしまったら、放ってなんて置けない。
「……確かに、雨宮さんはちょっと無口過ぎるな。珍しく喋ったと思ったら言葉足らずだし、喋ったかと思えば毒を孕んでいたりするし。」
「…………」
「無表情ってのも……まあ、褒められるべき点ではないよな。よく人に勘違いされてるっぽいし」
「…………」
雨宮さんは眉を顰める。怒ったか? でも、どうせ嫌われているんだし怒られたって構わない。だから言おう、言葉の続きを。
「でも、俺は好きだよ。雨宮さんのそういうところ。だからもっと自分に自信を持っていいんじゃねえかな」
「っ……」
「ま、まあでも、そう言う俺は自分に自信がないんですけどねアハハー!」
吐いたセリフがあまりにも臭過ぎて最後に照れ隠しを放り込んでしまった。あーくそ、俺って本当に締まらねえなあ!
恥ずかしさのあまり真っ赤になっているであろう顔を雨宮さんから逸らしつつ、気を紛らわせるために持っていた箒で床を掃き始める。はあ、また雨宮さんに失望されちまったかなあ。そりゃそうだよなあ。あんなセリフ、少女漫画のキャラでもそうそう言わないだろうしなあ。
よよよ、と涙を流しつつ、箒を動かす。
「……やっぱり日野くんは優しいね」
「え?」
「何でもない。それより、掃除を早く終わらせよう」
「……?」
雨宮さんが何か言った気がしたんだが……まあ、本人が何でもないと言っているしわざわざ深掘りする必要は無いだろう。余計なことをしてこれ以上雨宮さんに嫌われたくはないしな。
乱雑に置かれていたマットを畳み、ズレていた跳び箱を整え、床に溜まっていた石灰を箒で掃――こうとしたところで、「そういえば」と雨宮さんが話を切り出してきた。
「私、今日から日野くんと暮らすことになっているから」
「へー。……ん?」
箒を動かす手を止め、俺は雨宮さんの方を見る。
「えっと、今なんて?」
「私、今日から日野くんの家で暮らすことになっているから」
涼しい顔の雨宮さんの口からサラッと飛び出したその言葉に、俺は今日一番の眩暈を覚えた。
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