第3話 雨宮雫は一緒に登校したい


 学園一の美少女・雨宮雫さんが実は俺の許嫁だった。

 そんな衝撃的な事実が判明した翌朝、俺はベッドの上で頭を抱えていた。


「今日からどういう顔して学校に通えばいいんだ……」


 言わずもがな、雨宮さんの人気は凄まじい。大規模なファンクラブが作られていたり学園内外問わずに毎日のように告白されていたりと、まさに漫画の世界かと誤認してしまう程の大人気ぶりだ。

 そんな大人気美少女雨宮雫さんとこの俺が婚約関係にあるだなんてことが学校中に知られたらどうなるか……。


「……良くて骨三本……いや、肋骨全部は覚悟するべきか……」


 嫉妬と言うものは時に人を化け物へと変える。雨宮さんが俺に取られたわーぎゃーと嫉妬に狂った彼女の熱狂的なファンが白昼堂々と俺に刃物を突き付けてこないとも限らない。というか、多分カッターナイフぐらいは飛んでくる気がする。


「…………」


 ベッドの上から窓の外をぼんやり眺める。雲一つない清々しい青空だ。どんより曇った俺のメンタルとは正反対。もしかしたら俺の命日を世界が祝ってくれているのかもしれないふざけんな。


「……空はこんなに青いのに、お先は真っ暗♪」


 やけくそ気分で愚痴を零すが、それでも空はむかつくぐらいに晴れ渡ったままだった。



     ★★★



 重い体に鞭を打ち、着替えと弁当の準備を終わらせた後、俺は居間で親父と一緒に食卓を囲んでいた。ちなみに、この家では朝食を俺が作ることになっている。母親は単身赴任で家を空けているし、そもそも親父は家事スキルが壊滅的に欠けているから、消去法で俺が作るしかないのである。


「うん、今日もお前の朝食は美味いな大地。これなら雫ちゃんの舌も満足させられるに違いない!」

「なんか凄い雨宮さんの義父感出してるところ悪いけど、俺はまだこの現実を受け止めきれてないからね」

「あんなに可愛いお嫁さんがもらえているのに、お前はいったい何が不満なんだ?」

「主に説明とか時間とかその他諸々を一切合切無視しやがったあなた様が不満ですかねぇ……!」


 学校帰りの疲れた頭に『雨宮雫が実は許嫁だった』という衝撃の事実を突きつけられたら誰だって混乱してしまうに決まっている。事実、一夜明けたにもかかわらず、俺は未だに頭の整理が追い付いていない。

 親父は鮭の塩焼きを箸で切りながら、


「まあ、その、何だ。要は慣れだよ、慣れ」

「小説家のくせにその語彙力の無さは何なんだよ」

「慣れろ、以上。じゃ、オレは仕事をしてくるから、お前も遅刻しないように気を付けるんだぞ」

「あ、ちょっ!」


 小走りで自室へと向かう親父を引き止めるべく伸ばした手は虚しく空を切った。くそっ、〆切だけじゃなく責任から逃げるのも上手いとか……これだから大人は……しかも逃げるのに夢中で食器とか置きっ放しだし……。


「……はあ。さっさと片付けて学校行こ」


 朝食の残りを一気に掻き込み、皿を重ねてキッチンへ。手早く食器を洗って洗面台へと移動し、歯を磨いたら次は自室へ。ベッドにもたれ掛かるように置かれていた学生鞄を掴み上げ、満を持して玄関へと足を運ぶ。


「いってきまーす」


 靴を履きながら声を上げるが、それに対する返事は無い。親父の部屋が玄関から遠いのもあるだろうが、おそらく執筆に集中しているせいで俺の声が聞こえていないんだろう。だらしない親父だが、執筆への熱意と集中力だけは流石に認めざるを得ない。


「……無理だろうけど、何事もない平和な一日でありますように」


 クソッタレの神にお祈りしつつ、玄関の扉を開く。


「おはよう、日野くん」


 制服姿の雨宮雫が目の前に――


「っ!?」


 ――反射的に扉を閉めてしまった。


「ま、待て待て待て待て。落ち着け……今のは幻覚だ、そうに違いない……」


 頭を抱えて呪詛のように独り言を零しまくる。

 だって、こんなことって有り得ない。あの雨宮さんが俺の家の前にいるだなんて、どう考えても現実的じゃない。いや、昨日は玄関先どころか居間にいたんだけど、それについては今は置いておくことにする。


「…………」


 十回ほど深呼吸をし、再び扉を開く。


「おはよう、日野くん」



 無情にも、雨宮さんはそこにいた。



「…………どうしてここに?」

「学校があるから」


 全然答えになっていない。学校があるから何だというのだ。引きこもりを学校に通わせようとする熱血教師か何かですか?

 自分の言葉足らずさに気づいたのか、雨宮さんは一瞬だけ眉を顰めると、


「一緒に登校するために迎えに来た」

「ヒュッ」


 答えにはなっていたが、代わりに俺の肺から全ての空気が抜け落ちた。

 一緒に登校するために迎えに来た。

 一緒に登校するために迎えに来た?

 一緒に登校するために迎えに来たあ!?


「……えっと、どうして、一緒に登校を……?」

「私はあなたの許嫁だから」

「今まで一度も一緒に登校したことがないのに?」

「日野くんは私と一緒に登校したくないの?」


 そう来たかぁ……!

 一緒に登校したくないのか。そんなの……一緒に登校したいに決まっている。だってあの雨宮さんだぞ? 学園一の人気者、みんなのアイドル雨宮雫さんだぞ? 彼女と一緒に登校することはファンみんなの願いと言っても過言ではない。……俺がファンかと言われれば、口を閉ざすしかないんだけれども、今はそんなことは関係ない。

 問題なのは、展開の落差。昨日まで平凡な日常を送っていたのに、いきなりこんなラブコメみたいな展開が畳みかけてきているんだ。そりゃあまずは拒否反応を起こすに決まっている。そもそも雨宮さんって俺のこと嫌いなんじゃあなかったの? そんな人が何故当たり前のように俺を迎えに来ているの? もしかして新手の嫌がらせか何かなの?


「……一緒に登校してやれよぉ」

「いきなり後ろから話しかけてくんな心臓止まるかと思ったわああああ!」


 振り返ると、廊下の奥から親父が顔を覗かせていた。さっき集中力を褒めたばっかりだってのに、ほんとこのクソ親父は……っ!


「おはようございます、壮也さん」

「おう、おはよう雫ちゃん。大地を迎えに来てくれたのかい?」

「許嫁なので」

「へへっ。いいねえいいねえ初々しいねえ。こんなに可愛い子にここまでしてもらっておいて、一緒に登校するのを渋ったとあっちゃあ男が廃るってもんだねえ(チラッチラッ)」


 こ、コイツ……ッ! 外堀から埋めに来やがった……ッ!


「……わ、分かった分かったよ分かりましたよ! 一緒に登校すりゃあいいんだろ!?」

「フッ……それでこそオレの自慢の息子だ」

「むかつくから照れ臭そうに鼻を掻くのやめろ!」


 今日も元気にうざい親父を叱責するが、それを遮るように雨宮さんが俺の手を握ってきた。


「壮也さん。いってきます」

「おう、いってらっしゃい」

「い、いってきま――って違う!」

「今度はどうしたの?」

「どうしたのって、こ、これ……」


 繋がれた手を顎で指すが、雨宮さんはいつもの無表情を一切崩さぬまま、


「手がどうかしたの?」

「いや、その……えぇ……」

「?」

「……何でもないです」


 俺のことを嫌っているはずの雨宮さんが積極的過ぎて、頭がおかしくなりそうです。



     ★★★



「…………」

「…………」


 絶世の美少女と手を繋ぎながら歩く通学路はまさに地獄のようだった。

 沈黙が痛いから? ――それはある。

 緊張がやばいから? ――それもある。

 でも、一番辛いのは――


『おい、見ろよ。雨宮さんが男と手を繋いでるぜ』

『うっそマジかよ!? あの雨宮さんに彼氏がいたってのか!? しかもあんな冴えない奴が!?』

『処す? 路地裏に誘い込んでみんなで処す?』

『雫お姉さまが男の人と……はうっ』

『許せない許せないゆるせないゆるせないユルセナイユルセナイキャキャキャキャキョキョキョキョ』


 ――周りからの視線である。

 他人から注目されるのは予想していたが、まさかここまで悪意に満ちていようとは。つーか最後の奴に至っては憎悪のあまり人間性を失いかけてるし。嫉妬って怖いなあ(涙目)。


「どうかした?」

「……空が綺麗だなあって」


 君の人気のせいで胃がぶっ壊れそうなんです、とは口が裂けても言えない。


「日野くんは空が好きなの?」

「へ? いや、別に特段好きって訳じゃないけど……暇な時にぼーっと見上げるぐらいはするかなぁ」

「そう……」


 雨宮さんはしばし空を見上げた後、宝石のような瞳で俺を見つめてくると、



「私と空、どっちが綺麗?」



 周囲の殺意が増すのが分かった。


『ああ? 何であんなに仲睦まじげなんだよ……くそっ、むかつくぜぇ……!』

『見せつけやがって……ブブペッ!』

『チキチキチキチキ……(カッターナイフの刃を伸ばす音)』

『キョキョキョキョキョキョキョキョキャキャキャキャ!!!』


 どうやら俺はアルカトラズか何かに来てしまったらしい。


「え、っと……どうして、そんな質問を……?」


 嫉妬に狂う生徒達に冷や汗が止まらなくなりつつも、俺は声を絞り出す。


「気になったから」

「あ、うん……気になったんならしょうがないね……」


 雨宮さんが何を考えているのかマジで分からない。やっぱり俺に嫌がらせがしたくてこんなことをしてくるんだろうか。でも、いくら嫌いだからってあの雨宮さんが家族を巻き込んでまで嫌がらせをしてきたりするものだろうか。


「日野くん?」


 無表情の雨宮さんが俺の顔を覗き込んでくる。……顔色一つ変わっていないのに、どこか期待しているように見えた。


「……雨宮さんの方が綺麗です」

「…………そう」


 短く呟くと、雨宮さんは何事もなかったかのように俺から視線を逸らした。

 ……え、それだけ? こちとら意を決して発言したのに、特に反応なし?


(分からねえ……この人が何を考えてるのか、何がしたいのか、俺には全く分からねえ……っ!)


 結局、学校に着くまで俺達は一言たりとも言葉を交わさなかったが、手はずっと繋いだままだった。


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