エピローグ 下



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 戦国いくさこく ドランバルト。


 広い玉座の間に、身分の上下を分けるための段階きざはしは無い。

 代わって部屋の奥に鎮座するのは、巨大な椅子。華美や優美とはかけ離れた雄壮が、造りの全てに宿っている。天からの光を取り込んだ照明が煌めかせる装飾は、武具の輝きめいて、この威風の玉座を飾っていた。

 しかしてその椅子を呑んでしまうほどの貫禄が、玉座の主にはある。

 大柄、というよりは、巨躯と呼ぶのがふさわしい印象の男性。ただし高い、というわけではない。その身体は、太く、大きく、重い。

 年齢は、40の前後。


 王にして、戦士にして、勇者。


 もうひとりの勇者王――戦王いくさおう。 ガリウス・カール・ドランバルト。


 燃えるような赤髭あかひげ。火のような赤髪をもつの男性が受けている報告は、自国内で発生した一つの事件についてのもの。

 北東の端、アブロックという町で起こった、ダークネスらによる襲撃。

 話を聞く王は、不機嫌そうだ。虫に顔を這われた気の荒い雄牛のように表情を歪めた彼は、大きなため息を吐く。

「まーた喧嘩を売られたか」

 言葉には加熱された剣呑があった。人の肝を果てしなく冷やす、凄みがあった。


「よし買ってやる」


 王が笑ったその顔は、東の果て、ジャポネアに現れるという超敵――〈鬼〉に似ていた。




 学校が、再び始まった。

 下校途中の帰り道。ブックバンドでまとめた教科書。肩に引っ掛けたジャマルは、前方に人の姿を見つける。

 道の端に、フランがいた。誰かを待ってでもいるのか、特になにもない壁沿いに立っている。


「よう」


 ここ最近、なぜか自分を避けている彼女。そのため返事も期待せずに、声だけかけて、通り過ぎていこうとして。


「……まちなさいよ」


 ん。小さな声で返答があり、足を止める。


「しばらくぶりだな。なんだよ」


 向き合えば、フランはこちらを見て、見ようとして、なにかを言おうとして、しかし口をぱくぱくさせてから、視線を斜め下に向けて声を張った。


「かっ、かんちがいしないで欲しいんだけど!」


 何がだよ。思いながら、話を聞いてやる。


「あ、あのとき、あんた……。戦ってくれたじゃない。 、ん、み、……みんなの、ために。その時の、あんたって、ちょっとだけ……かっこよかった、かなって…。

 ちょ、ちょっとだけね!

 思って、だから―――…、」


 つっかえつっかえの少女は、けれど最後の一言にだけは、丁寧な礼の気持ちを込めて――少年を見つめ、思いを伝えた。


 ありがとう……。


 ――ジャマルが返答までに間をおいたのは、相手が意図するところを飲み込んでから発言する、という態度を身に着けたからだ。そして結果、彼がどのように行動したかというと、


「へえ?」


 悪っぽく頬を吊り上げて、にやりと笑うのだった。

 不良のような足取りで、フランとの距離を詰めるジャマル。

 後ずさるフラン。背後の壁に、背中が当たる。

 どん、と、かぶせるように拳を当てて。フランのごく間近まで顔を寄せて、ジャマルは囁いた。


「惚れたか?」


 フランは真っ赤になって、ただ口を開け閉めするだけ。見開いた両目は、すでに少しだけ潤んでいる。そんな彼女の様子を見て、

 ばふぅ、と、ジャマルは吹き出した。

「なぁんてな」

 踵を返して、からからと笑いながら、離れていくジャマル。


「いやだよ、お前みたいなチビ助は。

 女はやっぱりボンキュッボン、だろ。

 もし惚れられるんなら、やっぱりそういうのだろ、そういうの。なっはっは」


 なっはっはっはっはっはっは。


 …………………………………。


 フランは――ひとり取り残された赤毛の少女は。

 顔を赤くし、涙目で小刻みに震えながら――――。

 わりと大きめの石を、無言で拾い上げた。


 いってぇえええええええええっ?!


 遠慮のない一撃に、信じられないといった驚愕の悲鳴が響き渡った。




 戦いが終わった翌日。

 アブロックの町に、一組の男女の姿があった。


 駐衛所近くにある、ヨハンの家。

 彼が――頭を真っ白にして――玄関先で応対しているのは、一人の女性。

 彼女の名前は、マリーヤ。兵士としてこの町に赴任していたころに、ヨハンが一目惚れをした相手だった。

 柔らかい物腰。上品な泣きぼくろ。けれど芯にはつよさのある、髪の長い女性。


 家で報告書を書いていたヨハン。来客があり、応対に出たら、そこにいたのがマリーヤ。

 かれこれ十分ほど、しどろもどろの立ち話を続けているヨハンであった。


 二年。かかって。彼女とは、顔見知りの友人くらいにまでは、距離を詰められたと思っている。

 けれどそれ以上を求めるのならば、勇気を出して飛び越えないといけない一線が、いま、目の前にはあるのだった。

 ま白い頭で会話を続けていたヨハンは、しかしやがて、覚悟を決める。

 いま、ここで振り絞らなければ。

 一体、どこで男を見せるというのか。

 ヨハンは肺腑の底からの意を決して、口を開いた。


「アのッ、!」


 はみ出た声は、180度裏返っていて。

(情けないな!? 僕はっ!)

 内心で自らを激しく叱咤しつつ、咳払いをする。そして――、


「じ、じつは前々から、お誘いしたいと思っていたんですが……。

 こ、こんど、お食事、など、 いっしょに……、つきあって、いただけませんか………」


 脈絡もない、唐突な誘い文句。

 頭は白いし、声は震えて、指も震えた。

 マリーヤは、ちょっとだけびっくりしたように、つぶらな瞳を開いてみせたあと―――、


「はい」


 にっこりと、嬉しそうに笑って、うなずいた。


 日取りについてはまた後日、と約束をして、帰っていくマリーヤを見送るヨハン。

 動悸は未だ、果てしなく早い。

 戦場に立つことの億倍は緊張した。そしてじわじわと身に沁みつつある歓喜を噛み締めると同時、それ以上に我が身の不甲斐なさを省みる。

 己の手の平を見つめながら、思う。

 僕も、もっと、強くならなければ。

 静かに胸に秘めつつ、剣士の青年は――――彼女を家に上げもしなかった自分の配慮の無さにようやく気が付き、凄まじい落ち込みを見せるのだった。




 ナス爺と談笑していたデイブのところに。


「ちょっとデイヴ」

「やあ」


 つかつかと近づいてきたのは、古くからの友人――ジャマルの母親――メリッサだった。


「あんた、お見合いをしなさい」

「えっ、」


 あのね……。


 開口一番、メリッサは唐突に話を始める。


「あの時――黒い怪人に立ち向かったときね。

 あんたがあの子のために体を張ってくれたのは、嬉しかったわ。

 そりゃあ嬉しかった。ほんとにうれしかった。

 涙が出るくらい感動したのよ。赤い世界だったからね、泣けなかったけれど。

 でもね。だめよ。

 あんたもね。そろそろ身を固めなさい。大丈夫。命に変えても、あんたにお似合いの人をちゃんと見つけてあげるから」


 言い募るメリッサと、あまりにもわたわたするデイヴ。

 そこから距離をおいて――つまり止まらないメリッサを追いかけて、それ以上には距離を詰められなかったまま――ジャマルの父親、ナイジェルは思う。

 きみから、それを、彼に言うのは……。頼むから……やめてあげてくれないだろうか――。と。

 けれど、ナイジェルは――気の弱い彼は、その言葉を口に出すことができない。

 縋るようにナス爺を見ると、老人は鼻を鳴らし、肩をすくめるだけ。

 ナイジェルは、勇気を出して声をかけようとして――けれどやっぱりなんにも言えなくて。ただただ、心の中でデイヴに謝罪をするのだった。




 戦いが終わったその日。少しだけ日が陰ってきたアブロックの町は、しかし輝くような忙しさに満ちている。


 シザと対面したヨハンや兵士、冒険者たちが感激の様子を見せている。そんな光景がある、広場の片隅で。

 ふと、ロイドは気がついた。


 あのカルカイカは――、

 もしかしたら、エリスに恋をしたのかもしれないな。

 と。


 何らかの認識――あるいは推測が、胸の内にふと生じ。

 それと同時に…………嫌な気持ちが、うっすらと湧く。

 なんだろう。なんと呼ぶべきなのだろう。このもやもやした気持ちは。――生じたそれについて、思い当たりを探し、類推を積み重ねた彼は、やがて天啓のような理解を身の内に降ろした。


 これはもしかして……、

 嫉妬。だろうか。


 気づいた瞬間、ロイドは震えた。薔薇色の煌めきが脳内に咲き誇った。天にも昇る気持ちとは、こういうことをいうのだろう。


「勇者」


 白く、美しい少女――エリスが近づいてくる。彼女が告げたのは、参考人として、町長がロイドの意見を求めているという話。会議に列席して欲しいとのことだが、構わないか。

 問いかけに、二つ返事でロイドは答えた。


「もちろんだよ。エリス」


「うむ。それでゎ、、うぉうっ ?!」


 ロイドから名前を呼ばれることを極端に嫌がる彼女は、目を剥いて過敏な反応をみせる。

 調子に乗ったように、さらに名前を連呼するロイドに対して、ふなーっ! と威嚇し、憤るエリス。


 そこにあるものが、嫌悪とは対極にあるくすぐったさであるということを、我が身の全てに感じて。


「まったく…………。なんだ、そなたは……。嬉しそうだな……」

 不服そうに文句するエリスに、


「うん」

 心からの笑顔を、ロイドは返した。




 トアイトン村。


 壮年の男が、同じ年頃の女性――彼の妻とともに、冒険者ギルドからの使いを迎えている。

 居間に通し、両親は、訪問者たちの話を聞く。


「――この情報がなければ、大変な被害が出ていたであろうことは――おそらく、間違いがありません」


 一つの村が、救われたという話。村長からの、深い感謝の手紙。


 受け取った両親は、封筒の重みをしっかりと確かめて、頷いて。

 覚悟を決めたように、〈石〉の引き受けを求める。

 ギルドの使いから、丁寧に手渡されたものは、娘――カーラの、心の石。

 二人は手の平を重ね合わせた。包まれているものは――最後に遺された、我が子からの想い。


「……よくやったな。」


 父の両目から、涙は止まりようもなく、流れ。


 母は、泣き崩れながら、なんども、なんども、うなずいている。



 痛みは残り――――、

 けれど、歩いてゆけるだろう。


 人は、人に支えられる。

 たとえ傍にはいなくとも――――沿ってあるのが、人なのだから。







「盟友――」


 戦闘を終わらせた直後。

 彼方にある町の、咲いたような輝きを見つめて、ユーゴーは言う。


「人の光は、綺麗だ」


 パロンは、にっこりと微笑む。


「はい。……とてモ」


 その、愛あるとすら言える、笑顔に。

 薄寒いものを感じて、ルネは一人、己の腕を握りしめ、静かに凍みてくる嫌悪を押し殺していた。




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 〈アブロックの戦い〉 その翌日。


 午後の日差しは雲にかかり、幾分緩やかに辺りに注ぐ。

 ロイドとエリス、シザの三人が、町の北に向かっている。


 アントニウス卿との会談は、前日の内に済ませていた。戦王からも直々に、飯でも食うか、という礼の誘いがあったのだが、今度の楽しみにしておきますと、ロイドが辞退している。


 三人は今、ユーゴーとパロンが残した痕跡を調べるために、歩を進めていた。

 町の北、一キロほど離れた空宙に発見されたのは、微かな、しかしひどく特徴的な魔力の残滓。

 空間それ自体にも、魔力や魂は残留する。

 得られるだけの情報はすべて集める。そののち、ロイドたちは町を出立するつもりだった。


 歩く三人は会話をしている。内容は、ロイドとエリスのこれからについて。


「――まずは、ミスタリカ大陸に向かおうと思うんだ」


 シザに向けて、ロイドが言う。

 これはもともと、予定されていたことであった。今回、一連の事件が発生していなければ、ロイドらはすでに旅上にあっただろう。

 ミスタリカに造立された、〈神殿〉を機能させるために。

 一度訪れる必要があるのだと、エリスもシザに説明する。


「……ってことは、海路で行くわけだよな?」


 シザの問いかけに、ロイドとエリスは頷く。

 かの魔法大陸に向かう空路は、存在しない。高位の魔族が行える、魔界を通じたポータル移動の利用も、現実的な手段ではない。

 後者の移動方法は、ざっくりと言えばレベルによる制限がかかる。

 エリスと、ロイド――正しくはクロイを通せるほどのポータルを開けられる存在は、魔界にもそうはいない。実現の可能性だけを上げるならば、火竜王か、黄龍帝の御手を借りるといったところだろうが、流石に頼むことはできないし、そもそもツテがない。


 よって手段は船旅の一択。

 ちなみにロイドは一人で行くつもりだったが、エリスがいやだと拗ねたので、仲良く二人で向かう予定。


「なあに、きっとイルカやクジラが引くような船があるはずだ」


 エリスは楽観的であった。


「――なあ、二人とも」


 問いかけたのは、シザだった。


「その船旅、俺もついてっていいか?」


 彼は言う。ミスタリカには、自分にとって、知己の勇者がいるのだと。

 〈杖の勇者〉。

 なぁんか馬が合うんだよな。と、シザ。

 久しぶりに顔も見たいし、話もしたい。あと、せっかくだから、あいつのことは俺から二人に紹介したい。


 どうだろうかという伺いに、エリスは是非にと笑顔で答え、ロイドはにっこり笑って、自らの嬉しさを伝える。

 シザもにかっと表情を緩ませ、しかしふと、真面目な顔つきになる。


「ただ、その前に……、」


 ここを発ったら、一度コルミの町に戻りたいのだと、彼は言った。


「……んむ。なにか、残していたか。シザよ」


「いやぁ、二ツ目のスライムのことなんだけどな。引き受けた以上は、


 あぁああああああああああああああああああああああ


 エリスは叫ぶビーバーのような声を上げた。


「――どうした、姫さん」

「じつはごにょごにょ」

「……ああ。盗まれたのか」


「んーぬぅううううううううううううっ、」


 シザに説明をするロイド。煩悶するハムスターの目で、腕を組んで唸っているエリス。


 と。


 がさり。そばにある茂みが揺れた。


『おっす』


 ひょっこりと。

 姿を現したのは、二ツ目の――スライムだった。


『おれスラム。よろしくね』


 よろしく。よろしく。と、お辞儀のような所作をしてみせるスライム。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


 対してエリスは――――ものっすごく、なんとも言いようのない表情をみせている。

 ロイドとシザは、静観している。

 やがてエリスが、口を開く。


「……そなた……。あの時の、スライムだな」

 そうよ。軽く肯定するスライム。

「――なぜいる。ここに」

『あー、ちょっと、なんとなく…………………………。なんとなく、ついてきちゃった。てへぺろ☆』

「・・・・・・・・・・・・・。」


 ……下着は返すよ。


 言って、んべ、と口から出す。

 スライムの、体格に比して大きな舌の上に乗せられているのは、数枚の下着。

 凄まじく複雑そうな顔をして、エリスはそれを受け取る。

 特に湿気ったりなどはしていなかったのが、嫌悪感を顔に出さない、最低限の自制になった。


「……あの町で盗んだものも、全てだ」


『…………』


 エリスの促しに、スライムは再びべろりと口から取り出す。舌の上に乗せられているのは、一枚布でくるまれた、大きな包み。スライムの口径――文字通りの意味で――よりも遥かに大きな梱包の隙間から見えるのは、みっちりと詰められた女性用の下着。


『これ、全部』


「………………信じよう」


 受け取って、エリスはスライムの言を了解する。

 ぺこりとエリスに目礼らしきものを行い、スライムは身体の向きを変えた。


『えーっと、そこの……、眼鏡の……』

「ロイドです。どうぞよろしく」

『あらご丁寧に。こちらこそ。スラムです』

 一礼を示し、スラムを名乗るスライムは、ロイドに問いかけた。


『あのさー…………。


 あの黒い奴――いるじゃん?

 ちょっと……、話……させてもらえる?』


 こくりと頷いて、ロイドは眼鏡を外す。

 しばしのち、ざっ、と彼の表面に現れたのは、黒髪、黒目の――クロイ。


「なんだ」


 低い声で、見下ろしながらスライムに問う。


 スライム――スラムは、おそるおそる――あるいは慎重に間合いを測るように、言葉を溜めてから……、

 ゆっくりと、口を開いた。



『あのさあ…………。

 ………………。


 てっちゃん?』



「あ?」



 唐突に――正面から投げられた問いに対するクロイの反応には。

 背後から、いたずらにかけられた声に惑うような響きが、強く含まれていた。


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