エピローグ

エピローグ 上



 抜けるような青空が、海原うなばらの上に広がっている。


 大洋を疾駆するのは、魔導仕掛けの大帆船。海風を大きく孕んだ複数の横帆おうはんが、力強い速度を船に与えている。

 透明な日差しはまばゆく波間をきらめかせて、航海中の快速帆船クリッパーにエールを送っている。


 その船上、甲板にて。真白い旅装をまとった、一人の美しい少女――――


 エリスは盛大な◯◯◯おろろろろーを、海上に向かって撒き散らしていた。


「おろろろろろろろーーーーーっ」


 お姫様的な輝きを放つ虹色のプリンセスレインボーが、船のへりから水面に向かって描かれる。

 虹のお絵かきろろろろろーを一通り嗜んだのち、エリスは叫ぶ。


「イルカかクジラに引かせる船があってもよいだろうに!」


 泣きながら怒鳴るエリスの側には、水入りのペットボトルを手にしたロイドがいる。


 おろろろろろーーーっ、


「もういい、およぐ!!」


 海に飛び込もうとするエリスを、濡らしたタオルを取り出したロイドが静止する。


「姫さん、ほんとに難儀なんだなぁ……」

 同情を込めて呟くのは、剣の勇者――シザ。


『ゲロインは……うーん……。俺的にはちょっと……むずかしいなぁ……』

 シザの隣――置かれた樽の上で、頭をひねるように体を傾け、ニツ目のスライムも感想を挟んだ。



   ◆ ◆ ◆



 拭われたように、空が明るさを取り戻した。

 被さるように上空にあった薄闇が消えると同時、うっすらと漂っていた影の圧力も消失する。


 シェルターの中に待機していたエリスは、響く報告を耳にする。

 声の調子は、歓声と聞きまごうほどの喜色に満ちていた。


「囚われていた魂すべて! 帰還いたしました!!」


 巻き起こる喝采。悲鳴にも似た喜声。明らかな大歓声が、建物内に反響した。



 町に到着したアントニウス卿の騎士団員たちが、様々な事後対応のために、町長らの助けを借りて活動している。

 町中まちなかに設立された現地司令部。人が忙しく行き交う現場の片隅で、ロイドは諜報員エスピオンの男性から報告を受けている。


 卿と騎士団とは、話を合わせてもらうために調整を取ったということ。

 〈第二波〉用に備えておいた諸々の、撤去が完了したということ。

 それら複数の事項を伝えたあと、諜報員の男性は、力強いプロの、挑みかかるような目で宣言した。


「今現在、〈敵〉の痕跡を捜索中です。

 到着した者たちも加えた全人員によって、ありとあらゆる手法を用いて、町の周囲を調べております。

 ……天に誓って。敵の手がかりは必ず、発見してご覧に入れます」


「――はい。」


 信頼がある。多くの言葉はいらない。思いを込めて、それだけを頷くロイド。男性と視線を交わしながら、彼はそして――いま、伝えるべき感謝を口にした。


「けれどまずは――お礼を。皆さん、ほんとうに、ありがとうございました。本当に――ご苦労さまでした」

 男性は、静かな謙虚を見せて微笑んだ。

「いえ、我々に、苦労などは。……お言葉は、ロイド様方と――皆様に」


 男性は、胸に手のひらを当てて一礼すると、ロイドの元に歩み寄ってきた町の人々に場を譲るため、音もなくその姿を消した。


 副町長が、身なりの良い数人と共に、ロイドに声をかけた。

 丁寧な礼を行い、彼らはロイドへの深い感謝を示す。

 やがて話が、提供された資材への支払い、並びに謝礼について触れられたところで、ロイドは口を挟む。

「いいえ」

 受け取りを拒否し、首を横に振る。


「繰り返しますが、ぼくはお金持ちです。

 この町が、あなた方が。ここに残ることで、生まれるものがあります。

 ぼくには、それがあればいい。

 それだけで、十分です」


 言われ――、副町長らは思う。

 自分たちの町が経済に及ぼしている影響を、けして過小評価はしていない。言う以上は、彼はきっと、何かしらの利益を得ている立場なのだろう。

 だが……そうだとしても――――無欲なことだ。


 人間的に――少々――ちょっと――あれな感じは否めないが。


 けれど素晴らしい人だ。


 感謝だ。大いに。


 ――皆の思いは立ち昇り、アブロックの町全体を煌めかせているようだった。

 それら人々の輝きの下に、ロイドはいるのだった。



 シェルターそばの、記念公園。

 家族を待つ人たちが、シェルターから出てくる姿を探している。声を掛け合い、歩み寄って、抱擁する。そんな光景があちこちにある。


 ジャマルは公園にやってきた。


 辺りに視線を巡らせた彼は、やがて両親を見つける。

 すでにこちらへと歩を進めていた二人に、近づいていく。

 少し照れくさそうに、父と母の前に立ったジャマルは、口を開いた。


「……帰ったよ」


 父は、我が子を抱きしめた。


「……よくやった」


 しばしの抱擁の後、体を離し、まっすぐに見つめ。ぐっ、と、息子の両肩を、強く、思いを込めて握りしめ。

 妻に、場所を譲る。

 母は、先程よりもなお照れたような顔を見せるわが子を、大きな懐で抱きしめる。彼女は、我が子に向けた想いを、天に伝える。


「――天よ。この子の無事に感謝を」

「……天に感謝を」


 おおよそ口にした覚えのない祈りは、しかし自然と口から出てきた。

 母と離れたジャマルは、また一人、知った姿を見つける。

 ナス爺が、近づいてくる。


 ――戦いが終わった後。

 ジャマルは両親よりも先に、ナス爺と再会していた。

 ジャマルはナス爺への感謝を――深い感謝を、伝えようとしていた。

 しかし老人は、カッ、と一喝。「いらんわ」と吐き捨てる。

 いつでも死ねるように覚悟を決めて生きてきた。道を歩いただけのことに、感謝などされるいわれはない。と。


 側に来たナス爺は、並ぶ三人を見つめて、にやり、とだけ笑う。

 両親は――この老人が積み上げてきた美学をより良く知る二人は、ただ笑顔だけを浮かべて彼を見つめた。

 その時に……ジャマルの中に生まれたものは、果たして何であったろう。――おそらくそれは、一人の男の生きざまに対する、憧れであった。


 シェルターから出てくる人々の中に、二人の姿。


 ヨハンと、マットだった。


 師と弟子の間には、絆が一回り深まったような印象がある。

 およそ家族というものを知らないヨハンにとって、道理を蹴り飛ばしてまでマットが示した男気というものが、どれ程に響いたのか。

 本人以外には知るよしもなかろうが……彼の両目は、わずかに赤い。


「先生」


 ジャマルからの、声がかかる。

 ヨハンは顔を向ける。

 そして心配をかけたね、と、いたわるように、微笑もうとしてから――、

 気づく。

 ジャマルの立ち姿、態度に。

 彼の目の奥にある、静かな光に。

 その、違いに。

 ヨハンは驚いたように――いや、心から驚いた彼は、目を大きく開いて。


「ジャマル……。


 ……見違えたね」


 ――言われ、きょとんとして。

 その言の葉が、じわりとしみるまでの時間を、置いてから。


 へへっ


 にっかりと、ジャマルはとても大きな笑顔で、白い歯を見せた。


 三人の師弟は、あるいは兄弟のように集い、短く長い時間のあいだにあったことを共有する。


 開かれているシェルターの扉、現れる人々の列の中に、目立つ体格の男性の姿。


 デイヴが、出てくる。

 皆を見つけた彼は、丸く白い頬を純粋な照れくささの色に赤らめながら、近づいてくる。

 ジャマルの両親は彼に歩み寄り、父は、感謝を。強く示す。母は、かたく、しっかりと、彼を抱きしめる。ナス爺は言う。腑抜けが男を見せたな、と。

 そうして、

 ジャマルは、デイヴのそばに寄る。

 見上げ、目を合わせ。

 まずは言葉をかけようとしてから、思い直して。

 ――慣れないことなので、失礼のないよう、手をズボンで拭いてから。


 握手を求める。


 デイヴは、一瞬だけきょとんとしてから、大きな顔でにっこりと笑い、

 両手で、彼の手を握りしめる。

 ジャマルも、もう片方の手を添えて、心からを、手のひらで伝える。

 そして彼は――口を開いた。


「デイヴ。


 ありがとう。」


 デイヴは人のいい笑顔で、ジャマルをハグする。


 ナス爺は、少し離れた位置で、微笑しながらその様子を見ている。


 両親は、あらゆる全てに感謝の念を注ぎながら、慈愛の目を向けている。


 ヨハンとマットは、剣の師と、兄弟子として。柔らかい眼差しで、見守っている。


 人がつくる和の中に、少年はいて。



 この日こそが。ジャマルにとって、男としての第一歩を踏み出した日となった。



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