save12 プライド



『マット。お前の弟弟子が、ずいぶんと気を吐いてるらしいぞ』


 腕輪によって伝えられるのは、仲間からの気安い連絡。

 ははっ、と笑い声だけ返して、マットは走る。

 彼はいま、ごく少数のアグリーだけを相手にする単独行動をしている。

 耳に装着した装置を通して連絡が入る。

『マット、目的地を変更します。タブで位置情報の確認を』

「了解です」

 返事をし、足を止めてタブレットを手に取る。


 と、


 音もなく――いや、僅か空気を波打たせるような音を発し――彼の目の前に坑口ポータルが出現した。

「!?」

 ずるりと、三体の闇が抜け出してくる。

 上背があり、体格は大きい。醜悪アグリーと似たような顔だが、突き出した下顎が見下すようなせせら笑いをその表情に常在させている。


 〈嘲嗤鬼トロール

 

 オペレーターから急遽伝えられる敵の情報は、しかしマットにとっては学習済みのものだった。

 この一体と、自分のレベルは同じくらい。それが三体――つまりは三倍。

 ――だが。

 マットは剣と、盾を構える。三体の嘲嗤鬼トロールは反応する。名前通りの嘲りを浮かばせて。完全に舐められている。ならばそれでいい。敵からの見下しは、こちらの有利になる要素だ。

 斬りかかる。

 敵の反応は良い。回避後に、見事な――とは微塵も言えないが、連携をとって反撃してくる。マットは二体の攻撃を躱す。その逃げ道に置くように振るわれたパンチを、盾でいなす・・・

 衛気とは違い、剣気に盾を強化する力はない。しかし剣士には〈軽身〉がある。盾によるいなしでは、回避と崩しを両立させるために、身を軽くした際に残る重さを利用する。捨てなければいけない重さを腕の一点に集め、まずは押す。限界まで軽くした体を素早くずらした後、筋力と技力を合わせて、盾で弾くのだ。

 瞬間に行われた一連の流れが描いた光景は、トロールの腕を盾で叩き、その反動を利用して自身の位置を変えつつ相手の体勢を崩した剣士の姿を表す。

 すれ違いざまに飛斬を放つが、警戒しつつの一撃は浅い。追撃はせずに離脱。マットは敵三体を正面に捉える。

 まずは今、ダメージを与えた一体を倒す。

 そして救援を待ってから、二体を叩く。

 ふっ、と息を吐く、と、

『後ろです! マット!』

 中継のため、遅れた注意が耳を打った。

(っ!?)

 背後の気配は二体。前の三体も同時に詰める。横へ――いや前へ! 踏み出そうとした背後に、長物を・・・振りかぶる気配。素手ではない! 間合いが、

 ガスンッ、両の脹脛ふくらはぎを、向こうずねごと斬り抜かれる。鳴らされた骨の音が頭蓋に響き、足から力が抜け膝が落ちる。

『雑魚がァあああああああああああああああああああああっ!!』

 先ほど自分が斬りつけた一体が目の前に。振るおうとした剣は腕を掴まれて止められ、盾で殴りつけようとするも二の腕を押さえられ、

 べきりと、握撃によって両腕の機能を壊される。

 前のめりに崩れ落ち、顔面で土を舐める。

『げははははははははははは!!』

 降り注ぐ嘲笑。それは、増える。五つの大音量が、鳴音めいおんめいて響き渡る。

 打たれながら、マットは我が身を省みる。――これは自分の、力不足が招いた結果であった、と。

 ごきっ 後頭部に突き刺さった異様な音と衝撃によって、その思考は遮られた。

 次の瞬間、マットは赤い世界に立ち尽くしていた。

 見下ろせば、うつ伏せに倒れ臥す自分の体が見える。その――自分の頭部から引き抜かれたダガー状の刃物を、彼は見た。

 世界は赤く、あれはつまり――、

 邪凶器イビルアーム


 凍りつくような怖気が、背筋を駆け上った。

 赤い世界に、体の感覚はない。ゆえに震えたのは、彼の魂。

(死ぬ。)


『『『『『 ぎゃはははははははは!!!!! 』』』』』


 彼の周囲を、五体の闇が踊る。

 燃える炎を囲むように――いや、消えゆく火を嘲笑わらうように。救援が間に合わなければ、ここで自分は、連中の楽しみのために、殺されるのだ。

 なすすべもなく――矜持を汚されながら――ただ、ただ、震える拳を、握りしめながら。

 ――死を、迎えるのか。

 黒い、五つの嘲笑の只中に、剣士――マットは、立ち尽くした。



 家の屋根を蹴って、跳躍。

『!!』

 下方、こちらを見上げるアグリーたちに剣気斬を飛ばす。一太刀で二体、返す刀でもう二体を切り伏せる。

 着地。周囲を警戒するが、敵の気配はない。

「よし……。次は?」

 問いかける。一拍後、オペレーターから返ってきた応答には、いよいよを示す緊張があった。


『ジャマル。 ――〈例の二体・・・・〉が、現れました』


 来たか……。

 全身がざわつく。

 それは怯えにも似て――激高する寸前にも似て――けれど――深呼吸。

 ……大丈夫だ。制御できないような気持ちの乱れは、ない。

 オペレーターが続けて報告をしてくる。兵士級ダークネスの討伐は、順調に進んでいるらしい。敵の〈小隊〉の駆逐も、あとは僅かを残すだけになっていて――、

 ――不自然な沈黙が、装置の向こうに訪れた。

「…………どうした?」

『………………』

 ――言いよどみの気配が、伝わってくる。

 ざわりと、胸が騒ぐ。今度のものは、先のものとは質が違った。それは虫の知らせ――嫌な予感。

「……言ってくれよ」

 ジャマルの促しに、オペレーターは返答する。その声には、慎重に、言葉を選びながら、言い含めるような色があった。

『ジャマル。

 五体の嘲嗤鬼トロールが、近くにいます。

 けして、貴方一人では、勝てません。

 ……また、その五体は、イビルアームを手にしています』

 どくりと、鼓動が鳴る。嫌な予感は、より強く、身の内に響いた。

「……それで?」

「――――マットが、赤い砂時計に、』

 聞き終える間もなくジャマルは地を蹴り建物に駆け上がる。

 高所から周囲を探り、妙に騒がしい一角を見つける。

 飛び降りて、跳ね飛ばされたように駆ける。オペレーターからの警告が耳元に響く。だが、ばりっ、と、噛んだ歯を鳴らして、ジャマルは走った。



 ――マットは。

 じゃり、という足音を、赤い世界の中で聞いた。

 そして――鎧が擦れる音を、地を踏む音に重ねながら、近づいてくる――闇の騎士の姿を、見た。


 狩り倒した雑魚を囲んで騒いでいた、一体のトロールが振り返った。

『……あー?』

 胡乱げな声に、他のトロールも次々に反応する。

 五体は、近づいてきた闇の騎士を取り囲む。向き合うそれぞれの体格はほぼ同じ。一体のトロールが、指を突きつけ、口を開く。

『おい、根暗野郎。その辛気臭いツラで、水を差すんじゃあねえ。今は俺たちのお楽しみの時間なんだよ。カスみてぇな雑魚がくたばるのを、笑いながらお見送り・・・・してやってんだよ』

 げたげたげたげた 同類たちと声を合わせて哄笑する。


 ――騎士は、無言にある。

 瞳もなき、闇に沈んだまなこは、嘲笑う五体を見つめている。

 打ち倒した相手を輪の中に囲んで、愉悦に狂うものたちのかおを。

 ……堕ちた騎士は、そこになにをみるのだろう。

 ――正邪か。

 ……美醜か。


 唸りを上げて振るわれた剣気が、一振りで三体を斬り捌いた。

『!? てっ、』

 肉厚の長剣が、更に一体の頭部を叩き割った。

『狂ったか!!』

 最後の一体は、叫びながら逆袈裟に斬り倒される。

 五体の闇は、渦を巻いて消え失せた。

 赤い視界に映り込んだ――それは瞬間の出来事だった。

 マットはわずかに混乱しながら、こちらに近づいてくる闇の騎士の姿を見つめている。

 騎士は、どこからともなく取り出した、発光するビンを手にしていた。

 振るう。

 ぱしゃりと、倒れている自分の体に、輝く液体が振りかけられる。


 跳ねられたように意識が引き戻される。


 蘇生したマットは、がむしゃらに飛び退すさった。

 ばっ、と距離を取り、体勢も整わぬまま、取ってつけたような構えをとる、が。

 闇の騎士は、全くの反応も、なにを構えることもなく、そこにある。

 その無言が――伝えてくる。

 戦うには、値しない。

 立ち去るならば、見逃す。

 と。

 ぎりっ、引き絞るような音が聞こえた。気づけば噛み締めていた、自分の奥歯が鳴らす音だった。

 ジャマルを通して、情報は得ている。

 駐衛所を襲い、大尉らの魂を奪い、

 そして、なによりも。

 師の魂を、奪った相手。


 マットはかたちも無い構えを解き、ゆっくりと、真っ直ぐに姿勢を戻した。


 駆け込んできた足音を聞く。

 視線を向ければ、ジャマルがいた。

 彼は気忙しく、立つ自分と、その場にいる闇の騎士に目を向けている。

 マットは、装置ギアを通してオペレーターに問いを発した。

 ――返された答えは、彼が望んでいたものだった。

 ……無論、許可・・が返ってきたわけではない。

 マットは、ジャマルに顔を向けると、視線で伝えた。

 ただ、自分の赤心を乗せて。

 そして、

 闇の騎士に、向かい合う。

 これは――、

 我を通してでも、俺がやらなければいけない戦いだ。

 小盾と、長剣を構える。


「俺は――剣士ヨハンの一番弟子、マットだ」


 ぴく、と、闇の騎士が反応する。

 対面する剣士の構えに、誰かを重ねたか。

 騎士は下げていた剣と盾を、ず、と構える。

 ――いや、構えではない。

 それは決闘者に対する、礼。

 盾を掲げる。不死の騎士団の紋章の入ったそれを、自らを名乗るように。

 そして斜めにした剣の背を、盾に重ねるようにして。

 尋常の勝負を、求める。


 二者は 空隙くうげきを纏って――――――――――


 交錯。

 迸るような水音は、マットの首から放たれた。

 即死クリティカルの一撃を受け、青いライフが散る音だった。

 剣士は倒れ、その魂は奪われる。

 伏せた姿に―― 一礼を行い。

 闇の騎士は、ジャマルを……見た。



 構えずのその姿が、対面にある。マットが理解した通りに、ジャマルも相手の意を解した。

 師も、兄弟子も、討ち取られた。

 頭蓋に響くのは、自らの歯ぎしりの音。

 けれど、彼は構えない。

 先生の、弟子の誇りは、マットが示してくれた。

 俺は、俺にできることをやるんだ。

 心中に定め、彼が闇の騎士を見る目には、しかし炎が燃えていた。

「死ぬほど口惜しい」

 口を衝いて、声が出ていた。

「絶対に、いつか、お前を倒せるくらいに、俺は強くなるぞ」

 少年の――剣士の。啖呵を聞いた、闇の騎士の気配がふと揺らぐ。

 人の――近い感覚を上げるならば、それは微笑だろうか。

 そして――、

 爆ぜたように、闇の騎士は振り返った。

「…………ああ、そうだよ……。

 お前の相手は――。

 俺なんかじゃ、ない」


 大剣を背負った偉丈夫の姿が、そこにあった。

 勇者シザ。

 彼がこの場に、現れていた。


 シザは、闇の騎士を視界に捉え、またその場にいる少年剣士の――彼の目を見る。

 腹に火を呑んだ獅子の瞳。

 理解し――彼に向き合う。


「……預かるぜ。 名前は?」


「ジャマル」

 答える。

 頷いて、剣の勇者は、どん。と、自らの胸に拳を当てる。

 ジャマルも、こみ上げるものを奥歯に噛み締め、

 どんっ。と、胸に拳を。

 にっと笑って、勇者シザは、闇の騎士に向き直り、近づいていく。

 闇の騎士の全身から、隠されぬ喜びが発される。

「場所を移そうぜ」

 勇者の促しに無言で答え、二つの足音は歩き去ってゆく。

 その背中が見えなくなるまで、ジャマルは彼らを見送った。



   ◇ ◇ ◇



 マットの身体を担ぎ、ジャマルはシェルターに向かっている。

 走る彼に、通信装置ヘッドセットを通して連絡が入る。

 伝えられるのは、敵の九割以上を倒したという報せ。残る数は、この町の戦力だけで対応できる幾らかと、

 二体の、強敵のみ。

 ジャマルの目に力が入る。

 先ほど遭遇した闇の騎士には、先生と、マットを。黒野郎には、デイヴを。

 奪われた事実が、刻まれた胸に、再び蘇る。

 眼差しを険しくさせながら、しかし前を向いて、ジャマルは走る。



   ◇ ◇ ◇



 角錐状の角を頭部に尖らせ、黒の怪人が悠々と歩く。

 目指すのは、匂いの先。

 美しい白が、薫る先。

 人型の闇は、沸き立つ気分を抱え、く。

 待っていろ。

 あの魂は、自分に相応しい白だ。

 俺が取り込むに……。いや。並ばせるのに。

 ふさわしい。あれは、美しい白だ。


 薄く吊り上げた頬を不気味に歪め、闇の男は笑いながら雄歩する。



   ◇ ◇ ◇



 シェルターの中で待機していたエリスは、近づいてくる悪寒を感じて顔を上げた。

 プレッシャー。肌をひりつかせる、黒い波動。

 エリスは静かに足を踏み出す。

「――客が来たようだ」

 周囲に伝え、開けられた扉から、外に出た。



 腕組みをして、しばし。

 戦場の風が吹く外に待ち受けていたエリスのもとに。


『ハア・・・・・・・』


 喜び、あるいは、感嘆のようなため息が、太く響いてきた。

 黒の怪人が、そこにいた。

 カルカイカ――その名を名乗った、ダークネス。


 白と黒は、向かい合った。


 カルカイカが、奇形の喜びを顔面にみなぎらせて、口を開く。


『エリス』


 ざわりと、全身に走った怖気を、少女は歯を噛み締めてこらえる。


『エリス。

 お前は、白だ。

 汚れのない、完璧な白だ。

 完璧な男の隣には、完璧な女が並ぶべき。

 それは白であるべきだ。

 エリス。

 お前は、俺が隣に並べるにふさわしい、完璧な、女だ』


 熱のこもったその語りで、エリスはカルカイカというを理解する。

 口説かれているとも、分かった。


 が、


 遠慮がちに、今の気分を、答えてやる義理もないだろう。


『お前は・・・・いい。

 うつくしい・・・白だ』


 陶酔に酔うような黒の怪人の語りに、エリスは言葉を挟んだ。


「カルカイカとやら・・・


 ぴく、黒の怪人の表情がる。


「その口を……閉じよ。

 貴様の賛辞は、わらわへの侮辱だ」


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』


 巨大な両眼を、更に見開き。こちらを見据え、沈黙する闇の男。

 隔絶の意思は、確かに伝わったようだ。

 ぎりぃっと拳が固められ、黒い瞳孔が酷くざわめき、開けられたその口が、怨嗟をこぼした。


売女ばいたが・・・』


「ふっ、」


 吐き出されたのは笑声。しかし凄みが響く。

 エリスも真剣な剣呑をその目に宿らせ、引き攣らせた頬で笑みを浮かべた。



   ◇ ◇ ◇



 昨夜行われた防衛戦は、シェルター周囲の建物に、けして軽くない傷跡を残していた。

 損壊、あるいは倒壊した家々が数件。焼けてしまった店もある。

 それら形を変えた建物の影に――ジャマルがいた。

 マットの体を背負い、この場にやってきた彼は、白と黒の対峙を目撃していた。二者が遭遇した、その最初から。

 そして今、ジャマルは。

 黒の怪人を――カルカイカを、理解した。


 ああ、あいつ……。

 、なんだなあ…。


 奇妙に達観した、感慨であった。


 視線を移す。

 エリスという少女がいる。彼女が周囲に気を使っていること――それもまた、ジャマルには分かった。


 戦えば、きっといい勝負をするのだろう。

 あいつも強い。……女のくせに。

 けど、

 近くには、まだ形を残している記念公園がある。また彼女の背後には、シェルターが、ある。

 だけではない。ここで戦闘が始まれば、町が壊れる。


 あのカルカイカ。本気になったら、どれだけの破壊を振りまくものか。

 ――ここは小さい町だ。

 あとには瓦礫しか残らないことも考えられる。

 ――この町は、小さい。

 だけど……、

 父さんと、母さんが。大人たちが。

 造った町だ。


 ――守るために。

 ジャマルは、自分にできることを考える。

 やがて、一つの策を思いつき、

 彼は、行動を開始した。


 マットの身体を付近の建物に置いて。オペレーターに回収を頼んで。

 そして、いちど大きく呼吸をしてから、

 ジャマルは、カルカイカに近づいていく。

 歩み寄りながら、剣気を溜めて、

 すぱんっ、と。振るう長剣。飛ばした剣気を、黒の顔面に叩きつける。


 激しさが巨大な眼付きとなって、刃音すら立てて睨まれる。

 眼球だけに火のような形相を表す視線を受け止めて、

 ジャマルは、軽快な声をかけた。


「よう。振られ男」


 殺意を凝固させた拳が振るわれた。

 その一撃によって、ジャマルの立っていた地面が粉砕される。

 けれどジャマルは、白い少女――エリスに抱えられていた。

 彼女は批難めいた叱責を放ち、鋭く問いただす。

「そなたなにをっ、」

 対して、ジャマルは伝える。自らの考え――策を。

 エリスは、一瞬の逡巡をみせるが、

「っ」

 ジャマルを抱えたまま、町の外に向かって駆け出した。

 カルカイカは追ってくる。

 一瞬を駆け抜け、町を囲む大壁を飛び越えるエリス。

 壁をぶち破るカルカイカ。


 あれくらいはまあ――許してもらおう。


 吹き飛んだ破片と猛追する黒の怪人を眺めながら、ジャマルは割と呑気する。

 やがて町から十分な距離をとったところで、ジャマルは地に下ろしてもらう。

 それを打ち砕かんと拳を固め、猛然と迫るカルカイカ。

 は、しかし――、

 ぴくりと反応し、視線の向きを変えた。


 エリスが、静かな目で、カルカイカを見ていた。


 勿体をつけるように、速度を落として。

 カルカイカは、足を止めた。


 ――その様子を見て……、


 ジャマルは、内心で笑った。

 あざけったのではない。

 いや、ある意味では、そうだが。

 つまりそれは、自嘲であった。


 カルカイカが、このエリスの反撃を警戒して、足を止めたのではないことが。

 はっきりと――嫌になるくらいくっきりと――ジャマルには分かった。

 みっともない――かっこ悪い――クールではないところを、見せたくない。そんな見栄によるものだと、痛いくらいにわかれてしまう。

 だって…………、だもんな。


 ジャマルは、側に立つエリスに小声で尋ねた。

メガネ・・・の奴が言っていた、〈秘密兵器〉は動いてるよな?)

 返事は同じ調子で返ってきた。

(ああ。こちらに向かっている。すぐに来る)

 そっか、とジャマルは声をこぼし、

(じゃあ、あんたは向こうを頼む。まだ、手放しで大丈夫ってわけでもないよな。こっちの時間稼ぎは俺がやる。――まかせてくれよ)


 エリスは無言になり、彼女の内心に様々を考えながら、ジャマルの目を見た。

(……うむ。 ……任せよ。 ――そして任せた)


 黒い怪人に一瞥だけを残し、エリスはその場を去っていった。

 怪人――カルカイカは、向けられた視線に反応することもなく、追うこともなかった。


 おまえなんて眼中にないね。

 気になる相手に対する、そんな恥ずかしいアピールだとわかってしまう。――困ったな。ジャマルはだいぶ苦労して、表情にその苦笑を出さないように、こらえた。


 カルカイカは、邪凶器イビルアームをどこからか取り出して、近寄ってくる。

 ジャマルは、声をかける。


「少し会話をしようぜ」


『話すことなど無い』


 にべもない返答に、ねだるように返す。


「頼むよ。取るに足らない小物の、最後の願いくらい聞いてくれよ。あんたは強い男なんだろ? ケツの穴の小さい野郎じゃあ、ないはずだ」


 ――カルカイカの、足が止まる。


『ハア・・・・・・』


 苛立たしげに、心中の殺意を僅かの間だけおさめるため息。

 それを前にして、微塵も怖じけていない自分がいる。

 妙な気分だ。

 絶対に安全だという確信があるわけでもないのに、奇妙なほどに落ち着いている。不思議な感覚。

 ただ、悪い気分ではない。


『黒がほざくな。貴様らが白の言葉で話すだけでも、それは――』


 たぶん、こいつが言う黒は、俺の肌の色なんだろう。

 なんとはなしに、理解できた。

 ただどうしてそんなものを見下したがるのか、こればっかりはさっぱり理解できないが、今のジャマルに、やはり恐怖はない。

 怒りも、ない。

 まだまだ大人になりきれない、この黒い坊やを、愛してくれる両親がいる。

 自分という存在が、確かにそこにあるという、安心感がある。

 愛と誇りが、胸にある。その、晴れ渡った空のように大きなぬくもりは、少年に、敢然と、折れずに真っ直ぐ伸びる背筋を、与えていた。


 カルカイカに、僅か、苛立ちが。

 平常な様子で、この自分の言葉を受け入れている黒が、目の前にいる。

 この――偉大な男である自分こそを、矮小と貶めるような、迷いのない顔に、先程の怒りとは種を変える、殺意が募りだす。

 顔面に、百の刃物を突き刺すべく、カルカイカが短剣の柄を握りしめたところに――。


 男が、来た。


 黒髪、黒目。黒い革鎧を身に着けた、黒い男。

(こいつ――――、強いな)

 ジャマルは、この、けして背の高くない、少年のようにも見える黒髪の男の強さを、ひと目見て理解する。


 カルカイカの横を抜け、ジャマルの隣まで来た男は、立ち止まる。


「クロイだ」


 手短な自己紹介は、重い声。


退いてろ」


 素っ気もない彼の態度に対して、ジャマルは肩をすくめて言った。


「あいつは俺が吠え面かかせてやろうと思っていたけど、俺よりもあんたのほうがちょっとばかり強そうだ。強いやつを俺は尊敬する。だから、あいつのことはしょうがないからあんたに譲るよ」


 はっ。太く、穏やかに。クロイと名乗った男は笑った。


「吠えやがる」と、好ましく。


 一方で、カルカイカは静かにいる。

 静かに、れている。

 握っていた邪凶器が、力を込められすぎて、砕けて落ちた。


 高まっていくプレッシャーを感じながら、ジャマルはクロイに問うた。


「なあ、クロイ。――見ていても、いいか」


 …………。

 即座には、返事を返さないクロイ。


 ――今頃は、剣の勇者と闇の騎士の戦いも、始まっていることだろう。

 剣士として、見るべきならば。絶対にそちらの方の戦いだ。

 ただ、

 これまでの自分に、区切りをつけるためには。

 こちらの戦いを、見届けないと駄目だ。そんな確信が、ジャマルにはあった。


 やがて、クロイが口を開く。


「……けつは持たんぞ」

「ああ。」


 好きにしろ。


 言い捨てるようにして――ただし不思議な愛想のある響きを残して――クロイはカルカイカに歩み寄っていく。


 黒と黒が、対峙した。


 ジャマルは、しっかと立ち、対立する二人の戦いを、僅かも見逃すまいと。その両目を、大きく開けるのだった。




 ――そのそばで、誰に知られることもなく。

 もう一つの小さな影も、同じように、彼らに視線を向けていた。

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