第五章 アブロックの戦い

save11 業の火は美


 空は急激に暗くなった。

 重く立ち込めた雲が、太陽を隠したかのごとき光量。

 けれど、灰色が被されたような青空に、雲はない。

 辺りの色を変えたのは、天から注がれる光の、明度が下がったような暗さだった。


 町の各地に、坑口ポータルが開く。

 ぞろぞろと、闇の軍勢が現れる。

 ダークネスたちの気分は高揚している。しばらくのお預けを経てからの、再びの食事の時間。

 そしてこのおかわり・・・・は、前よりも簡単に頂ける・・・ご馳走だ。

 これから始まるのはボーナスタイム。狩りの時間。お楽しみの時間だ。


 一体の威張り頭は、しかし気づく。

 町民たちは、無駄な抵抗を試みることにしたようだ。

 人間の匂い――かぐわしい恐怖の匂いが立て籠もっているのは、急造されたらしい防御陣地。

 これが、どうも町のあちこちに散らばっているらしい。

 涙ぐましい努力をあざ笑いながら、考える。

 これは、各個撃破を狙うような作戦だろうか。

 だが町にあった戦力は、援軍も含めてほとんど全て平らげたはずだ。

 残っているのは、例の避難所を守っていた冒険者たちだけ。それも、片手で数えられるくらいにはなっていたはず。


 では、さて……。

 ある程度の手下アグリー共は引き連れていく必要がある。が、あまりに多くのアグリーを率いれば、自分の取り分が少なくなる。

 また、自身の能力が及ぶ範囲――最大数も考慮すべきだ。

 付近にいたもう一体のご同類プラウドヘッズを、ちらと見る。

 向こうもどうやら、同じようなことを考えているらしい。

 ご同類はアグリーたちに声をかけると、幾らかを引き連れて、さっさとこの場を離れていった。

 ――ふぅん。確かに。あれだけの手駒共がいれば、仮に襲われたとしても、自分だけは必ず逃げられるだろう。

 そして全体を見れば、たった1パーティー程度の冒険者たちが、太刀打ちできる戦力ではない。いずれどこかで食われて消える程度の相手だ。

 ならば動かないだけ時間の無駄。

 威張り頭は号を発し、素早く反応した数十を自分の能力で囲い込む。反応できなかったトロ臭い連中には散れと指示し、

 さあて、と。

 舌なめずりをして、目の前にある防御陣地に向き直った。



 狂乱狂喜したアグリーたちが、建物に施された補強を引き剥がしている。

 厳重に裏打ちもされていたが、細く捻れた黒槍を何度も突き込み、脆くなった部分に体当たり。木の割れる音が、甲高く響くようになってきた。じきに板も割れるだろう。

 周囲を警戒しつつ、威張り頭は腕を組んで、手下どもの作業を見守っている。

 威張り頭プラウドヘッズが持つ、能力の一つ。

 それが配下に入れたアグリーへの、強化バフ

 元が大したことのない連中にとっては、かなりの底上げが得られる恩恵だ。

 また、自分が魂を食って強くなれば、それは連中にも還元される。


 バギリと一際大きな音がして、侵入口が開く。


 ――よしよし。

 数体のアグリーを先行させて、自分もあとに続く。 

 薄暗い室内の奥には、ひと塊になって、頼りない槍を突き出している女や老人の姿がある。

 隠しきれない恐怖が、そこにある。

 ああ……。

 うっとりと、威張り頭は目を細める。

 進み出ていく。

 最初の一齧ひとかじりは、自分のものだ。

 手下連中にも利のあること――自分にとっては大義名分――美味しい、一太刀を得るための。

 手にした黒槍を、ぶんと振る。先端は、刀身の長い刃物状になっている。

 それだけで、人間どもが構える槍は切り飛ばされ、あるいは弾き飛ばされ床を鳴らす。

 そうして――、

 狂声と共に、威張り頭は人間の群れに黒薙刀を叩き込んだ。

 横一文字の一振りが、五人以上をまとめて切り伏せる。迸る青ライフ。全てが致命傷。倒れ、抜け出す魂を見て、悲鳴を上げる人間ども。

 ああ、たのしい。そしてこの――魂は旨い。

 恍惚としながら、更に一振り、二振り。

 その場にいた人間どもの、半分ほどを平らげる。

 さて――この辺りだ。

 背後に膨れ上がっている気配に、考慮をしてやる。これ以上だと、反発が来るだろう。

 威張り頭は踵を返す。手下連中の方に向かいながら、やれ、と腕をふる。

 歓喜と、逸楽いつらくと、憤慨ふんがいも混じった、絶唱。

 襲いかかる、津波のような黒に――これは単純に、数の恐ろしさだろう。数倍の悲鳴を、人間どもは上げている。

 踊り込んで、串刺しにする。髪を掴んで、逃さないようにしてから、背中に槍を突き立てる。そんな宴の様子を、手下連中と同じにして、ゲラゲラ嗤いながら見ていた威張り頭は、


「よう」


 !?

 後ろから掛けられた声に、振り向いた。

 大剣をかついだ男が一人。そこにいた。

 やばい!

 威張り頭の生存本能が、最大限に悲鳴を上げる。

 こいつはやばい!

 逃げっ、


 神速の剣技が、すべての闇を斬り捌いた。


 ――部屋の奥には、涙を流して蹲る人たちが、数人。

「遅れて済まん」侘びつつ室内に入る。魂が戻った人たちに対して、範囲用の気付け薬を使用し、気つけを行なうシザ。

 目を覚ました人たちに向かって、シザは声をかける。


「苦労をかけるが、この調子で頼む」と。


 剣の勇者の言葉を聞いた人たち。

 今は助かった。けれど、次、また目覚められる保証はない。たった今味わった恐怖に、身体は震えている。怖気づきそうになる。

 けれど、


「「「はいっ!」」」


 皆は、勇気を振り絞る。

 恐怖は紛れもなかったが、懸命にこたえた。

 現場のリーダーが、指示を出す。

 荒事など経験したこともないような、好々爺然とした老人。けれど瞳の奥の光は強い。それはこの場の誰も彼もが。奪われたものを取り返すため。大切なものを守るために。

 壊れた陣地を離れるための移動を開始する。次の陣地への案内は、映面板タブレットを通して、ロイドさんの部下の人が行なってくれる。

 囮役の人々は、恐怖を抱えながら、それでも勇敢に、自らの役割を果たすのだった。



   ◇ ◇ ◇



 建物の屋上に、ロイドがいる。

 彼は町を、見渡している。

 ダークネスたちは特に違和感もなく、暴れているようだ。


 うん。


 まずは現状に満足する。

 動的なものの流れを生み出すためには、攻め手の士気も高く保たれている必要がある。

 故に――攻め手を調子に乗らせておくために――狩り手の存在は秘匿されるはずと読んだ。

 加えて、強敵の姿も、いまは無い。

 である以上、中途半端なタイミングで投入されることもないはずだ。

 こちらも、ひとまずは読みどおりであったことに、よかったと思う。


 彼――――パロン・・・は。


 指揮者Conductorである彼は、こちらの策を見抜いた上で、笑いながらこれを見守っているのだろう。

 エリスとは違い、ロイドはさほどの不快も感じない。

 付き合わせてもらおう。描かれる未来のための物語に。人が描く、物語に。

 屋上から飛び降りて、地に立ち。

 ロイドは、走る。



   ◇ ◇ ◇



 建物に押し寄せてくるアグリーを、抵抗者たちが押し留めている。

 防御のために貼り付けられた木材の隙間から、ゲラゲラ笑う顔と目玉が覗く。

 がすんっ、と、それに向けて槍を突きこむ。

 うおおおおおおおおおおおおおおっ!!

 室内に籠もり、抵抗を続ける人々は熱量を込めた雄叫びを上げる。

 恐怖を怒りに変えて、必死の抵抗を続ける。



 中央広場。

 丸太で頑丈に組み上げられた、即席の砦がある。ビルダー的な性質も持つ、ザ・フォレスト謹製である。

 丸太の要塞は、鋼鉄板に囲まれている。

 大いに目立ち、敵を引きつける。そしてやれるだけの敵は、ここでやるのだ。


「補給はたっぷりあるぞー!! がんがんやれー!!」

 現場を指揮する兵士の一人が、檄を飛ばす。

「お金持ち様様だな!」

 同僚の兵士が、下方の敵に向かってクロスボウを撃ち放つ。

 鋼鉄の鏃を具えたボルトがアグリーの頭部を貫いた。倒れたアグリーは黒い渦に飲み込まれ、姿を消す。


 ――お金持ち様の策に則れば、ここは連中にとっては美味しくない餌場のはずだ。

 だが要塞を取り囲み、怒号を上げるアグリーの数は多い。


「顔真っ赤ってやつだな! 黒いけどな!」

「ハッハッ!」

 同僚の言に笑った兵士は、うぉっと、と身を隠す。

 ばすんっ、スリングで投げられた石が、砂嚢を叩いた。

 ……ふう。

 しゃがみこんだついでに、目元を揉む。

 ふと隣を見れば、座り込んで砂嚢にもたれかかった同僚が、タバコに火をつけている。

「――ふぅ……。 うめえな」

「……例の高いやつか」

 ん。

 差し出された箱から一本取り、自分のライターで火を付ける。

 すー…。 ふ……。

「うまいな」

「な。」

 タバコを咥え、そのままの姿勢パッチ座りで、兵士は十秒ほど目を閉じて休んでから、

「よし」と、クロスボウを取って立つ。と――、


「ん……?」


 威張り頭と呼ばれる、ひょろながのダークネスが――あれは、杖――? 掲げて、黒い、魔力の塊のようなものを――浮かばせている。

 プラウドヘッズにも色々いると聞く。

「魔法使いがいるぞ!! アイツを狙え!!」

 タバコを落としながら叫び声で促し、敵の位置を周囲に伝え、兵士はクロスボウを構えるが、

 ひゅごっ、と飛来した石に、顔を反らされる。

「ッ、」

 かわしながらの射撃は、狙いを外す。威張り頭の魔法使いは、完成させた魔法をこちらに向かって解き放つ。黒い魔力の塊が、唸りを上げて飛来する。

「避けろー!」

 バックステップで飛び離れる、が、

 ぽしゅん、と、気の抜ける音を立てて、魔法は砂嚢に吸い込まれた。

「……?」

『……??』

 こっちも困惑しているが、向こうも困惑している。

 砂嚢はパリパリと、表面に黒い電気のようなものを走らせている。

「……高い砂だからだろ」

 隣に立った戦友の言に笑い、兵士はクロスボウの弦を引っ張った。

「まったくお金持ち様様だな!!」

 つがえたボルトを、引き金を引いて撃ち放った。



 どごん、どごん。

 外側から叩きつけられ、振動する壁を見つめながら、部屋の奥に、ひと塊になった人々がいる。

 ただではやられないぞ、という決意を漲らせて、槍を構えて、待ち受けている。


 叩き破られた木材の悲鳴。さしこむ光に、かげが被さる。 


「「「うわああああああああああああああっ!!」」」


 人々が上げた声は、悲鳴ではない。戦うための気勢を吐いて、なだれ込むダークネスたちを迎え撃つ。

 闇の歓声を上げながら、ダークネスたちは押し寄せる。

 勇壮の裏に隠しきれなく存在する、その人の恐怖は、ダークネスたちの興奮にスパイスを利かせる。

 黒槍を構え、槍衾にぶち当たる。

 突き刺し、突き刺され、奪い、打ち倒されながら、前のめりに突っ込んでいく。一体のアグリーが笑いながら跳躍し、複数の槍に串刺しにされる。けれどそれを見た周囲の闇はテンションを上げたように大笑い、そうして更に押し込んでゆき、


『 ギャハハハハハハハハ!!! 』


「ッ、?!」

 人の耳を叩くような、巨大な笑い声が響き渡った。

 こじ開けられた入り口に、大きな体格のダークネスが立っていた。

 180は超えている。腕も足も太く、首も太く。顔はアグリーに似ているが、前方に突き出した下顎が、印象を異ならせている。

 巨漢のダークネスは、再び耳を打つ声で笑いながら、槍衾に突撃した。

 突き刺そうとした鋭鋒を、耐久力で押しのけて、

『ギャハハハハハハハハハハ!!!』

 両腕を振るい、人の石垣を打ち崩す。弾き飛ばされ倒れる人たち。襲いかからんと飛び込んできたアグリーを、巨漢のダークネスははたき落とす。横を抜けようとしたアグリーを、巨大な拳の裏拳で打ち砕く。足元で起き上がろうとした人間に、巨大な足を振り下ろす。ゴキリと鳴らし魂を奪い、しかしアイコンの浮かばぬ人の体を、なお嗤いながら踏みつけている。

 獲物たちを独り占めにした巨漢のダークネスは、叫ぶ人間たちを追い詰め、殴り、踏みつけにして、ゲタゲタゲタと、耳に障る哄笑を響かせた。

 やがて周囲は静かになる。

 暴虐を終えた巨漢のダークネスは、満足気に振り返る。

 視界の中に、アグリーたちはいなくなっていた。


 大剣を担いだ男が、そこにいた。


 ぞん、と迫った刃に、闇の意識は刈り取られた。



   ◇ ◇ ◇



 避難所シェルターにて、待機を続けるエリス。

 町民たちの魂は、順調に戻ってきていると報告されている。

 一人の抜けも出ないように、地下の安置所では管理監督者たちが目を光らせている。


 オペレーターたちは、相変わらずの情報さばきを見せている。

 入ってきた情報を伝える際のタイムラグは、ごく短いものに抑えられている。瞬時に、といかないのは、これは当然のことだろう。


 状況は、当初の想定通りに動いている。

 なんと言うべきか――それは勇者が、この物語・・を描いたのではないか、と錯覚するくらいに、

 ぶるっと、エリスは首を振った。

 ちがう。物語――ではない。

 物語は、もっと、大切で――尊いものだ。

 そのような…………傲慢は、いやだ。


 ふぅ……。と息をつきつつ。

 自分の仕事を間違いなく果たせるように、エリスは気を張り続ける。



   ◇ ◇ ◇



 ジャマルが、町を駆けている。

 彼の目の光には、覚悟がある。

『――その角を右に。三体のアグリーがいます』

「わかった」

 片耳に装着した超小型のヘッドセットから指示を受け、抜身にした長剣を構えて角を曲がる。

 距離の離れた前方、こちらに気づいたアグリーたちが振り返ってくる。だが、

 そこは剣士の間合いだ。

 飛ばした剣気で、三体の首を刎ねるCritical

 ――一連の作業に、難しいことはなにもない。

 走り回って、雑魚を狩る。小間使いとも言えるだろう。

 倒したダークネスたちが、渦に飲まれて姿を消す。

 そして連中から開放された魂が、元の体に向かって飛んでいく。


 ――大切な、仕事だ。


 見送っていたジャマルに、再び連絡が入る。

『ジャマル。六体の、アグリーのみの一団が、陣地に攻撃を仕掛けています。位置情報は転送しました。向かってください』

 余裕だな。と、反射的に出そうになる言葉を飲み込んで、

「わかった」

 ジャマルは、自分の役割を果たすために走る。



 ばきんっ、と、大きな音が聞こえた。

 どこかから調達した工具で入り口を破り、六体のアグリーがいままさに侵入した現場に、ジャマルは到着した。

(野郎ッ!)

 駆け寄り、悲鳴と怒声の響き合う室内に飛び込むと、背を向けた六体に一喝。振り返らせる間もなく四体を倒し、慌てふためく二体を斬り倒す。

 ふぅっ、

 息を吐き。

「……大丈夫か?」

 槍を構えていた白髪交じりの男性が、ほっと息をつき、笑顔を浮かべた。

「ありがとう」

 緊張を握りしめていた他の大人たちも、口々に感謝を示す。その中に、

「あ……」

 知った声が、上がった。

 大人たちに混じって、フランがいた。

 赤毛の、背の低い、生意気そうな少女の顔は――けれど、曇っている。

「お前何をやってるんだよ」

 ジャマルは思わず声をかけた。自分と同年代の連中は、避難組に分けられていたはずだ。

 フランはしばらくの間、無言でうつむき。

「……女のくせに、とか、思ってるんでしょ」

 ん……。ジャマルは口を閉ざす。図星ではあった。ただ、いつもは耳に刺さるほどにとんがった声が、いまは見る影もなく弱々しい。そんな彼女の態度に戸惑ったことも、返答のできない理由だった。

「囮。なんだから。役に立つでしょ」震えを隠し、フランは虚勢を張る。

 ――そして目を伏せながら、彼女は言った。

「……お母さんが、襲われたのよ」

 ピリッと、ジャマルのうなじの毛が逆立った。


『ジャマル』

 通信が入る。

『プラウドヘッズが率いた一団が向かっています。アグリーは30。

 ……戦いますか?』

 

 現場のリーダである白髪交じりの男性にも、通信が入ったようだ。

「……この場所は、私たちが受け持つよ。君には、きみの仕事があるのだろう」

 ここは大丈夫。

 男性は、笑ってみせる。

 他の大人たちも、任せておけと、笑顔を見せる。

 そうだろう。それは……そうだろう。

(ここにいる人らにも、あいつにだって、覚悟はあるんだろう)

 けど。

 ジャマルは自分と向き合うような、芯の通った小声で問う。

「……やっていいんだな?」

『……はい』


 ――ここで戦わないのは、

 男じゃ、ねえ。


「……行きなさいよ」

 フランが声をかけてくる。

「怖くないわよ。

 勇者様が、きっと来てくれるから……」


「その必要もねえよ」


 フランは、顔を上げた。

 少女は、見知った少年の顔に。

 確かに、獅子の面影を見た。

 剣を手に、戸口に向かう彼の背中は――

 あまりにも、大きかった。



 若い嵐が、闇の集団のなかを荒れ狂っている。

 薙ぎ斬っていく。

 最初は調子に乗っていた威張り頭だったが、危機を察し、配下のアグリー全員に突撃を命じると、自分は逃げ出そうとする。

「逃がすかぁっ!」

 アグリーたちの隙間を縫って、最速の突きを、少年剣士は放つ。

 角を曲がろうとしていた、頭部への狙撃・・。ヘッドショットで、威張り頭は即死した。

 ぞん、と、加えられていた強さと硬さの喪失を、残ったアグリーたちは感じた。

 黒肌の少年剣士は、牙を剥くように笑った。

「ウォラァッ!!」

 剣風三連。その場にいたすべてのアグリーが、全滅した。

 勝利の咆哮を高らかに上げ、若獅子は、大きく息をついた。


 ふぅっ、


 わあっ! と、大歓声が、建物の方からジャマルに届いた。

 見れば、入口を守るように、槍を構えた大人たちが外に出ている。

 ――なんのつもりか、フランあいつもいて。

 ジャマルはもう一度息を吐きながら、今のうちに移動を、と声をかけようとして、

『ジャマル! 敵が来ます!』

 切羽の声に重なって、振り向けばこちらに走り寄る影が二体。尻尾のない蜥蜴男リザードマンめいた黒い巨漢たちが迫る。

「オオッ!」

 飛ばした剣気はしかしくうのみを切る。太い手足は見た目通りに力強く、けれど巨体の動きは俊敏であった。

 こいつら、強いぞ。

 2対1。

 ジャマルは覚悟を決めて相対する。

 一閃、

 ニ閃、

「あぁ゛っ!」

 苛立ちの三閃を飛ばす。

 刹那の三拍目、飛斬撃を全てかわした闇の巨漢は、対手を舐めたように嗤う。一体が先行する。目元と突き出た下顎を歪ませて、間合いに入った獲物に向かって、押し潰すような勢い任せの拳を振り上げた。


  相手の一撃は、甘い。


 殴り込まれた左の拳。ジャマルは腕の下をくぐるように、対手の内側――胸元に踏み込む。相手の勢いを利用しつつ、胸部に剣身を滑らせる。押してくる相手の重みで剣を食い込ませつつ、自分の膂力りょりょくも加えて全身で刃を押し込む。して、断つ。

 ぼっ、斬り抜き、すれ違う。口と胸部から黒ライフを撒き散らして転倒する巨体の首に、止めの斬撃を放ち、刎ねるクリティカル

 1対1。

 対等の形は整えた。残った相手に向き直るジャマル。

 敵はすでに、目の前にいた。

『ギャハハハハハハハハハハハハ!!!』

「ぎっ」

 凄まじく耳朶をつ哄笑に、反応が一手遅れる。のしかかってくる相手に対して行えたのは、両手持ちの長剣を押すように、突き出すだけの反応。

 がつりと、地面に押し倒される。

 刀身を黒い拳で掴んで、柄を握るこちらの手の上に、闇色の掌を被せて。加圧が、上方から迫り来る。力比べ。絶対にやってはいけないと、先生からは何度も言われている。それは剣士の詰み。闇色の顔はニヤついている。あえて、ゆっくりと押してくる。 ……てめえ、舐め腐りやがる! 憤激のジャマルは、心中に叫んだ。ざけんなクソが! 俺は足掻くぞ!!


  ――うおおおおおおおおおおお、

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!


 迫る声に、ダークネスは振り返った。


 本持って、めっちゃ振りかぶってる眼鏡がいた。


「“HALFハーフ LIFEライフ”!!」


 ぼごぉおおおおおおおおおんっ!!


『ぐわあああああああああああああああああああああああっ!!』


 半減撃ハーフ・ライフ

 その名の通り、『I'll HALF your LIFE!!(お前のライフを半分にしてやるぜ!)

』という意思を込めて本でぶん殴る学者の必殺技である。

 この強大な物理力をともなった本で殴られた敵は体力を半分失ったも同然であり、まさに一撃必殺フィニッシュ・ブローと呼ぶにふさわしいこの威力。

 ぐ、ぐうぅううっ、巨漢のダークネスは、ジャマルを押し倒しつつも上半身をふらつかせている。

 学者のロイドはとどめの一撃を振りかぶる!

「二分の一にしたライフをさらに二分の一にするッ!

 その答えはぁああああああああああああああああああああっ、

 ゼロだぁああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 ぼッごぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおんっ!!


『ぐわあああああああああああああああああああああああああああああっ!!』


「三の太刀は存在しない……、

 それがハーフ・ライフ!」


 うぐっ、


HAIFEハイフ!」


 ぼごぉおんっ


 こんどこそ。闇の巨漢は渦に飲まれて消えた。

 倒れているジャマルに、ぐっ、と親指を立ててから、眼鏡のロイドは手を差し出す。

「ははっ」

 声をこぼしながら、ジャマルはその手を握って立ち上がる。

 敵、撃破。

 わーっ! と、人々の歓声が上がる。

 ジャマルとロイドは、剣と本を打ち合わせる。

 大人たちの合間から、フランはその光景を目にしている。彼女の瞳には、宿る光。


「さあ、みなさん! まだまだお仕事してもらいますよ! 次の陣地に向かいます! ぼくに続けー!!」


 おおーっ! 眼鏡のロイドに、皆は活力のある返事をする。

 ジャマルはフランのそばに寄り、彼女に一声をかけた。

「最後はちょっとしまらなかったな」

 瞳に苦笑。そして、

「おまえもがんばれ」

 少年は、わらった。

 さわっ―…と、フランの毛先が広がるように揺れて。

 ジャマルは振り返ることなく、すでに駆け出していた。



   ◇ ◇ ◇



 ――高みの遠方より、町を見下ろす二人がいる。

 破面を身に着けた青年のそばで、道化師が言葉を奏でる。


「――アア、見えますか、ユーゴー。

 人が、懸命に戦っている。

 か細い勇気を奮い起こして母のため。強き背中に報いんと父のため。我が子のために、教え子のために、友のためにと、愛を抱いて。

 アレを、美しさと呼ぶのです。

 ……われわれハ、それを愛でるものでなければなりまセン」


 ユーゴーは、覗く片目に理知の働きを表しながら、彼方の町を見つめている。確かめるように、丁寧に、自らの中に理解を重ねながら、描いた絵の良否を探ろうとするかのように。


「――学びをもとに考えて、組み立てて、これを動かしたのは、全て貴方。

 いま、あそこで輝いているのは、まぎれもなく

 ……誇るべきです。ユーゴー」


 離れた場所で、ルネは彼女の視界にロイドを捉える。――心を残しながらも、下唇を噛み、けれど視線を外す。


「もっトもっと、モっと輝かせてください。イマよりも更に」


 自身の両目も輝かせながら、パロンはユーゴーに熱のこもった促しの声を送る。


「……サア、どのような手を、加えますか」


 ユーゴーは、思索する。す…。と伏せがちにされた彼のまぶた、その表情に色がつく。ゆうの現れた彼の横顔には、少年めいた美しさが漂っていた。

 やがて、無表情を戻した彼は、口を開いた。

「……二つ」

 道化師は頷いて、先をうながす。

「一つは、例のものを」

 パロンを見て、言うユーゴー。道化は、にやりとして。

「用意しましょウ。 ……モう一つは?」ユーゴーを見る。

 ユーゴーは、町の方に目を戻し――うなずく。そして片手を、す、と上げる。

「はい」

 パロンは丁寧なお辞儀を。了承を示す。


 道化は振り返る。闇の騎士と、黒の怪人に、声をかける。


「……お待たせイタシましタ。ソレでは、今回の話ノ〈立役たちやく〉方に、動いていただきまショウ」


 パロンの目は、そこに立つ姿二体を捉えている。

 道化として戯れつつも、しかしながら相手が持つ美しさ・・・に対して、正しく敬意を払った眼差し。


「お美事を、期待いたしますヨ。

 散るも――咲かすも――アナタ方次第」


『ハア・・・』


 黒の怪人――カルカイカは、待たされた不快と、けれど愛しいものに会える歓びの半々を、口から零して。


 闇の騎士は、無言のままに。けれど内側には、業火のように燃え盛る、純粋にして狂おしいまでの宿願を秘めて。


 ユーゴーが視線を動かし、軽く手振りする。

 二体の前に、オレンジ色の坑口が開く。


「――お上手になっタ」


 彼方、町の中。視界を通したただの空中に、苦もなく青いポータルを現してみせた技量の向上を、パロンは褒めた。


 二体の闇は、送り込まれた。



   ◇ ◇ ◇


 

 重い黒を引き摺るように、二体が青から現れる。

 カルカイカは鼻を高く上げ、音を鳴らして匂いを吸い込む。首を巡らせていた彼は、やがて一つの方向を見つけて歩き出す。

 闇の騎士は、周囲を慎重に探る。彼――と便宜上呼ぶこの存在に、直ちに目当てを探る力はない。だが、やがてその足は踏み出される。

 闘争の気配に向かって。


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