save10 そして少年は



 町の片隅。

 少年は一人、路地裏の奥で沈んでいる。

 コンクリートで打ちっぱなしにされた、ごく小規模な広場。一本の通路が通りの方に続いているだけの、奥まった場所。

 自分を含めた若い連中のたまり場には、投げ捨てられたゴミなどが散乱している。漫画の雑誌、林檎の芯、座り込む小さな人形、菓子の袋。

 自分の指定席に、今はいる。といっても、ただの壁の側。隣りにあるコーラの空き瓶は、自分が置いていったものだ。

 座り込んで、うつむいている。


 ジャマルの目元には、ひどいくまがある。――一睡もできていないのだから、当然ではあろうか。

 重い目をして、彼は思う。

 ダークネス。

 沢山の、人の魂を奪っていった、闇の者共。

 ――――先生マスターの。

 魂も、きっとあの闇の騎士が、奪っていったのだ。

 先生が、背中を見せたはずは絶対に無い。力の限り戦って――けれど、敗れたのだろう。

 ――――ふとっちょデイヴは、自分の目の前で、あの黒い奴に魂を奪われた。

 トロい大人だと馬鹿にして、見下していた彼は、しかし勇敢だった。

 自分を逃がす時間を少しでも作るための奮闘だったと、今はわかる。


 ……身を引きむしりたくなるような無力感に包まれる。


 勇者たちが来てくれなければ、あの場の全員が殺されていた。両親も、ナス爺も――自分も。

 ず……と、腹が冷え、腕が凍る。あいつの――カルカイカの目を、思い出す。

 闇が、蠢くような。

 ――――身体が、震えだす。


 強いやつこそが、偉いと思っていた。

 けれど。

 あいつ・・・は、

 凄まじく強かったけれど、欠片も尊敬できないやつだった。

 絶対に、父さんと母さん、デイヴとナス爺のほうが、偉かった。

 みんなはあいつより弱かったけれど、絶対に強かった。


 ……俺は、なんだったんだ。


 自分は強いと、思っていた。

 傲慢で、みんなを馬鹿にしていた。

 けれど、

 自分が見下していた人たちが、あの場では勇敢に戦って。

 自分はといえば、怯えて、なにもできなかった。


 あの場所で。自分は誰よりも弱いやつで。

 あの場所で。一番強かったやつは、最低のクソ野郎だった。


 あいつが、俺を見る目……。

 人を、見下す――、


 ぞわ、とする。


 その目の中に、自分が浮かぶ――自分が重なる、凄まじく異様な、おぞけ・・・立つ嫌悪感。


 ぐっ――と、腕を、強く掴む。

 先生に、会いたい。

 話を、したい。

 けど……、

 先生は、いまはいない。

 寄る辺を失う気持ちに、心が彷徨う。

 両親には――会いたくない。

 あえない。

 結局、会話はできていない。帰り道、話しかけられても返事をせず、家についてからは、部屋にこもっていた。


 体が重い。

 鉛のように。


 腹の中の更に真ん中くらいでは、自分をめちゃくちゃにぶん殴ってやりたいような、大声で叫びながら暴れ回りたいような、気持ちが嵐を起こしている。

 けれど全身にまとわりつく重さが、そのようなことをする気力を根こそぎ奪っていく。


 重い。


 ……とにかく、身体が、重かった。


 重いよ………………。



「こんにちは」

 ぴくっ、となる。

 かけられた声に、ちらとだけ、顔を上げる。

 自分とそう年も変わらない、メガネがいる。

「どっか行けよ」

 顔を伏せて、言う。

「…見世物じゃねえぞ」

 けれど足音は、近づいてくる。

 ちっ、

 傍にあったビンを掴み、投げる。

 メガネは、受け止めて言った。

「あぶないよ」

 いらっ、とする。

 馬鹿に聞かせるような正論だと。


「ぼくは通りすがりのお金持ちで、

 学者の、ロイド」


 となり、いいかな。

 かってに言って、腰を下ろす。

 ――身体が重たい。失せろというのも、もはや面倒で。 

「……金でも、取りに来たのかよ」

 両親たちを蘇生したのは、確かこいつだったな、と思い出しながら。

「それは大丈夫。ぼくはお金持ちだから」

 はっ、と笑うジャマル。

「そのお金持ちが、なんの用だよ」

「きみと話をしたくて。ジャマル」

 いきなり名前を呼ばれて。最初に生じたのは――不信感だった。見知らぬ人間に、突然名前を呼ばれるのは気持ち悪いものだ、などと思っていると、


「勉強は好き?」


「――は?」

 出し抜けに、眼鏡は訊いてきた。

「勉強。……きみは好きかな」

 ――――。

 はー…。と、少しだけ顔を上げて言う。

「おべんきょー、は、嫌い。

 先生の、ところで、学ぶのは……好きだ」

「ヨハンさん、だよね」

 ぴくっ、となる。

 なんだこいつは。なんでも知っている風に言うのが、気に食わない。

 なんだか、ムカムカしてくる。

 俺、たぶん、こういう奴――嫌いだな。


「……いい、先生だね」


 再び、ぴくっ、として。メガネの顔を見る。

 こっちをじっと見てくる視線がある。その視線に腹が立つ。通りすがりの眼鏡が、先生の何をわかるのか。

 知ったふうな口をきくな、という気持ちになる。腹が立つ。

「……とても落ち着いた人だ。……たくさん、戦ってきたんだろうね。……悲しいこともあっただろうけど、ちゃんと、前を向いて、歩いてきた。

 ――そんな人が、きみに教えてくれるのは、すごく幸せなことだと思うよ、ジャマル」


「……おい」


 声が出た。

 ただなんだろう。この気持ちは。腹は立つのだが――こいつの言葉には、妙に納得できる。それがつまり――ムカつく。


「――なんだよ、あんた」

「学者のロイド。

 勉強するのが好きなんだ。

 成長すること、

 人を見て、学ぶこと。

 ……きみも、きっとそうだよね。


 先生から剣を学んで、自分を強くする。


 ……だけど、先生が、教えようとしてくれたことは。

 ――剣のほかにも、きっとあるんじゃないかな」


 びくっ、とする。


「そう、たとえば――――」


 メガネのロイドは、こちらから視線を外し、目の前――虚空を――じっと見上げた。しかし、その視線はなぜか、全てこちらに向けられているような。そんな感じを受ける。メガネは、すー、と、匂いをかぐように、息を吸ってから、


「――謙虚さを。

 自分を、正しく、見つめること。

 ……強さも。

 ……弱さも。


 ――たくさんのことを、学ぶこと。

 ……戦うために。

 戦場に、正しく立てるように――――なるために」


 どくんどくんと、心臓が動き始めた。

 先生の声が、聞こえた。

 こいつの声に、そのまま重なるようにして。


「学ぶことは、世の中にはたくさんあるんだ。本当に、たくさんあるんだ。

 ごみを道端に捨ててはいけない、というのも、そう」

 こちらを見て、手にしたビンを振る。ただ、嫌味は感じない。

「けれど、

 それら学ぶべきことは、ひとつひとつの、別々のものではないんだ。

 ちゃんと全ては、良い自分を、つくるために。つながっているものなんだ」

 眼鏡のロイドは、路地裏の向こうに目を向ける。明るい通りの方から、声がする。活気のある、忙しい人たちの、前を向いた声が。


「――いま、町中が、すごく正しいエネルギーに満ちている。

 そういう時は、ものすごく、たくさん勉強できるんだよ。

 自分を、成長させることができる」


 身体中が、ざわざわしてくる。けれど不快感ではない。これは、みんなで競争を始める前の、走り始める前の、そんな気分。


「たくさんの人が。前を向いて動いている。

 つるぎの勇者と、いっしょになって」


 勇者。その名を聞いて、腹の底に熱が溜まってくる。

 そしてふと、身体の重さの訳を理解する。

 足を止めてうずくまっていれば、身体が重たいのは当然だ。

 剣士は、

 軽やかに立ち、舞うものだ。


「ねえ、ジャマル。


 きみはここでうずくまっているのが好き?


 それとも、」


 ばっ、とジャマルは立ち上がった。

 とにかく――なんでもいい。身体が動いた。

 背筋が、腰が、脚が。自分を上に、持ち上げた。


 眼鏡のロイドは、にっこりして。


「いってらっしゃい」


 ジャマルは、光の中に駆け出した。



   ◇ ◇ ◇



 路地から通りに駆け出たジャマルは、走っている三人組を目に留めた。

 後を追って、走り出す。

 急いでいるのだから、なにかそれだけの理由があるのだろう。

 きっと仕事が、この先にある。


 ――周囲を明るく浮き上がらせる朝の日差しは、透明だった。

 走っていく最中にも、石畳の隙間、家々の並びが、妙にくっきりと目にはいる。空は、高い。季節のこの空は、青く、広い。


 と、


 走っていた一人が、急にすさまじく転倒した。


 ごきっ、

 すごい音が鳴る。

「おい気絶――ハッハハハ!」

 原因を見て、弾かれたように一人が笑った。

「首が折れたな…。ビンか」もう一人が、言いつつ、失笑。

 白い砂時計を浮かべて、倒れた若者はピクリとも動かない。

 軽く笑いながら、ひとりが気つけをする。

「なにが…。」

「笑い話だよ。そこのビン、拾っとけ」

「あっ…。くっそ…。誰だよ……」

 照れと憤りを言葉ににじませ、目覚めた青年はビンを拾い上げた。


 フィクションなら死んでたな。

 いいから、行こうぜ。急ごう。

 だな。 ――足元注意な。

 うるせえ!


 笑いながら走っていく。その様子を、ジャマルは打たれたように見ていた。

 ――ビンで転んだからといって、ただちに死ぬわけではない。当然だ。それこそフィクションではないのだから。

 せいぜいライフを少し、ひどくても軽く骨折をするくらい。

 首を折って気絶したあの人は、最悪に運が悪かった。


 けれど、

 もしも、場所が。

 例えば、平原フィールドに。

 あるいは戦場となったこの町で、

 最悪のタイミングで、あれが起きていたら。


 ――道端に捨てたビンが、間接的にでも、人を殺すことは、あり得る、のだ。


 これまでに、罪の意識もなく置いていったビンのことを思い出す。

 二度とやらない。

 決意しながら、追いかける。 



 着いた先では、皆がテキパキと作業をしていた。

 話しかけ、仕事をもらい、作業を始める。――が、

 まったく、上手くいかない。自分はこの場では、とんでもない素人だった。

「――む。ジャマル」

 ナス爺がいた。

 彼はジャマルの手元――紐の結びを見て、

「カッ、下手くそがっ」

 遠慮のない叱責を飛ばした。

「小僧、お前は、単純な肉体労働だけ引き受けろ。そして手が空いたら、次の場所へ走れ。次々にそれをやれ」

 まずはあっちだ。 指差す先、荷運びの作業が行われている。

「ほれ、いけ」

 腹の底には、いらっ、とする小さな火があった。

 けれど、抑えて、わかる。ナス爺が、ちゃんと正しいことを、言っているのが。

 そして、役立たず。

 自分はそれくらいを、ちゃんとやるしかないのだろう。


「……わかった」


 その素直に、む、となり。けれど、いい傾向と悪い傾向半々だと判断した老人は、

 カッ、となって、

「声を出せいッ!!!」

 腹底からの喝を入れた。

 びりっ、と耳を痺れさせたジャマルは、

「わ、わかったよ!!」腹から声を出して返事をした。

「よし行け、走れ!」

「ああ!」

 走りゆく姿をフンッと見送り、老人は再びテキパキと作業を始めた。



 町を囲む、壁のそば。

「手伝いに来た」

「おお、助かるぞ」

 こいつを運んでくれ。わかるな、向こうだ。

 ああ。

 ジャマルは二段積みにされた箱を抱えあげて、小走りでゆく。

 何度か往復していくうちに、効率のいい体の動かし方がわかっていく。

 いまは三段を積んで、より速く駆けていく。と、


「ダークネスだっ!!」


 櫓の上から、悲鳴にも似た叫び。


 !!


 周囲に激しい緊張が走る。びくりとなったジャマルも、抱えていた箱を取り落とす。がしゃりと鳴った音に重なって、上から明らかな悲鳴が響く。

「ああっ!」

 鈍い音をたて、人が側面から落ちてきた。

 彼と上を見れば、防御壁の上で作業をしていた人たちがあわてて見下ろしている。足を滑らせて、あそこから落ちたということか。

「うぅ~、。」

 半身の強いしびれに、強くもどかしい不快感を感じた声で呻く。当然どこかしらに、骨折の症状がでているのだろう。

 ポーションを手にした周囲の人が彼に近づき、

「誤報だー!! ダークネスは誤報だー!!」

 櫓の上から、先程とは違う声が周囲に叫んだ。

 ――ごめんなさい、

 気にするな。

 震える声を、誤報を知らせた声は慰める。


 ――その一方で。

 ジャマルは、自分が行なった行為の、愚かさを知った。

 目の前には、落としてひっくり返った箱の中からぶちまけられた物が散乱している。

 周囲の人が手伝いに来る。自分でも素早く拾い集めて箱の中に戻しながら、ひどく申し訳なく、いたたまれない気分になる。

(「ダークネスがきたぞー!!」) 

 顔に血が上るのを感じる。後先などなにも考えずに、ただの思いつきを実行に移したことを。

 ――あげく、人を――デイヴのことを、わらったのだ。


 ……恥を、知った。


 バァンッ、と、両側から頬を張り、手伝ってくれた人に礼を言い、箱を抱え上げ、ジャマルは走り出した。



 自分の目が、開いていくようだった。



 走りながら、周囲を見て、いま、必要なところに行く。

「おおい! 誰かこの書類を届けてくれ!」

「俺が行く! 足は速い!」

 そうか、任せた。

 受け取り、走る。届けて、次を探す。

 荷物を運ぶために一人で往復している人がいた。声をかけ、自分も抱えて走る。

 運び終え、礼を言われ、次へ。

 建物のそば、倒れてきている補強壁を一人で支えている人を見つけ、慌てて駆け寄り、背を貸す。

「おっ」

 二人、んーーーっ、と、壁を支える。人が次々に集まり、全員で押し戻し、

「よっし、助かったぜ!」

 ばんっ、と背中を叩かれる。

 次へ、

 次へと。

 ジャマルは、駆けていった。



 そうしているうちに、昼を迎えた。

 水を片手に、配給のサンドイッチを頬張っている。

 こういうのもなんだが――やけにおいしい。

 と、

「ああ、いた」

 視線を向ければ、

「マット」

 名を呼ばれ、青年は片手を上げる。

 自分の兄弟子あにでしである。会話ぐらいは、何度かしていた。

 あー……。と、マットは少し、頬をかいて。

「いや、君に、会っておきたくて。ジャマル」

 ――彼はわずかの沈黙を挟んで、口を開いた。

「……先生の魂は、奪われた。

 けど、


「勇者がいる」


 ジャマルは言う。マットは、彼の顔を見る。

「それも、剣の勇者だ。竜王すら真っ二つにした勇者シザ。

 先生の魂は、きっとかえってくるさ。

 そうだろ?」

 ははっ、と、マットは笑った。

「それを言いに来たんだけどな。どうやら必要なかったみたいだ」

 マットが見るジャマルには、真剣な様子がある。瞳の中には、誰かもう一人のことも、思い浮かべているようで。

「――ほんとは、広場で話しておこうと思ってたんだ。

 それで、まずはご両親のところに行った。君と話をしても大丈夫だろうか、聞きに行ったんだ」

 ん……。と、ジャマルは表情に気まずさをのぞかせた。

「そしたらな――、」



    ■



 ジャマルの両親に挨拶をし、伺いを立てたあと、彼らと一緒にマットはジャマルのもとに向かった。

 町の学校に通う、子供たちが並ぶ所まで来る。

 そうしたら、女性教師が、知らない顔の男性に、なにか説明を受けていて。

 ジャマルの姿は、そこにはなかった。

 どうも、と、ジャマルの両親とともに、女性教師に声をかければ、

 あっ、と彼女は声を出し、気の毒なほど恐縮そうな様子になった。

 いわく、

 ジャマルは、どこかに行ってしまった。

 けれど、

 先ほど壇上にいたロイドさんの、部下の人たち。

 こちらの男性の同僚の方が、ジャマルのことは見てくれていると。


 見知らぬ男性は、胸に手のひらを当てて、こちらに一礼してきた。


「ジャマル君の動向は、こちらで全て掴んでおります。危険なことはけして無いよう、目を向けています。

 ――ただ、お求めであれば、もちろん、彼の居場所を、今すぐお伝えすることもできますが――」

 それは、是非。と、息荒く言いかけた夫を、腕に軽く触れて制して。

 母は、おおらかに笑って、言った。

「――少し、一人になりたいのでしょう。

 ……もし、ご面倒でなければ、しばらく見守ってやってくださいますか」

 男性は、頷いて。

 母は、手のひらを当てて礼をして。「――それと、私たちは、昼ごろには、いちど家に戻っていると。時間を見て、伝えておいてはいただけないでしょうか」

「……それでしたら」

 マットは、声をかけた。

「自分が。伝えさせてもらいます」


 貸し与えられた映面板タブレットに、情報は入れてもらえることになった。


「――助かります。

 その、ロイドさんにも……どうかお礼を、伝えておいてください」


 ――かしこまりました。


 マットの言葉に、男性は、丁寧な礼を返した。



    ■



「――ということがあったんだ」

 マットの話を聞き終えたジャマルは、

(あのやろ……。)

 と、メガネの顔を思い出す。

 ――おせっかいな、やつだな。

「ともあれ、そういうことなんだ。ジャマル」

 マットの次の言葉を待たず、ジャマルは残ったサンドイッチを口の中に詰め込んで、立ち上がった。

「つまらせるなよ」

 笑うマットに手を振って、ジャマルは走り出した。



   ◇ ◇ ◇



 我が家の周辺は、静かなものだった。

 ほとんどの人たちはもう、指定の位置にいるのだろう。


「――帰ったよ」

 家の戸を開ける。

 ふう……。安堵したような息が、テーブルの方からした。そこに着いていた父が、こちらに視線を向ける。

「――座りなさい」

 落ち着いた声で、うながす。

「……昼は、食べたのか」

「サンドイッチ」

 席につき、言葉少なに言って、うなずく。

 側には、母も座っている。穏やかな目で、こちらを見ている。

 父は、しばらく言葉を探し。

 やがて、口を開いた。

「こんなときだが、少し話そう」

 ジャマルは、こくりと頷く。

 父は――――また、しばらく迷うように、考える時間を置いて――言った。

「……ジャマル。この町は好きか」

「ん……、」

 答えづらい質問であった。

 母が、笑った。

「つきあってあげて。この人、昔からこう。すぐには本題に入れないのよ」

 …………。

 ちょっと恥ずかしそうな父親の顔を、ジャマルは――――新鮮な驚きを持って、見つめていた。

 回りくどい言い方をする、と思い、それを疎んだことは、何度かあるが。

 父は、こういう人だったのか。

「あなたの思う通りに、答えればいいから」

 母の言葉に後押しされて、ジャマルは、自分の素直な気持ちを、父に告げた。

「俺は――――好きじゃない。

 ……小さい町だって、思ってる」

「……そうか」

 彼の意見、いや、ジャマル自身を、納得したようにして。

「確かに、お前には広い世界のほうが似合っていると、私も思う。

 ――将来は、冒険者になりたいんだろう?」

「……うん」

 ――直接、伝えたことは、そういえば無かったが。いま、ジャマルはうなずいた。

 父も、理解を示して。

 再び、幾ばくかの時間を置いてから、父は口を開いた。

「それは、正直なところ、恐ろしいし、怖い。

 ただ、私自身の、そんな感情を理由にして、お前の自由を縛ることは、絶対にできない。 ――そう、思っている。


 いま、伝えておくが。お前が、正しく、強くなったなら。旅に出ることを、私は、賛成する」

 母も、微笑んで言う。

「わたしもね」


 ――二人の言葉が――声が――いや、想いが。

 ジャマルの胸に、暖かく沁みた。

 ……こくり。ジャマルは、うなずいた。

 ――ありがたかった。

 両親の意見など、関係ないと思っていた。もしも反対されるなら、勝手に出ていくだけだと、そんなふうにも思っていた。

 ――けれども…………、大切な人たちから、大切な夢を、肯定されるのは…………。すごく、嬉しかった。

 しらず、まぶたのふちが、熱くなる。

 父は、言葉を続けようとして……、

 から……、

「――――――昔、この町は…………村だった」

「はい。これは回りくどいやつよ」

 赤くなる父に、ジャマルは笑う。

「……母さんと、デイヴと、ナス爺さん。……もっと沢山の人たちと……私たちはこの村で――その村で、努力してきた。

 ――最初は、なにもわからない子供だった。けれど、仕事を覚えて、体も強くなって、できることが増えて、また一つ仕事を覚えて。

 ……そうして、私たちが手を加えたことの一つ一つが、この村を確かに育てていることの実感を得られるようになってから――――この村は、私にとっては……いや、私たちにとって、大切な、誇りを持てる場所に、なったんだ。


 ――やがて、この村が、この町になった。

 町を囲む壁は大きく造り直され、人も増えた。


 そのときに私たちは……ジャマル。

 おまえを、天から、授かったんだ」


 父は、ジャマルを見つめつつ、その日にも向けた瞳になる。

 母も、眼差しに、深い慈愛を浮かばせる。


「……神殿で、はじめて、おまえと出会ったとき。


 ――宝石のようだと思ったよ。

 きめの細かい黒に輝く、愛らしい宝石だ」


 父の声には、熱がこもる。

 母が、ひとしずくの涙をこぼす。


 ジャマルは、胸にこみ上げてくる熱いものを感じる。けれど、続いた父の言葉に、氷の刃物の切っ先が、冷たく心臓を突く。


「――あの、黒い男に対したとき。

 ……お前を怖がらせてしまったことは……すまないと思う」

 詫びるように、視線を下げていた父。けれど、しっかりと顔を上げて、かつてなく大事なことを伝える、という意志を、視線に込めて。ジャマルを見た。


「だが、覚えておいて欲しい。


 大切な我が子のためなら、親は、自分の命くらい懸けられるんだ。

 少なくとも、我々はそうだ。

 このレガリアに生きる、一人のひと・・の親として。


 ――一歩町を出れば、モンスターが徘徊している、このレガリア大陸で。

 お前を天から授かった。お前の親になった。お前を……守る決意を、定めた。

 だったら、お前が……大切な我が子が、危ないときには、それは、自分の命くらいは、なげうてるさ。


 ――もしもあのとき、命を落としたとして。


 お前を残してしまうことへの心残りは、胸が張り裂けるほどにあっただろう。

 だが、


 お前のために、命を落としたことの後悔は、けして、しなかった」


 父の目が、涙を落とした。

 ――それは、

 ジャマルの頬を、濡らしたしずくに、続いたように。


「ジャマル。


 お前を、愛している。」


 ジャマルは立ち上がった。父との距離をいますぐに詰めたいと思った。両足はそれに沿うように前に進んだ。

 父も立ち上がった。彼もまた、ジャマルに歩み寄ってくる。


 二人、固く抱きしめ合う。


 ――父とハグをしたのなんて、何年ぶりだろうか。

 線の細い、頼りない印象だと、いつの間にか、勝手に思っていた父の背中は、ごつごつとして、大きかった。


 ……父の腕の中で。

 ジャマルの内に、いま、ここで、自分の赤心を明かしたいという気分が燃える。

 それは作業の手伝いのため、走っていたときにはけして表に出てはいなかった考え。

 けれど、自分の本音と向き合えば、やっぱりそこに燃えていることがわかる、思い。


 ジャマルは、父から、一歩下がり。

 両親の顔を、見つめる。


「――父さん。 ――母さん。

 聞いてほしい。


 ……俺も、戦いたいんだ」


 ジャマルは、語った。

 戦える人が減っている。

 自分は、アグリーに対してなら、戦える。

 力になりたい。

 みんなの、力になりたい。

 だって、俺には。

 少なくとも、それだけはできる、力があるから。


 いつわりなく、心からを。

 両親に示したジャマルは、やがて、言葉を結んだ。


「だから……、


 認めて、ほしいんだ」


 見つめれば、見つめかえしてくる、息子の真剣な眼差しと向き合い。

 父は、とても長く、悩んだあと。

 一つの覚悟を、己の中に定めたように、口を開いた。


「わかった。

 お前を信じる。」


 父の眼差しは力強く。

 そこには確かな、肯定があった。

 ぐっ、と。

 ジャマルの胸の中に、かつてないものが、満ちた。

 やがて少年は、理解するだろう。

 誇り。と。

 それは呼ばれるものだということを。


 ジャマルは、母親に視線を移す。


「母さん、」

「あら、わたしは、もともと反対してはいないわよ」


 でも…。


 ゆっくりと歩み寄る母に、ジャマルも、自然と近づく。

 ぎゅ、と、母は、息子を胸に抱きしめて。


「……ちゃんと無事に、帰ってらっしゃい。」


「……うん。」


 ――あったかい。

 愛情に包まれて。ジャマルは、頷く。



 そして、彼らは――、



 襲来の、鐘の音を聞いた。



 きりっ、と、両親の顔が引き締まった。

 母から離れ、ジャマルは、二人と向き合う。

「私たちは、我々の持ち場で戦おう。


 ――お前の戦いに、光を。」


「ありがとう。

 ――父さん。――母さん。


 愛してる。」


 ジャマルは、自分の剣をとって。

 両親とともに、家を出た。



 ――少年は、走り出す。


 町へ。



 戦場に向かって。

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