save8 死闘



 夜を駆けるジャマル。街路灯が並ぶ、ゆるい坂道を登っている。

 即座の対応ができるよう、すでに抜刀は済ませている。

 坂道を登りきった彼の目に、見慣れた――しかし見たことがないほどに厳しい背中が飛び込んできた。

 棍棒を構えた、ナス爺だった。

 そして彼の前で、嘲笑うようにたむろする、幾つかの影。

 ダークネス。

 名前は――確か――醜悪アグリー

 周囲の家々には、まだ人々の気配がある。しかし、兵士や、衛士の姿は、無い。

 ここにいるのは――――――――、俺だけだ。

 ジャマルは長剣を構え、剣気を込めて、振るった。

 二体のアグリーを、その飛ばした一刀で斬り倒す。


「!? …ジャマルッ!」

「ナス爺」


 駆け寄って、声をかけた。


「父さんらに伝えてくれよ。

 俺は大丈夫だから。

 俺はここで戦う。

 逃げてない人らも、連れてってくれよ」


 馬鹿が…、言いかけた老人は、しかし強く口を閉じる。

 噛み締めた後、ナス爺は、見開いた目とともに言った。


「人を呼ぶ。

 待ってろよ、糞坊主」


 そして周囲に響き渡る大声で、人々に避難を促す。

 ジャマルは醜悪アグリーの集団からけして視線をそらさず、威嚇を続ける。

 やがて家から出てきた人たちを引き連れ、ナス爺が走り去ってゆき――、

 静まった周辺で、闇のものたちと対峙して。

 ジャマルは、にっ、と、強い笑みを浮かべた。


 ジャマル

 剣士

 レベル39


 目の前の群れは、数を増していた。集まってきたアグリーたちが合流している。

 やがて数を揃えたと判断したのだろう、敵は、笑うような奇声を発して襲いかかってきた。

 平常の気持ちで、剣を振るう。

 ずばんと、数匹をまとめて斬り飛ばして、次の瞬間には、敵との間合いを確保している。

 借り物だけれど、さすがに先生の剣。いいものだ。

 剣気を通すには十分。持ち手と重みの馴染みのなさが少しだけ気に入らないけれど、いつもの動きを妨げるほどではない。

 剣士は、多数を相手取ることも得意な職業だ。基本的に隙はない。最も完成された職業と言われる所以ゆえんである。

 そう……雑魚がいくら群れたところで、剣士には届かないのだ。

 剣気を飛ばす一刀ごとに、闇の姿は確実に数を減らしてゆく。何体かは臆病風に吹かれたのだろう、背中を向けて逃げ出していく。その情けない様子を笑いながら見送って、高ぶる熱を感じながら、ジャマルは敵を斬り捌いてゆく。

 背後、飛びかかってくる二体のアグリー。

 しかし不意打ちとしては機能しない。身をひねりつつ飛び上がり、軽身で軌道を修正しつつ襲撃者を見下ろし空中から剣気斬、飛ばして斬り伏せ、着地。そのままの流れで、周囲の敵をまた斬り倒す。


 やれている。問題なく。戦場でも、ちゃんと視界を取れている。


 やっぱり自分はやれるのだ。

 強いぞ。

 はっきりと確かめられた我が身の強さレベルに高揚しながら、やがて最後の一体に飛びかかり、大上段から斬り断ち割る。

 もはや周辺あたりに、アグリーはいない。

 自分が全滅させたのだ。

「ハッハ!!」

 ジャマルは笑った。あるいは人の目を奪うほどの、活力のある笑顔で。


 じゃりっ、


 それらの熱量をすべて消し去る、冷気に満ちた足音がした。


『ハア・・・・・・・・・』


 重く、憂鬱に――黒の怪人が、夜の中に佇んでいた。



   ◇ ◇ ◇



 夜陰に、剣戟の音が響く。

 街灯が照らす、明かりの下で。

 剣士と、騎士が、打ち合っている。


 相手と切り結びながら、ヨハンは思う。


 この、騎士・・

 凄まじく強いが、そこに耐久力の高さは含まれない。

 受けと、避けに技量を示す。

 千年以上の昔。戦闘職としての〈騎士〉は存在しなかった時代に、

 騎士と呼ばれた、これは〈剣士・・〉の戦い方。

 纏う鎧は、全てを跳ね返す盾ではなく、

 つまり、

 自分の刃は、敵に届く。


 実際として、この騎士の闇の鎧は、見た目通りの装甲ではなく、体の一部であるようだった。例えるならば、皮膚であり、肉。

 先程一瞬かすった自分の剣は、確かに相手から、幾らかのライフを奪っていた。

 そう、

 闇の騎士の動きに、ヨハンはかろうじて追いついている。

 それはしかし絶対的なレベル差が、両者の間に存在しない・・・というわけではない。

 闇の騎士の動きには、対峙すればわかる違和感があった。

 ――――〈遅れラグ〉。

 ごく僅かに散見される、ワンテンポ遅れた敵の反応。

 相手は、自らの動きに、何らかの制約を――おそらくはあえて――課しているようだった。

 それは、けして軽いものではないのだろう。

 だというのに、その枷を帳消しにして、なお自分を上回るくらいに、先読みの技量にて、押して来る敵。

 これはあなどりか――考えてしまう――あるいは何かの高潔さなのか――どちらでもいい――これは悪い癖だと――!

 今は勝ち筋を狙え!


 剣戟の隙間、


 今、入る、! ヨハンは斬り込もうとした。だが足元に小石を踏む。かつっ、とわずか、踏み込みがずれて、剣を振るう前に機を逃す。けれど攻めの気は通り、

 ぶんっ、と、闇騎士に、盾による弾き受け盾パリィの空振りを誘発させた。

『!』

(!!)

 あのまま斬り込んでいたら勝負はついていただろう。つまりは、こちらの敗北で。しかし一転して、

 好機!!

 いまこそとれる! ヨハンは前のめりにかかる、が、

(攻めにはやるな!!)

 騎士の右足がピクリと動き、ヨハンは地を踏み叩くように自らの動きを止め、距離を取った。


 ――カウンターを。おそらくは、受けていただろう。

 ヨハンは小盾を構え直し、右手に下げた長剣をわずかだらりとさせ、長く鋭く息を吐いた。

 鼓動はこれまでにないくらい高ぶっている。

 ただの緊張だけならば、右も左も分からない初陣のときに、頭の中でガンガンと鳴り響いたものだった。

 しかし、

 今、自分は熱に打たれながらも、前は見えている。

 かつてない強敵と向き合いながら、ヨハンは再び剣を構えた。


 ――剣戟。剣戟。技力の粋を、注ぎ込んだ衝突。剣で受け、盾でいなす、剣で払い、蹴りを放つ。寄り合って切り結ぶ。


 戦闘を続ける中で、ヨハンは見抜いていく。

 相手が自らに課した制約。それゆえの限界を。

 対手が剣を振るう最高速度、盾の動き、体捌き。

 それらすべての動作には、ある一定の、速度の限界点があった。

 これを見抜けたことは、極めて大きい。

 ヨハンは集中の度合いを更に一段跳ね上げる。

 ――この制約を、付け続けるのなら、

 とらせてもらうぞ。

 攻め、受け、穿ち、躱し、

 ヨハンの蹴りが、正面から入った。


 騎士の体勢は、崩れて。


(、いま! )


 今ならば、対手の剣も盾どちらも自分の剣には届かない。

 今度こそは確殺の一撃と確信し、

 全身全霊で、ヨハンは上段から、斬りつけた。


 盾の影で、黒い腕が閃いた。


 金属の、高く跳ね上げられる音。闇の騎士の肩からは、三本目の腕が生えていた。

 ――否、

 そのように、ヨハンは錯覚した。

 闇の騎士は、盾の死角から、パリィ用の小剣を振るっていた。手放された盾は落ちてゆく。地を鳴らすために、ゆっくりと。

 小剣を手に、振り切られた腕の速度は、速く。

 防御を捨てた自分の一撃は、弾かれて。

 大きすぎる隙はいま、ヨハンの正面を、大きく開いていた。


 ずどん、

 鋭利な切っ先が突き刺さる。長剣の刃が、刺し抜ける。


 見事――、湧き出しかける称賛を、食いしばって押さえる。

 最後に、若い、やんちゃな弟子のことを思って、ヨハンの意識は引き抜かれた。



 ――闘争を終えた、静寂の中。


 闇の騎士は、ず、。と片腕で、静かにヨハンの体を押し、剣を抜く。

 どさり。倒れた体を見下ろし――――沈黙の、一礼をする。

 その所作には、確かな礼の義が込められていた。


 討ち取った相手に背を向けて、一歩を鳴らし、闇の騎士は立ち去っていった。



   ◇ ◇ ◇



『ハァ・・・』


 重く、陰鬱な声を響かせて。

 黒の怪人が、そこにいる。

 大きな体格の人の形、頭部には特徴的な角を生やして。

 その目を、向けてくる。

 巨大な瞳孔が、漆黒をざわめかせている。

 異常。


 ――身が竦む。


 やばい。

 こいつは、強い。

 尋常ではなく。

 ジャマルには、この怪人に自分の魂を奪われるまでが、一瞬で想像できた。

 それは――屈辱だった。口惜しさに、ぐっ、と歯噛みする。

 だが、

 逃げるのは、それ以上の恥である。

 ジャマルは克己心――と自らが思う力を込めて、剣の柄を握りしめた。

 恐怖など無い。

 せめて、一撃だけは入れてやる。


 ずんっ、と剣気を飛ばす。


 襲いかかった斬波は、水が散るように、黒い怪人の表面で弾けた。

 黒の怪人の目に、表情が動く。

 取るに足らないものによって、煩わされたような目。そこには、しかし、それ以上に――――、

 嫌悪感が、込められていた。


『・・・・・・・・・ハア・・・』


 ごっ、腕が伸びる、手が迫る。

 万力で首を握り込まれ、潰れた息を鳴らしながら、ジャマルは引き寄せられ、

 掴み、持ち上げられる。

 少年の身体を片手で高く吊り上げながら、黒の怪人は口を開いた。


『黒だ……。


 お前は、汚らわしい黒だ』


 ぐっ……げっ……首を絞められながら、何を言っているんだこの黒野郎は・・・・と、ジャマルはなんとか自分を掴む手を引き剥がそうとする、が、

 ごりっ、異様な感触が頬の骨に突き刺さり、びくりと身がれる。

 骨を鳴らしながら肉が切り抜かれる。後に残ったのは、熱さと、鈍いうずきの、痛み。

 黒の怪人は、片手にナイフを持っている。

 自分の頬から、赤ライフが流れ出しているのを感じる。〈出血〉を、している。

 聞いたことがある。

 邪凶器イビルアーム

 人を、殺せる、凶器。 


『黒は……嫌いだ……。


 それは、汚らわしい魂だ。


 俺が食らうべきものではない』


 ごきっ、顔に再びナイフが突き刺さる。

「――がっ、」


ゴミゴミに・・かえれ』


「――――ああ゛っ、」


 死ぬのか。

 強烈な焦燥がジャマルをく。

 いや、そもそも魂を奪われてもどうにかなると思っていたのが甘い考えだった。

 逃げるべきだった。

 それが最良の戦術だった。

 蛮勇にて死を思わず攻撃した自分を振り返り、毒づく。

 くそっ……くそっ――、


(死にたく、ねえ……ッ!!)


 ごっ、飛来した投げ斧が、黒の怪人の体を打った。

 足音を鳴らしてその場に駆けつけた男が、鬼気迫る目で、黒の怪人を睨みつけた。


「おい、黒いの」


 ぴくっ、と表情をらせる黒の怪人。

 巨大な眼球で、見やる。

「その手を離してもらおうか」

 凄まじい激怒を顔に表し、びくともしない視線を向けている男。

 ジャマルの父親だった。

 片手に、もう一つの投げ斧を携えている。

 父の隣に、母が並ぶ。

 覚悟を決めた目で、槍を構えている。

 大きな体が彼女の側に立つ。

 拳を握りしめ、体を震わせながら――しかし目だけは、しっかと黒の怪人を見据えているのは、〈ふとっちょ〉デイヴ。

「……なんじゃこいつは」

 呟いたのは、ナス爺。

 しかし、ジャマルの父親――ナイジェルは、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに、再度の怒気を発する。


「おいッ!!」


『白だ…。』


「なに、


『俺は、白だ。

 そして、お前も白だ』


 唐突な。おそらくはその場の誰も、黒の怪人の言を理解はできなかっただろう。

 けれど黒の怪人は、続ける。

『お前たちは白なのに・・・どうして黒の味方をする・・・』

「……? 言っている意味がわからんが……、

 その子は俺たちの息子だ」

 ぎり、と、黒の怪人は歯を噛み締めた。巨大な瞳孔が、収縮した。


『お前たちも黒だ。


 黒は、不要だ』


 ジャマルを投げ捨て、イビルアームをぶん、と振るって、歩み寄る。


 咳き込みながら立ち上がったジャマルは、父親の視線に吸い寄せられる。

 今まで見たことがないほど、厳しい、けれど、静かな目を、こちらに向けて。

「ジャマル。……行くんだ。」

 前を向く。

 母親が、続ける。静かな眼差しで紡がれる声は、とても優しい。

「お逃げなさい。……デイヴ、ナス爺。ジャマルをお願い。」

 そして、前を向く。

 ――酸欠、だろうか。ジャマルは、ぼうっ、と、両親の言葉が、上手く耳に入らない。

 ぐっ、と、ジャマルは肩を掴まれる。

 大きな――太った手のひら。

「さあ、ジャマル」


 金属の音。


 手斧を弾き飛ばされ、槍を切り飛ばされ、

 両親はけれど、それでも掴みかかろうとして、

 がっ、と、父親の前髪を掴み、首に刃を食い込ませて肉を切り抜く。

 母親の口を押さえるように顔を掴んで、どすり、と、心臓に刃物を突き刺す。

 どさりと倒れた二人の上に、赤い砂時計が浮かぶ。


 !!! ジャマルは目を見開く。


 身体は動かない。身が強張って。

 彼の肩に置かれた手も、同じように、引き攣るほどに、力がこもって、

 けれど、


「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 びりっ、と、ジャマルの身体を痺れさせる雄叫びを上げて、デイヴは駆け出した。

 黒の怪人は、身動きもせずに待ち受けて、

 どすっ、と。手の平で、デイヴの胸を貫く。

「んんんんんんっ」

 しかしその腕を、両手でぐっと掴み込んで、デイヴは黒の怪人を睨みつけた。


 カッ、と、ジャマルは聞き慣れた声を聞く。

「坊主、ボサッとするな。逃げろ」

「あっ、?」

 ジャマルの隣に並んで、ナス爺は言う。

「逃げろ。

 じきに応援が来る。

 まずはお前が逃げろ」

 ナス爺の目。すごく厳しくも、正しい目。

 彼はジャマルの前に出て、背中を見せる。

 けれど、ジャマルは、あたまが、うまく、はたらかない。混乱、こんわく。ゆびのうごかしかたすら、忘れてしまったかのように、思考だけが、身体中を駆け巡る。

 にげる? 自分ひとりが? ここにいるのは一人じゃない、 父さんが、 母さんが、 あいつにやられて、デイヴはまだ戦っていて、 残されるのはナス爺だけで、


 振り捨てられたデイヴが、黒い怪人の足元に叩きつけられる。

 闘志を持って振り上げた頭部が踏み潰される硬い音。砕けた響きと共に魂は抜けて、吸い取られる。


 その光景を、ジャマルは、目撃して。

 そして、倒れた両親に、視線を移して、


「逃げんかァッ!!」


 雷鳴のような声に身を打たれ、うっ、と、涙がこぼれて、

 ごっ、側頭部を刃物に貫かれて、ナス爺の身体は吹き飛んだ。

 腕を鞭のように伸ばし、振るった黒の怪人。

『・・・白ではない』

 赤い砂時計を浮かべたナス爺の身体を見やって、言う。

 そうしてその視線が、

 向きを、変えた。

 巨大な瞳孔に闇がわだかまる目でこちらを見つめながら、近寄ってくる黒の怪人。

 身動きもできないジャマルは、縋る気持ちというものを、生まれて初めて抱く。


 少年は、ただ、祈った。


(英雄とか……勇者とか……、


 だれでもいいから……


 だれか……


 みんなを……


 たすけて……くれよ……っ……!)


 ――どくんっ、と。


 どこかで、音がした。

 そのような気が、した。

 そして、


「そこまでだっ!」


 すぱぁあんっ、と、鮮烈な白が、黒の怪人に蹴り込んだ。

 黒い腕で受け止めながら、あ・・・? と視線を向けた黒の怪人の、


 両目が、見開かれた。


 ジャマルも、見た。


 美しい、白を纏った少女が、そこにいた。


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