第三章 少年剣士・後

save7 闇の訪れ



  ■2■



 少年の部屋に、意外なほど飾り気はない。

 昔はおもちゃなどが散乱していたものだが、それらは町の交換会に無料で出品し、全て処分している。

 しかし、物がないなりに、服やアクセサリーなどは乱雑に散らばっている。けして、整えられた部屋ではない。


 そんな自分の部屋の、ベッドの上に座り込んで。

 ジャマルは、うつむいている。


 彼は、考えている。

 先生に言われたこと。

 先生に言いたかったこと。

 全部飲み込んで、彼は考えている。


 先生の言葉を、素直に受け止めようとする自分がいる。

 先生の言葉に、反発を強く示す自分がいる。

 二人の自分が、せめぎ合っている。


 しかし、先生は強いので。

 強いから、正しいのだ。

 ジャマルは反発する自分を、抑え込もうとする。

 言葉の理屈による納得ではない。それは力の道理。

 力こそ正しく、正しきは受け入れるべきなのだ。


 ジャマルは、大きく息をつく。

 そしてふと、外の暗さに気付く。窓からは、黒に染まろうとする町の様子が見える。

 だいぶ時間が経ったのか。ああ、部屋も暗い。サイドテーブルにある置き時計を手に取り、まだかろうじてさしこむ光にかざしてみれば、しかし思ったような時間でもなかった。

 その事実に、少し驚く。

 ……時計が壊れたのだろうか。

 示される時刻と、外の暗さは、この時期としては釣り合わないものだった。

 ――と、


 ノックの音。

「――ジャマル」

 扉の向こうから、かけられる父の声。

「……夕食だ」

 数秒、間をおいて。

 ジャマルは渋々と、立ち上がった。



 家族三人で、食事をしている。

 明かりで照らされたダイニングに、しかし会話はない。

 気まずさしかないのは、当然だろう。

 黙々とスプーンを口に運びながら、ジャマルはむしろ腹立ちを覚える。

 だが、落ち着けと、自分を諌める。悪いことをした――とは思えないのだが、それでも自分は、先生に叱られた身の上だ。

 早く食べて、部屋に帰り、もう一度、先生の言葉をちゃんと考えたい。

 うつむきながら食べるジャマルは、けれどふと視線を感じ、顔を上げた。

 父と、目が合う。


「……なんだよ」


 ぴくっ、と、父の白い頬が揺れた。

 ――口が滑った。そうは思いつつ、ジャマルは父から視線を外す。

 とりなすように、母が口を開いた。

「心配を、したのよ」

 優しい声だった。

「襲撃があって。けれどあなたはいなくて。

 衛士さんから、あなたが戦場にいると聞いたときには、そりゃあびっくりしたわ。


 それに、」


「……うるさいな」


 また。口から出てしまう。

 父の顔が、険しくなる。目尻が釣り上がり、熱がこもる。

「その言い方はなんだ」

 向けられた父の怒り。これは正しいものだとわかる。けれどいま、それはジャマルの中に火を付けた。

 言いたかったこと、言えなかったこと、塞がれた言葉が、攻撃的な装いを纏って溢れ出す。


「二人とも、戦闘のときは何をしていたんだよ。

 逃げていただけだろう。

 俺は、戦場で戦っていたんだ。

 立派なことなんだ。

 それをグチグチ言われる筋合いはないぜ。


 俺に、意見していいのは、強いやつだけだ」


 父の目を睨みつける。

 彼の目にこもる火のような怒り。

 それに対してどうしようもない反発の心に支配されているのを自覚しつつ、けれど悪意を込めて口をつく言葉を、止められない。

 決定的な隔絶の意思を込め、黒肌の少年は両親に告げた。


「弱いやつの言うことなんて、聞く気はないね」


 父の逆鱗、立ち上がり、

 ばーんっ、本気の平手が振るわれる。

 ジャマルは瞳の中に炎を燃やして、椅子を撥ね上げるように立ち上がり、踵を返すと、玄関に向かい、扉を開け、外に出ると、叩きつけるように戸を締めて、駆け出した。


 ああ、打ったな? それがお望みなんだろう? いいさ、出ていってやるよ。

 ――若さは、少年を駆り立てる。

 怒りを噛み締め、熱い目をして、ジャマルは夜の中を走ってゆく。



   ◇ ◇ ◇



 ――異常事態が発生していた。


 明るくしたリビングに、ヨハンがいる。

 剣と盾を、腰掛けた椅子のそばに置いて。

 真剣な顔で、考えている。


 昼に行われた戦いの後。

 援軍は、到着した。

 Bクラスパーティー一組と、Cクラス三組。

 彼らの一部を加え、町の周辺を探索してみたが、成果はなし。

 謎の存在については、結局何の情報も得られなかった。

 しかし先刻のこと。

 ――隣町にいる兵士との、定時連絡ができない。

 担当の兵士がもたらした報告は、やがて『外への通信がすべて遮断されている』という事実を明るみにする。

 兵士同士の通信はもちろん、緊急用の魔導具を用いた連絡まで、全てに反応がない。

 どういうことだ?

 明確な答えは、誰にも出せなかった。このような事態は、聞いたことがなかったからだ。それはつまり、大陸全土の記録を見ても、一度も起きたことがない事態、という意味だった。


 兵士のアビリティ、〈通念〉。

 事前にバンドを組んでおいた対象と、思念を飛ばして会話をすることができる。

 各市町村の間の距離は、この念が届く範囲に納められるようになっている。

 ヨハンも、自ら確かめている。

 この町には数人。隣町にも数人。彼がバンドを組んだ相手はいる。

 だが、この町ではできたことが、隣町に対してはできなかった。


 バンド自体は、未だ組まれたままだ。

 相手が命を落としたわけではないし、また全員が気絶状態にある、などという状況も考えられない。

 何らかの方法で、通信が遮断されている。

 そういうことで、間違いはないだろう。


 ただし、ヨハンは落ち着いている。

 通信ができない。この異変は、それゆえに、外も気付いているだろう。

 領主――あの方が、手ぬるい判断をするとは思わない。じきに閣下の軍――派遣された騎士団が、到着するだろう。


 警戒は厳にしつつ、

 それまで、待てばいい。


 そのように兵士たちが動き始めたのが、すでに一時間ほど前のことだ。

 騎士団の来着は、つまりはもう間もなく。


 この事態は、町民たちには知らされていない。

 ただし、すぐさま避難できるように、気を抜かないようにという連絡は、各家庭に回っているはずだ。

 ヨハンは、外を見る。

 窓に切り取られた外界は、異常を示すように黒い。

 普段ならばまだうす青い時間帯だが、今、外はもう、冬のように暗い。


 ――と、

 ノックの音がした。

 遠慮がちに……慈悲を乞う子供のような叩き方。


「――――入りなさい」


 ヨハンは、声をかける。

 扉を開けて入ってきたのは――彼の弟子。

 黒肌の少年、ジャマルだった。

 ここまで走ってきたのだろう。それゆえの熱は持っているようだが、しかしおそらくはそれと反比して、頭を熱していた〈血〉は幾分冷まされたような。

 ――居場所を求めて、ここまで来たような様子の、彼だった。


「――やあ、ジャマル」


 ヨハンは、椅子に腰を掛けたまま、落ち着いた声で彼を迎えた。


「……なにがあったのか、教えてくれるかい」

 彼の側に立つジャマルは、しかし口ごもる。

 ヨハンは、言葉を紡ぐ。


「……よかった。

 やはり君は、理解はしている。

 ただ、ご両親への怒りを吐き散らすためだけにここへ来たのだったら、僕は君を見下げていた」


 ジャマルは、視線を下げて歯噛む。

 ヨハンは時計を見て、彼に続く言葉をかけた。


「……一時間ほど、時間を潰していくといい。

 その後は、家に帰るんだ。

 そしてご両親とちゃんと話をしなさい。


 ……いいね?」


 ジャマルは、わずかそうとわかるくらいに、頷いた。

 その態度を確かめて、ヨハンは尋ねる。

「夕食は?」

「途中……だった」

「――簡単なものだが、用意しよう。

 ただし、帰ったら、君が残したぶんも食べるんだ。

 育ち盛りなんだから。入るだろう」

 立ち上がり、厨房に向かおうとするヨハンに、

「……夜に沢山食べるのは、太るっていうぜ」

 弟子の声がかけられる。師は、少し笑って、

「君ほどの元気があるなら、だいじょうぶだろう」

 この様子ならば、だいぶ早く落ち着くだろう。

 ころ良しと見えたら、家まで送っていこう。

 ……その頃には、閣下の騎士団も到着しているはずだ。


 ジャマルの両親に伝わるように、ヨハンは駐衛所のグラート大尉に思念を飛ばした。経由して、見回りの衛士に連絡を入れてもらおう。


 さて――ペペロンチーノでも作ろうか。

 ヨハンは乾麺を取り出し、鍋に水を張った。



   ◇ ◇ ◇



 ジャマルの家。

 彼の父親と、母親が、テーブルについている。


 ふぅ……。


 落ち込んだ様子で、父、ナイジェルは言う。

「あの子を平手で打ったのなんて……初めてだ」

 母、メリッサは、笑って言った。

「あなたはかたくなに、手だけは上げないようにしていたものね」

 ああ。

 ナイジェルは頷き、しかし続ける。


「……ただ、手段として、それを憎んでいたわけじゃない。

 体罰は、ときに必要で、有効だとも思っている。

 ――色んな人たちが、僕を育ててくれたからね。


 ……ただ僕は、力で意見を遮るような真似をすることが――そんな体罰を振るってしまうかも知れないことが、嫌だったんだ。


 ……さっきのあれは――あの子を叱ったんじゃない。

 ただ、感情に動かされて、手を上げただけ……怒っただけだ」


 自省をするナイジェル。

 妻は、夫の腕に手を添える。そして彼女、メリッサは言う。

「ヨハンさんのところでしょう。

 きっと、ちゃんと帰してくれるわ」

 ナイジェルは、頷く。

「ああ。

 ――彼が、ジャマルの先生になってくれて、本当に良かった。

 ……だけど一つ…………正直な気持ちを、言っていいかい?」

「なんとなくわかるけど、いいわよ」

 父は、笑って。

「僕は、彼に少し嫉妬しているんだ」

 母も、笑って。

「やっぱりね」


 夫婦の笑い声が、部屋に流れた。



    ◇ ◇ ◇



 闇を照らす、駐衛所からの投光がある。

 町の一角にある区域は背の高い壁に囲まれており、二箇所の見張り台が備えられている。

 ただし平時よりも、駐衛所にいる見張りの数は少ない。

 町の外を監視するために、多くは割り振られている。


 外側に向けられた照明に対して、敷地内の明かりは控えめである。

 各建物を繋ぐ道などはなく、グラウンドに纏める形で簡略化されている。

 その広く整備された地面のわずか上――空中に。

 音もなく、青い光が開いた。

 縦に長い楕円形。下端は地面に接している。大きさは、人一人ならば余裕を持って通り抜けられる・・・・・・・程。

 ――――そう、


 ずるりと。


 青い光をくぐり抜けて、一つの闇が現れた。

 それは黒を輝かせる鎧姿。

 中型の盾――取り回しよく改良されたカイト・シールドを左手に。右手には片手用の、しかし並の物よりも一回り厚みを増した長剣を携えて。

 それ・・の姿形は、全身を覆う漆黒の騎士鎧、と例えることができるだろう。

 ただし、鎧の表面は闇でできている。けれど、夜の中に溶け込んではいない。

 鎧のエッジが、はっきりと形を示すように発光しているからだ。

 闇の騎士は、黙したままで佇んでいる。

 その佇まいだけで、強者がわかる。おそらくこの存在にとっては、沈黙こそが、最も雄弁に己の強さを語る手段なのだろう。


 そして、


『ハァ・・・』

 青い光の中から、第二の闇が現れた。

 口から零したのは、重く陰鬱な声。

 背が高く、逞しい男の姿。ただし、表面は闇の一色。

 側頭部から、角錐状の角を左右に張り出した、漆黒の人型。

 しかし、異常はその目にあった。

 眼球は巨大。なによりも、瞳孔があまりにも、おぞましいほどに巨大だった。

 大白眼の中に浮かぶ闇色の巨瞳孔。その枠線は微動している。目撃した者の違和を騒がせるような、人外の蠢き。

 悪夢としての、一つの姿。

 その部分眼球の異常さが際立って見えるのは、その他の全体が基本的には人を模した形であるからだろう。


 夜の中に立つ、二体の闇。

 両者ともに上背はあるが、人間の範疇に収まっている。

 背後にあった青い光が消える。

 二体は一つの建物の方を向き、歩き出した。



 敷地内の見回りをしていた兵士が、建物の角を曲がる。

 正面には、駐衛所のグラウンドがある。しばらく足を進めた兵士は、気付く。

 増援としてやってきた冒険者たちと、戦闘兵士たちが集まっている待機所に、歩み寄る二つの人影は――それが人影ではなく、人の形をした二体の闇であることを。

 ごっ、と片方の影の腕が伸びて、兵士の意識は刈り取られた。



 町の中、各地に謎の光が灯る。

 その色は、青い。

 くぐり抜けて、無数の闇が現れる。各所に開いた青い楕円の全てから、列をなして、進み出る。

 それらは兵士級と称されるダークネスたち。

 異常な猫背、巨大な目、枯れ木のような体躯の〈醜悪アグリー〉。

 ざんばらな無数の角、歪な僻目ひがらめ、高い背丈の〈威張り頭プラウドヘッズ〉。

 青い光はトンネルの坑口めいて、闇の群れを吐き出し続ける。


 ――町を囲む、防御壁に設えられた見張り台。町の外に強い監視の目を向けていた兵士の一人が、その瞬間。

 ふと、町の方を振り向いたのは、直感か、偶然か、あるいは、天の導きか。

 彼の目は、町中まちなかに出現した青い坑口から現れる、闇の姿たちを見た。



(ヨハンッ!!)

 駐衛所のグラートから絶叫のような思念が飛んで、直後に途切れ、


 警鐘の鐘が、狂ったように打ち鳴らされる。


 それらが起こったタイミングは、同時だった。


「襲撃だ!!」

 叫ぶ外に、ヨハンとジャマルは飛び出す。

 二人とも武装をしている。ヨハンは自分の装備を。ジャマルは、護身用に貸し与えられた剣を。

 あちこちに混乱の声がする。悲鳴、怒声、そして――笑声。

 すでに入り込まれている。敵に。この状況を――楽しむだけの知性がある敵に。

(夜陰に紛れて? 少数が? いや、そんな規模じゃない)

 混乱は、町全体に広がっているようだ。

 まるで、敵の大群が突如として町の中に現れたような。

 まさか……、とは思いつつ、可能性は否定しきれない。

 しかしそれ以上に、

 現れた敵の正体は、なにか。


 自身に覚悟を定めるべく、ヨハンがそれを思おうとした瞬間、


 全身を総毛立たせるプレッシャーに、剣士は身を弾いて反応した。


 闇を纏った、全身鎧の――騎士が。ヨハンの前に現れていた。

 尋常ではない。

 人の世の、ものでもない。


 ダークネス。


 これこそは直感した。

 ヨハンは、剣と、小盾を構えて、闇の騎士に向き合う。

「――ジャマル」

 視線は向けずに、弟子に声をかける。

「ご両親のために。家に帰るんだ。

 きっと君を待つだろう。

 逃げ送れさせるな」

 厳しい声――それすらを超えた、死と向き合うような師の声に。

 ジャマルは、言葉を飲み込みつつ、身を翻す。

 しかし、視線だけは、その場に残し――、

「先生、

 勝つよな!?」


「ああ。」


 その答えを飲み込んだジャマルが、駆けてゆく気配。

 正面、闇の騎士は、しかし追う様子などは見せない。

 むしろ、

 ゆっくりと、美麗すらそなえて、騎士がとったその構えは。

 遥かな昔に用いられた、決闘の際の、礼、だった。

(いつだ、なにかの文献で見たことがある。千年――いやそれ以上前、不死の騎士団、)

 今はどうでもいい!!

 走り始める自分の思考を、叱りつけて治める。

 どのみち戦法についてまでの知識はないのだ。考えるだけ余計なことだ。

 やはり気持ちがうわついている。目の前の相手は、十年以上を兵士として過ごした自分をも――――自分をも?

 ふっ、と、あえて失笑を行い、気を静める。

 闇の騎士は、礼としての所作から、戦闘のための構えに移る。

 返礼をする気にはなれなかった。だが、

 せめて、不退転の決意を。

 盾を構えて、ヨハンは示した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る