save42 赤い水



   ■3■



 水鏡みかがみ通りにある宿屋、盾の安らぎ亭。

 店主である壮年の男性は、受付台の向こうで、言った。


「あぁ~、そのかたなら……。

 ほんの少し前まで、あなたのことを待っていましたよ」


 こちら、伝言を預かっています。と、紙片をロイドに渡す。

「ありがとうございます」

 頭を下げ、ロイドは、彼女への伝言を頼む。

「それから、こちらも渡していただけますか?」

 遠距離通話の魔導具を、カウンターに置く。

 店主は快く引き受けた。ロイドからの謝礼は、結構ですよと断る。

 そうして、少し表情を曇らせて伝える。「ご存知でしょうか……? ――はい。ええ。いま、王都は……、その、奇妙なことになっているんです。お連れのかたと再会できたなら、あまり……長居をされないほうがよろしいかと」

 ロイドは感謝を示して、宿を出た。



 外、雨は上がっている。

 灰色が、ちぎれた雲が流れている。

 伝言に目を通して、ロイドは行く。

 悔いはない。

 ツキというものがあるならば、今の自分には少々足りていないのだろう。おそらく、サイコロの目、ひとつ分くらい。

 目的の場所までは、それぞれバスが走っているらしい。足を進め、停留所を目指した。



 王立ルミランス魔導工科大学。


 魔導、工業、科学技術の、学習や研究を行なうための一大施設。

 大陸でも、指折りの大学である。

 広いキャンパスには複数の建物や講堂、棟が並ぶ。

 その、魔導研究棟の二階にある、

 魔法物質研究所。


 研究員の女性、ダーシャは、思う。

 部屋の雰囲気に、活気がない。もともと火がついたような賑わいのある場所というわけでもないが、静かな合理性が生む活力、といったものが、今はない。

 当然ではある。

 ダークネス。大勇者アルドの時代に、猛威を振るった人類の敵対者。

 うわさでは、どこかの村がそれらしきものに襲われたとか。

 王都のこの事態に、関わりがあるのだろうか。

 と、丁寧なノックの音が、四度。

 研究員の一人が促した声に応えて入ってきたのは、少年だった。

「アポ無しで、すみません」

 少年は、服の中から首飾りを引き出した。

「ぼくはロイド。勇者です」

 全員が、唖然として少年を見つめた。



 勇者ロイドは、説明をした。

「こちらに伺う前に、から水質管理を委託されている会社に行きました」


 そこで、次のような話を聞いた。

 数日前、水の味が変わった、という報告が、有意とみなされる件数に達したので、検査日を前倒しして、詳細な水質検査を行なった。

 結果、なんらかの魔法物質が、生活用水に混入しているらしい、と判明。

 しかし、それが何であるかを調べることは、自分たちではできない。

 そこで、大学に相談。

 大学は、サンプルをしかるべき場所に送付し、精査してもらうことを勧めた。


「その相談を受けたのがこちらの研究所だと聞きました。間違いはないでしょうか?」

 はい。と、所長のブルーノが答えた。

「おっしゃる通りです。確かに、間違いありません」

 受けて頷き、勇者は言った。

「今日、ぼくがこちらに伺ったのは、その水について、魔法物質の試料対照検査をお願いしたく思ったからです」


 ブルーノ所長は、はい……。と答える。


 魔法物質の特定は、むずかしい。

 機械には任せられず、人の手で行うしかない。

 しかしその種類は、知られているだけでも十数万種、今日でも増え続けている。

 そもそも、物質、というものが、極めて安定した魔法物質であるといえて。

 ないはずのものがあるかどうかを見抜くことは難しくないが、それがなんであるかを調べるのは極めて難しい。

 膨大な数の色相をすべて記憶しておき、強すぎる光に晒されながら、その微妙な違いを見極め、断定する。

 例えるならばそのようなことであり、可能とするのは、世界全体でも数えられるくらいの者たちだ。

 が、

 特定の魔法物質が、試料内に含まれているかどうかの検査ならば、話は違う。

 対照されるサンプルさえあれば、それは容易だ。

 手探りで、二つの積み木が同じ形であるかを探るのに似るが、それよりも遥かに易しい。


「それならば可能です。対になるサンプルが、ここにあるという前提で、ですが――100件以内ならば、なんとか今日中には結果をお知らせすることができるでしょう」


 勇者ロイドは、研究所のデスクに、二つの小瓶を置いた。


「それぞれに、同じサンプルを用いた検査を行なってほしいのです。

 用いてほしいのは、


 赤い水。


 ――ここならば、おそらくあると思うのですが」


 告げられた魔法物質の名前に、しばし全員が、ビンを見つめたままぼう、とし。

 のち、

 ぞくうううっ、と、背筋を震わせた。

「いかがでしょうか?」

「あっ、はいっ、」

 上ずった声で、ブルーノ所長は答える。

「ダーシャ君」呼ばれた褐色肌の女性が、反応する。

「この研究所で、彼女が最も、その高い技能を持っています。……それぞれに、三度の検査をして、30分ほどで……可能、だね?」

「はい……」

 ダーシャは、二つの小瓶を手にし、色のない声で頷いた。

「よろしくお願いします」

「はい。勇者様…。」



 奥の部屋にダーシャが入っていき、あとには気まずい沈黙が残る。

「……あの、お茶でも、」

 一人が言いかけ、いえ、と口をつぐむ。

 ロイドは彼女に、目礼だけをする。

 そして、所長に声をかけた。


「待っている間に、お伺いしたいことがあるんです。魔法物質、というものについて、ぼくは本で一度読んだことがあるくらいで、あまり詳しくはありません。それが持つ、階層、について、少し説明をもらえたら嬉しいのですが」

「……はい」

 所長は、胸中の重さを吐き出すように深呼吸してから、口を開く。


「――階層。我々は、深度、と呼んでいるものが、魔法物質にはあります。

 深度1、物質化した魔力の層。通常、人間が見えるのはここまでです。

 深度2、ここは物質化した魔法式の領域です。

 そしてここが異なると、同じ魔法物質でも、異なった特性を持つようになります。もちろん、炎が氷に、などと極端に変わるということはありません、が、幅は広い。例えるなら……、」

 所長は研究所のPCパソコンに目をやる。

「ハードとソフト、ということでしょうか」

「意味合い的には、そうです。実際には、一本のソフトの中の、他機能、といったところでしょうか」

 ロイドは理解を示し、ブルーノ所長は続けた。


「そして、深度3。この層を観測できた人間は、いまだ一人もおりません。ある、とだけ予言されている、世界の根源に関わると目されている場所です。

 ――この領域を観測するのが、広く魔法に関わる者たちの、目標でもあります」

 話し終えたブルーノ所長に、ロイドは謝意を示す。

 再び沈黙の帳が降りる前に、彼はまた、口を開いた。


「赤い水についても、お願いできるでしょうか。

 こちらも、ごく僅かな情報を、本で読んだ程度なのです」

「はい…。」

 所長は唇を湿らせて、

「我々も、その特性を全て把握しているわけでは、ないのですが……」と、前置きしてから、話し始めた。


 〈赤い水〉。

 邪教団、と呼ばれる非合法組織に所属する者――邪教徒たち――が行う入団の儀式に使われる、液状の魔法物質。

 それを摂取した人間は、肉体、精神面において、劇的と言える変貌を遂げる。

 たとえば、体格の大型化、暴力的性質の増大、など。

 ただし、全ての赤い水が同じ性質を有するものではない。複数種類の「特性」が確認されている。

 しかしながら、全てに共通する、知られている限りの、性質の一つとして、


「〈――それはまた、魂の剥離剤としての振る舞いも見せる。〉」

 …………。

 レポートの一節を引用して、所長は説明を終えた。

 ロイドは沈黙している。そのなかで、既知を確認している。

「――ありがとうございます」

 ロイドは説明の礼に、頭を下げた。


 やがて、

 真っ青な顔で、検査をしていたダーシャが扉を開けて出てくる。

 彼女は努めて冷静さを保った声で、検査結果をしらせた。

「間違いありません。両方に。

 こちらは、極めて濃く。

 こちらも、薄くはありますが、同じように。

 赤い水の混入が、確認されました」

 部屋が、深い沈黙に支配される。

 やはりか。という声が、無音のうちに流れていた。

 研究員たちに対して、ロイドは説明をする。


「濃いと断じられた一つは、マルコットの町の地底湖から。

 もう一つは、王都ルミランスの水路から」

 それぞれ、採取したものです。

 沈黙は続く。その答えも、みな予想していたようだった。

 しかしロイドが発した次の言葉には、さすがに目の色を変えた。


「これは、ぼくが頼んで、公表を控えてもらっていることなのですが。

 マルコットの町は、ダークネスに支配されていました。

 魔王を名乗った黒いドラゴンは、ダークネスだったのです」

 研究員たちは色めき立つ。

 口々に、ライラの無事を尋ねる彼ら彼女らに、ロイドは落ち着いた声音で答えた。

 さらわれたライラ様は、姫王国のエリス王女が、無事にルミランシティまで連れ帰った、と。

 遠い異国の、けれどこの国まで音に聞こえる英姫の名前が出てきたことに、研究員たちは声を上げる。その頼もしい驚きは、皆に一旦の落ち着きを取り戻させた。ロイドは、そこに乗せる形で、話を続ける。


「さて。

 委細は省きますが、魂を奪われていたのは、マルコットの町の住民のほぼ全員、一万人。

 逃れることができたのは、なにかの用事で暫くのあいだ外に出ていた人たちのみでした。

 想定されるのは、なんらかの方法で、いっせいに、全員の魂が奪われたということです。

 同じことが、王都ここでも起きる、と、ぼくは考えています」

 研究員たちの頭脳の一瞬の落ち着きの中に、その情報は滑り込んできた。しっかりと咀嚼する頭が、強い勢いで思考を始める。


 今朝の事件はそれが引き起こしたものだと結びつけるのは、合理の点でも容易。

 そして王都全てに行き渡る水、が媒体とされた現状を見るに、

 800万人が、危機にある、ということだ。

 無論、自分たちも含めて。


 ――辿り着いた結論現実は、しばらくの空白を置いて、染みて。

 皆の身体が、震えだす。


 勇者ロイドは、落ち着いた声で言葉を紡ぐ。

「もし、みなさんが逃げ出そうというのならば、ぼくはそれを止めません。

 ただし、大騒ぎにだけはしないでください。

 それは必ず、〈引き金〉になります。

 〈それ〉が今起こるのは、とてもまずい。

 また、逃げ出す場合も、効果がどこまで及ぶものか。

 水を口にしていない、信頼できる人のそばにいる。などの対策は、徹底してください。


 けれどもし、王都ここに残るのであれば」


 彼の口調が、穏やかに、強くなる。

 人を引き込み、慰撫する声。

 震えが、鎮まってくる。


「そしてもし、〈事態〉が起こってしまったとき。

 けれど、もし、みなさんが、ぼくを信じてくれるなら。


 願ってください。その魂に、強く」


 それがぼくの、力になります。


 勇者という存在を体現したように、彼は言った。



   ◇ ◇ ◇



 この場所にはかつて、〈山〉があった。

 それは危険を秘めると同時に、水を保ち潤いをもたらす存在でもあった。

 いま、ここは巨石の転がる岩場になっている。荒涼のなかに、岸壁の残骸が割れた塔のように尖っている。しかしその角は長年の風雨にさらされ丸くなっており、わびしさが刺さるほどではない。

 それら岩石の合間に、なにか真新しさを感じさせる、洞窟の入口はあった。


 大きな岩塊の上に立ち、エリスはそれを見下ろしていた。

 洞窟の周囲を確認し、地形的特徴からも、ここが資料に書かれていた場所で間違いないと結論付ける。

 この中に、邪教徒たちが潜んでいる。

 エリスは、胸中で思う。


 結局、時間内には、ロイドと出会えなかった。

 決めたとおりに、一人で来た。

 ただし、会えなくて、ほっとしている気持ちも少しある。

 まだまだ、自分は弱い、と思う。

 けれどいまは、守るために。


 エリスは、深く呼吸をして、


「よし……くぞ」


 自らに聞かせるように、つぶやいた。


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