save39 雨は降る
■2■
体が吹き飛ばされた。
また、あそこに戻るのか。
嫌だ。
またあの暗闇の中に戻るのは嫌だ。
抜け落ちた魂は、しかし転移してきた二人に拾われた。
ルミランス城。
その近辺に建てられた、兵舎。
広く簡素に造られた一室に、ひどくガラの悪い男たちがたむろしていた。
兵士の制服を身に着けてはいるが、思い思いの着崩し方で、統一感のかけらもない。
どれだけ控えめに言っても、彼らは野盗の集団だった。
そのなかに、ひときわ目立つ大柄な男がいた。スキンヘッドの、特に粗暴そうな目をした大男。
「ゴッパ様」
話しかけられ、男は荒い声を上げて睨みつける。ずいぶん苛立っている様子だった。
声をかけた男は、大男の勘気に触れないようにしながら、要件を伝える。
「例の道化師が、あんた……様に、会いに来てますぜ」
言われた大男は、相手のことを考えた様子。そして胡散臭さを隠そうともせずに顔をしかめたあと、ちっと舌打ちし、しぶしぶ立ち上がった。
そんな大男の前に、すらりと人影が現れた。
なるほど、確かにそれは、道化師だった。
道化けた先垂れ帽子をかぶったような。細い足に、つま先の尖った靴を履いたような。けれど服装ではない。それは道化師の形をした一つの生き物だった。
魔族である。
両の瞳は、純粋にも見える輝きを放っている。その輝きを、子供の様と表現することもできるかもしれない。ただし、そこには悪意だけがある。無邪気な残酷さとは異なる、明確な悪意だけが。
自分たちを現世に呼び寄せた人間。その補佐、のようなことをしている奴だと思われる。
道化師は、歌うような調子で口を開いた。
「キミが執心の、子らが来たヨ」
ぴく、と太い眉が上がる。
ゆらゆらと、身振りを交えながら、道化師は伝える。
「捕まえて、ウサを晴らす、ナリと何なりすればいい。随分と待たせてしまったけれド、サア、キミは今から、自由だヨ」
ハァッ! 思わず、腹からの声で笑う。あいつらが来た。そしてようやく自由に動ける。延々と待機を命じられていた現状に、これは二重の喜びだった。
「それはソレとして、」
道化師は命じた。
「ダークエルクの少女が、いま、
彼女も、捕まえて欲しいんダ」
君たちが動きやすいよう、噂は事前に撒いてある。
他の仕込みも、済ませてある。
だから多少の無茶は大丈夫。と、道化師は笑顔で言った。
大男――ゴッパは立ち上がると、部屋中に響かせる号令をかけた。ざわざわと、部屋にいた男たちが動き始める。
「…………やってやるよ」道化師を見下ろし、すれ違いながら、ゴッパは、それだけを言った。
ゴッパの背中の向こうで、道化師が云った。
「――今は、好きなように。ただし、君の力は使っちゃ駄目だヨ。
そして、次の命令は、
逆らうことによる不利益は、誰が
ウフフフフフ」
その声には明らかに、邪悪の愉悦があった。
道化師の笑い声が、虚空に響いた。
◇ ◇ ◇
大城壁に設えられた門を抜けて、王都に入る。
街並みのあちこちに影が佇んでいる。路上、街角、行き交う人々の間。
小雨が降っている。薄暗い雲が、空を隠している。
それらの影は覆うように、全てに薄闇を忍ばせていた。
ロイドはルミランシティに戻ってきた。
エリスから遅れること三時間。複数のドライガーを乗り継いできた。
王都に入ってからは馬車を拾い、先程、飛行鯨の発着場前で降りた。
降車場所をそこにしたのは、最初に行くべき場所に近かったから。
あとは、少し道を歩きたかったから。
感傷も多少あるのかもしれない。あればいいなと思う。
いつもの王都を知る人ならば疑問に思うだろう街の中を、一人歩く。
人の間を抜ける。精彩を欠いた明るい石畳の、各所を飾る花々も、いまは身を潜めるようにうずくまる。
王都を出る前には見なかった〈人形〉たちがあちこちにいる。マルコットの〈人間もどき〉とも異なるヒトガタの存在。――もっとも、あまり驚くことでもないだろう。
雨粒に撫でられながら、足を動かす。
傘をささずに足早で行く人たちが目につく。どんよりと、しかしなにかに怯えるように
そんな光景を横目に見ながら、ロイドはエリスのことを考える。
いま、彼女は……、
《自省をして、罪悪感をいだき、話を聞く態勢になっているころだろう。》
そんな彼女に〈誠意を見せる〉ことで、〈信頼を勝ち取る〉のが、いま、ぼくがするべきことだ。
降る雨の温度が、下がり始めた。
濡らせる滴に、人は温もりを奪われることを恐れ、
けれど、人間以外は気にしない。
彼女の思考ならば、一番最初に「ロイドは悪者ではなかった」という向きの結論に至るはず。
それを起点として振り返ることで、「ロイドの行動には理由があったのだ」という考えに至る。
それは促す。彼女に自省を。
自身の悪癖のゆえに、暴走してしまったと。
最終的には、他者を責めない彼女の美徳は、自身を
間違っていなかった、ゆえに信じる。
罪悪感がある、ゆえに話を聞く気持ちになる。つまり、より心が開く。
そこを突く。
不信を抱いた同行よりは、冷却期間としての別離を経た再会。
与えたストレスが、すべて逆転する瞬間。
彼女に対して〈誠意〉を見せた時に、その効果が最大になるタイミングは、今だ。
エリスに自分の意図と、〈能力〉を説明すること。
彼女自身に非がある時、それは成るだろう。
たとえそれが、実際として、悪いのは、明らかにぼくのほうだったとしても。
彼女は優しいから。
ぼくを信じてくれているから。
過不足なく〈説明〉を行い、さらにこの先に待ち受ける危機、その大きさを伝えることができれば。
確信を持って、納得。とはいかないだろうが、意識の隅にも置かれない、ということはなくなるだろう。
それでいい。
小さな願い、でいい。あとはそれを、大きな願いの呼び水にする。それをやるだけ。
ゆえに、現状の最優先は、エリスとの再会。
時間はない。
必要なのは、たっぷりとした、会話の余裕。
なによりも貴重なのが、すなわち時間だ。
ロイドは、足を宿屋に向ける。王都に来た日、あの
エリスは、そこにいるだろう。
そう、ロイドは考える。
無論、絶対とは思わない。
振れ幅はあり、最悪は、半々まで落ち込むだろう。
けれど、おもいたい。
待っていてくれる可能性のほうが、ある、と信じたい。
いてほしい。それを願うのはこのぼくだ。
考えながら、小瓶を取り出し、近くにある水路に向かう。
宿でエリスと再会できたならば、説明をしたあと、一緒に向かうべきところがある。
屈み込んで、水を汲んだ。
かつて〈地底の塔〉と呼ばれた、エンシェントダンジョンが王都にはある。
元々この都市は、そのダンジョンを攻略するための、宿営地から始まった。
そして大勇者アルドの時代には、都市国家ルミランスとして、当時の国々で最大規模の隆盛を誇るにいたる。しかし時同じ頃、闇の軍勢の手により、ルミランスが水源としていた山が、破壊されてしまう。
そこで、エンシェントダンジョン同士の、空間に放つ魔力力場の相似を利用した、大掛かりな物質転送の魔法工事が、狂賢者プリオリの手によって施された。
繋がれたのは、〈天地の湖〉と〈地底の塔〉。
巨大な、深い穴の中にそびえていた塔は、今。その頭だけが、湖の中から覗いている。
〈湖の塔〉。
そのエンシェントダンジョンは、
ロイドは、水を入れた小瓶を懐にしまった。
そしてふと、顔を上げる。
寒さに濡れるような周囲とは反対に、熱に浮かされた人たちの集団が目についた。
なにかを打ち据えるための長い棒を持って、彼らは走っていく。
――あっちだ!
こことは違う、どこか向こうから――これは無機物の――声。
――そこだ、いたぞ! ダークエルクだ!
続くのが人の声。
なにかが起きているらしい。
現状を改める。
必要なものは、時間。
かかっているものは、世界で一番大切な
無駄にしていい時間はなく、先の見えない事態に関わる余裕はない。
ロイドは、
.いかない
→.いく
声の方向に、足を向けた。
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