save38 彼女は振り返る



 エリスは今、走っている。

 先程の門番に、もはや危険だと、知らせに行くために。

 重さを増した空の下、

 足を速める。


 兵士の少年は、変わらずそこにいた。ひとまず安堵して、近寄る。

「もし、そなた、

「こレはエリスさまぁあああああっはははっははは!!」

 ぱんっ

 カタカタと頭を揺らし笑っていた少年の姿が、人形になる。


 どくどくと、鼓動が耳元で鳴る。

 動悸が荒い。気も高ぶっている。


 エリスは立ち尽くす。

 落ちた人形の傍らで。重く垂れ込めた時間のなかで。

 前だけ向いていた思考が、足とともに、止まった。

 ――どれほどか時を止めたあと、やがて、彼女は歩き出した。



 城からやや離れた場所にある、公園。

 普段は憩う人々も多いのだろう。けれど、いまは誰もいない。

 空は、先ほどよりも暗くなっている。

 エリスは一人、腰を下ろして。

 大きく息を吸い、吐いた。

 辺りは相変わらず誰もいない。鳥の声すら無い。浅く造られた水路に流れるせせらぎの音だけ。水路に埋め込まれた丸石の凹凸を擦る水音は、しかしなにか、不協和音に聞こえる。

 けれどその音色に耳を澄ませ続けるうちに、音が均整を取り戻し始める。

 エリスは、思考を始める。

 恐れは未だある。けれどいま、身体の中で乱れて混乱していた〈血〉が、その落ち着きを取り戻そうとしているのが、わかる。

 目撃したもの。

 手に入れた情報。

 それらを再確認する中で、あの時の、マルコットの町での記憶がいくつか、思い出されていく。

 耳の後ろで鳴っていた心臓の音が、ゆっくりと鎮まっていく。

 そして、それら思考の欠片が、一つに集まってゆき…………、 


《ロイドは間違っていなかった。》


 ず、と収束した。

 エリスの思考回路は、最初にその結論を導き出した。


 定まったことによって、記憶の断片フラッシュバックが整然と列をなして、並ぶ。

 思考の流れを、滞りなくさせる。

 流れのなかから、推測が浮かぶ。

 

 王都ルミランスの異常。彼はこの状況を、知っていた。いや、おそらく予測していたのだ。


 タイミングを考えれば、ダンジョンシティで、ロイドはルミランスターに出会っていたのかもしれない。そこで、話を聞いたのかも。まだ確証はないくらいの、この事態の前兆を。

 だから態度が変わった。

 ではそれをなぜ伝えてくれなかったのか、だが、

 なんらかの、理由があったのだろうと考えるべき。

 少なくとも、彼に悪意はなかったのだろうから。


 そう、理由は定かではないが、自分に黙って、ドラゴンを倒さなければならない、なんらかの理由が、彼にはあったのだろう。


 それはきっと、この異変と繋がっている。


 彼がほのめかした、城の異変。

 たぶん、と言っていた。

 彼も、ルミランスターも、やはり確証はなかったのだろう。

 そうか……。ライラ姫が偽物かもしれないと、あの時点で疑っていたのだろう。あの行いは、それをなんとか改めようとしたものか。


 そしてそう、あの台詞だ。


〈さらわれたライラ様は、その後入れ替わったりしていない本物である。〉


 彼はそう言っていた。

 天は、全てを甘々に与えてくれるものではない。だからといって突き放しもしない。謎掛けだったのだろう。

 彼はそれを読み解いたのだ。


 ……そう。

 振り返ってみれば、わたしは確かに彼のことを信じていた。

 賢さや、垣間見える勇敢さ。優しさ。彼が示してくれたもの。

 それは、この胸の中に、間違いなくある。


 彼のことを、約束を破り人を騙して悪びれもしない、恥知らずな人間だと、思った。

 それは自分が、彼をそのような人間であると考えたからだ。

 彼に自分を浅く見られたと思ったのは、わたしが彼をそのように見たからだ。

 他人は自分を写す鏡とはこのことか。


 恥を知るべきはわらわの方だろう。


 息を詰めて、一気に思考し、

 エリスは、自省する。

 ロイドに対して、申し訳ない気持ちを抱き、嘆息する。


 では、彼と合流するべきか。

 彼の話を、聞くべき、だろう。

 だが、ロイドとは、なんの約束もしていなかったことにここで気づく。

 どこで、いつ、出会えばよいのか?

 ……二人に共通の場所。あの宿屋で待つか。

 だがそれも、今は少し、二の足を踏む。

 この現状で、時間が惜しいのはもちろんだが、顔を合わせづらい気分もやはりある。

 思いとしては、複雑すぎた。

 考えていると、空がいよいよ重くなってきた。

 パラパラと、雨粒も降り始める。

 ――やはり待とう。

 あの宿屋で。

 エリスは決めた。

 時間を決めて、待とう。

 それでも彼が来なかったら、一人で行こう。

 エリスは、腰を上げた。


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