save37 日は陰る
――――城を出た。
陽の光が、エリスを包む。
照らす太陽はあまりにもそのまま過ぎて、あたたかくて。怯えが、じわりと溶けていく。
明るさの中で息つきながら、エリスはいま見たものを振り返る。
まず疑うべきは自分の正気かもしれない。そうも考えつつ、長い息を吐いていると、
「あの、エリス様で……、いらっしゃいますよね……?」
門番の兵士――城門を任されるにしては、若すぎる少年――が、声をかけてきた。
エリスはハッとして兵士に向き合う。宝石の効果は消えている。名を呼びつつも確信を持てない、その質問が意図するところは、つまり――――。
「うむ。ルシーナ・エリス・プリンセシアである。……必要ならば、窓も見せよう」
「はい、いいえ。エリス様。……そのお言葉だけで、十分であります」
兵士の少年は、心から安堵したように、少しだけ笑顔を見せた。
「そなたは……人間、であるな?」
「はい。エリス様」
顔を険しくして、エリスは彼に、なにがあったのかを尋ねた。
兵士は説明をした。
今日の早朝、王都の各地で、目を覚まさない人が大量に発生する、という事態が起きた。
気絶や
「この――、奇病ですが。症状が出ているのは、三万人を下りません」
「なんと……」
それは、ダークネスに襲われた人間の状態と酷似、というよりは、同じものだと思われた。けれど、ダークネスの跋扈など、この王都内では確認されていない。
更には――最悪なことには――城の中、ほぼまるごと全てが、おかしくなった。
命のない、人形のような者たちが、城内を彷徨う異常。
「……うむ……」
まさにその目で見てきたエリスは、重くうなずく。
そしてここで初めて、一国の王がそのようなものになり変わられているという事実に、大きく
だが目の前にいる若い兵士にそれを言い募っても意味はないし、第一自分が、その大きさを完全には飲み込めていない。さらなる混乱の種を宿しながら、エリスは口を閉ざして兵士の話を聞き続ける。
「警察軍からの救援要請が、当然城にも入りました。けれど、城もこの状況だったので、なんの手も打つことができませんでした。
いま、警察には、市民のパニックを抑えてもらっています。それだけが精一杯なのです」
そして兵士は、事態と共に王都を包んだ、流言にも言及する。
数日前。
邪教徒の一団が、アトリネフという村を襲った。
それと時を同じくして、王都に一つの噂が流れた。
「王都内で、それを見かけた、と……、これはあくまで、噂なのですが……」
〈ダークエルク〉。
「その目撃情報に伴って、今日のこの事態に、ダークエルクが関わっているのではないか。そんな話も、まことしやかに囁かれているのです」薄く青い顔で、兵士は言った。
――時を
悪名高き、一人のエルクがいた。
白肌と翠眼を基調とするエルクの中にあり、黒肌と赤眼をもって現れた異形。
善人殺し。
大量殺人鬼。
ダークエルクと聞けば、人々が一番に思い出す、その男。
悪逆のダークエルク シュド。
「繰り返しますが、あくまでも噂です。ただ、このような異常が起きている現状では、事態の原因がそのダークエルクにあるのではないかと考える人も多いようで……」
エリスは黙して、その話を受け止める。
「一方、こちらは、ある程度はっきりしている情報なのですが。
邪教徒のアジトが、この近くで見つかったというのです」
む。エリスは反応する。
間違いなくそちらのほうが、事件の核心に、より近いもののはずだ。
「実はいま、難を逃れた軍や政府関係者の方々が、秘密の場所で対策を会議中なのです。 ――これは、あまりにも身勝手なお願いなのですが……。
どうか、エリス様。
あなたのお力を、我々に……」
「無論である。場所を」
兵士の言葉を遮るように、エリスはきっぱりと言った。
「はい。 ……心より、感謝いたします」
兵士は、深く頭を下げた。
会議の行われている場所を聞いて、エリスはゆく。
頭の中で、一度勢いを弱めていた火が、また強く燃え始めている。
ただし、ロイドへの怒りではない。
事態に対し、足を前に進めるための熱量である。
ロイドへの感情を忘れたわけではない。
火の燃える根はそれらの情動をも揺り動かし、結果思考は、頭部の両側で千々に乱れる。
それは例えば、ライラのこと。
ライラは本物だと、勇者は答えたのではなかったか。天がそれを、保証したと。
――言葉遊びだ。
昔、母にからかわれたことを思い出す。
嘘をつかれた、と考える前に、それが浮かんだ。
あの時、問いかけにはなんと答えていただろう。
思い出せない。歯がゆい。
振り返れば、会話の中身をほとんど覚えていないことを、あらためて実感する。
いまさらに、我が身を悔やむ。
聴き逃していいような内容ではなかったはずなのに。
エリスは歯噛む。
しかし前を向く。
それらの思いに目を向けることは、一旦やめて、
今は走ろう。
いま、この国で、なにが起きているのか。
それを確かめるために。
だっ、と地を押し。
エリスは駆ける。
静かな場所に佇む、植物園。
その、地下。
通路をしばらく進んで、四番目の扉。
清潔な通路は白い。
防音なのだろう。部屋の中から物音は漏れてこない。
ずっしりとした扉。金属のドアノブ。
回して、開けた。
羽虫の群れをぶちまけたように、アコーディオンの音色が飛び出してきた。
「「「きゃっははははは!! あっははははは!!」」」
空前の乱痴気騒ぎが、繰り広げられていた。
部屋の中では大の男たちが、甲高い声を上げて踊り狂っている。
総毛立つエリス。
そこには、邪気が渦巻いていた。
喝!
祓うように、気を放つ。
ぼん、と間の抜けた音と煙を放ち、人の姿はカラカランと地に落ちた。
静寂。
エリスは、床に落ちたそれらを見る。
(人形……?)
子供のおもちゃくらいの大きさの、顔のない、木製の人形だった。
――静けさは、胸に苦しい。
部屋は、先ほどの騒ぎで散らかっていた。だが、ここで会議が行われていたのは、おそらく間違いがない。
飲み物や、タバコ。生活感にも似た人の痕跡が、テーブルの上などに散見される。それらは飲みかけであり、また、煙を立てる、吸いかけであり。
では、ならば。この場にいたはずの人々は…………、
またもぞくりと、怖気が走る。
――いつ、なにに、飲み込まれたのか。
部屋が、異質のざわめきを放ち始めたように感じた。
あたりを見回す。それぞれの物の角度に奇妙なゆらぎが生じているように見える。またこれはこの異常の中では些細なことだろうが――アコーディオン、あるいはそれに類した楽器は、部屋のどこにも見えない。
エリスは寒気を覚えながら、部屋を探る。
やがて目星をつけた書類の中から、情報を見つけた。
邪教徒たちの、アジトの場所。
そこがこの事態の元凶であると、書類にはあった。
とある闇の秘宝を用いて、三人の邪教徒たちが、その場所である儀式を行なった。それがこの事態を引き起こしたのだという。
〈邪悪の宝珠〉。
そのアイテムさえ奪取することができれば、人々の魂は解放され、この事件は解決する。
書類を手に、エリスは部屋を出た。
通路を進み、階段を登る。
見上げた空は、いつの間にか曇っていた。
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