save36 悪夢の中で



 ルミランス城。

 その一階部分は、世界に今日こんにちほどの平穏がなかった時代に、築かれた要塞である。

 長い時代をへて、外側や増築された居城部分には、美しさをまとった改修などが施されているが、対モンスターを想定した砦部分は、剛健さのみを重視した、がっちりとした硬黒石で造られている。


 採光性も限りなく低く、薄暗闇が通路によどむ。

 そんな中を、一人分の足音。

 こつり、こつりと歩くエリスは、ふと、違和感を感じる。

 なんだろう。

 腕にかかる重みをたしかめつつ、前方をぼんやりと見つめてみる。

 この暗闇か。

 通常、光源はいつでも用意されているはずだ。

 それもたしかに妙ではあるが。

 ああ、そうか。

 出迎えが一人もいないのだ。

 いや、それは、どこにも話を通さず急に帰ってきたからか。

 いや、それにしても。

 しずかな廊下に、こつり、こつり、一人分だけの足音。

 消えることなく、反響していく。

 ……これは、つまり……、


 人がいない。


 ――ぞく、とした。

 それは何もない静けさであった。眠りについているような静かさではなく、死のような静寂であろうか。

 ――ふと、何かが聞こえてくる。

 音楽であった。

 場違いに陽気なメロディが、細く細く、どこか遠いところから、漂ってくる。

 うっすらと染みるような暗闇のなかを掻き分けて、そろりと冷たい先端が、か細く耳の中に差し込まれる。

 こつり、こつり、踵は鳴る。一歩一歩が、まるで冷気を吹き散らすように。

 動悸を早くし、淡く開いた唇から息をこぼし、エリスは思い返す。


 ロイドがなんと言っていたか。


 かろうじて思い出せる、幾つかの言葉。

 きっと、城が一番危険。

 どくりと、全身がざわめく。

 腕の中の温かみに思いをやる。幾らかすがることもできようはずなのに、両手の中の重みには寄る辺とできるものを感じられない。

 城に入った途端、ずっと沈黙のライラだからか。

 彼女はどうして、この異常に対してなにも言わぬのか。

 巡る戸惑い。ひたりと迫る恐怖を背中に感じつつ、彼女を腕に、怯えを内に抱えながら、エリスは静かに廊下を進む。


「エリスさま」


 びく、と震える。

 一瞬、その声を、人形のようだと感じたために。

「玉座の間へ お向かいくださいまし」白魚のように細い指が、さあ、あちらへ。と指し示す。

「……はい」

 エリスは、それに沿う。

 こつり、こつり。

 蒼然とした石造りの廊下に、反響は寒く。

 そろり、そろりと、まとわる冷気に撫でられて、ゆく。



 玉座の間。

 居城部分に設えられたその場所は、石造りの広い空間であり、高く取られた窓からおごそかに、時を染み込ませるような光を流して部屋を濡らす。

 本来ならばこの場所は、それほどに荘厳な佇まいであるはずだった。


 だが今は、空虚な光がぺらぺらと、ただ紙のように張り付いているだけ。

 玉座の間は、ガランとしていた。

 人はいた。ただし、いるべきであろう人の数ではない。所在なさげに立ち尽くし、あるいはさまよう、数人だけが。

 もう一人。

 部屋の奥、謙譲と謙虚を重ねたほどの高みに備えつけられた玉座には、ルミランス王が座っていた。

 彼は二人を認め立ち上がると、がば、と大仰に両手を広げた。


「おお! ライラよ! 愛しきわが娘よ!!」

「お父さま!!」


 エリスを振り払うように石床に降り、ライラは駆け出し、王に抱きつく。


「おお ライラよ! 無事でなによりだった!」

「ああ お父さま! ふたたびお会いできて ライラは嬉しゅうございます!!」


 王は、ライラを腕に抱いて、朗々とした声を出した。


「エリス姫よ 此度の働き 見事である!!


 ご苦労であった!!!」


 …………。


 沈黙。

 二人は黙ったまま、踊りだした。


 …………。


 思考の止まった眼差しで、エリスは目の前の光景を見つめている。

「あの、


 あはははは

 うふふふふ


 反応はない。


(なんだこれは……。)

 エリスには、いま、目の前にいる二人が、人間だとは思えなかった。

 ルミランス王については、はっきりと、あの時の陛下ではない、とわかる。

 そしてライラについては。

 助け出したライラ姫が、この腕で抱き上げてここまで送り届けた彼女が、万が一にも、途中で入れ替わったはずはない。

 では……、


 ライラ姫に、ぼくがなにをしたか。


 ぞくり、と背筋が震えた。

 震えは部屋を塗りつぶすように広がった。途端、この部屋の光景が、異質なものに姿を変えたように見えた。

 自分は今、名状めいじょうしがたい、なにかの中にいる。

 エリスはきびすを返した。

 踊る二人の笑い声を背中にしながら、玉座の間を出る。

 途端、巨大化した音楽が城内に流れ、エリスを包んだ。押し付けられる音圧に、まず竦み、そして恐れる。

 身を震わせて、足を速める。

 エリスは目撃する。来るときは閉まっていた全ての部屋の扉が開いており、中では人々が踊っている。

 通路は続く。すれ違う扉の中の、全てに同じ光景が広がっている。

 なんだこれは。なんなのだこれは。

 悪夢の中で目を回しているような酩酊感に、足元をおぼつかなくさせながら、今はもう、彼女は走っている。

 鳴り響いている音楽は、ひどく賑やかしい。しかしそれはあまりにも空々しく、虚ろに響いた。

 エリスは逃げるように、駆けた。


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