第七章 ルミランスを覆う影

save35 城へ



     緑なす豊穣の地に御稜威みいつをささやく、

     あの厳かなる謙譲の美徳こそ、

     なべての人々が思い描く尊き語り “ 大冒険 ” の、

     若かりし勇傑たちが遭逢せし清雅の地にほかならぬ――

     すなわち見上げあげてもなお足りぬ城壁の堅牢なるに守られし、

     よどみなき流麗たる上水うわみずの美しさを纏えしは、

     ぼうて廉潔にありつづける、しらべる名すらうつくしい、

     果てなき悠久の都ルミランス




 ――風が、通り過ぎてゆく。

 城壁に立つ、兵士の前を。

 急ぎ足で、歩く市民たちの合間を。

 都の中心に建つ、城の前まで。



   ■1■



 大堀に湛えられた静かな水が、招き入れるように凪いだ水面みなもを見せている。城内へ続く開かれた大門は、掻き抱く巨人の両腕のようだ。

 内と外。二つの世界を繋ぐために下りた跳ね橋が、両のへりに架かっている。


 白い風が巻いた。


 突如現れたかのように、その場にエリスがいた。ライラ姫を横抱きにしている。

 マルコットの町より脇目も振らずまっすぐ駆けて、三時間。

 王都に入ってからも速度を緩めなかったのは、途中で足を止めたくなかったから。誰何すいかの声もなにもかもを通り過ぎて、ここまで走りたかったからだ


「……到着いたしました」

 声をかければ、腕の中でライラが微笑む。

「ありがとうございます。けれどもし願えるならば、このままお連れくださいまし、エリス様」

「……はい」

 エリスは歩を進める。

「よろこんで。否のあろうはずもございませぬ、ライラ様」

 ライラはうっとりとした表情を見せる。

「――ああ、今日はライラの夢がかなった日ですわ。こんなにも素晴らしいこの日のことを、ライラは生涯の宝物にいたします」

 いつまでも少女のような顔立ちに、夢を載せる彼女の笑顔を近くに見ながら、エリスは思い返す。


 およそ四年前に、一度きりだが、顔を合わせたこと。

 ライラ・マリーダ・ルミランス姫。

 年上の彼女は、けれど、物語が大好きだと。

 話がとても合って、すごく素敵な人だと思った。

 しかしいま。嬉しげに語る彼女に、その時と同じ気分で接することができないのは、自分の気持ちがひどく荒れているからだろう。


 ロイドのことだ。


 もはや遠くにすら感じる、今日の朝。

 ルミランスターのユキに起こされて、話を聞いたとき。

 姫をさらったドラゴンは、魔王ではない。ダークネスであると。

 驚いた。だが、まだ、ただの驚きであった。

 ロイドがそれに、一人で挑んだと、聞いたときほどのものではない。

 それこそは驚愕であった。まさに身が震えるほどであった。


 けれど敗走。

 エリス様の助けを、まっています。


 奥歯を噛み締めて、走った。

 考えることはできなかった。

 頭の中は、単純な問いの繰り返し。


 なぜ。なぜ。なぜ。


 どうして。


 頭の中を、問いかけが埋め尽くして。

 それらは当然、思考の助けにはならない。

 止まらない「なぜ」に、焦燥。

 吐く息だけが、熱かった。


 やがて目にして。

 洞窟から、出てくるロイドを。

 その後から、現れたドラゴンを。

 それを目にして。


 ああ、事実だ。とわかって。

 ひどく、悲しくなった。


 そう、そのときは、ただ悲しかったのだ。とても。


 その後の彼の言動に手を上げはしたが、それは瞬時の激昂であった。

 源流の一筋であることに間違いはないが、まだ、今に続く怒りの源ではなかった。

 彼の失禁に気づいて、怒りを一度鞘に収めるくらいはできた。刀身自体は、激しく熱を持っていたにしても。


 その後色々な話を聞いて、ただ、あまり耳には入らなかった。

 ルミランスターやロイドからも、重要と思える話を聞いたはずだ。自分でも、なんらかの確認はしたのだろうが、ほとんど覚えていない。


 ロイドが、ライラに働いた狼藉。そのときの激情。

 それにすべて上書きされた。

 抑えていたものが、完全に切れた。


 怒りが、そのタガを外したときに。


 その瞬間、エリスはロイドへの、赫怒と憎悪に身を任せたのだ。

 血は上り、理性を手放し、自身の中の赤い竜は解き放たれた。


 これは、どちらかといえば、エリスは自身の悪癖のゆえに我を忘れたのだといえる。

 自らの内側に潜む、鮮紅の嵐。

 そういった気性が自分の中にあることを、彼女も自覚「は」していた。

 しかしこの度、彼女はそれを、許し、委ねた。

 

 そのときから、苛立ちはずっと継続していた。 

 ふつふつと沸き立ち続けたそれは、しかし、ロイドに向いているというよりは、我が身のうちより湧き出ている、彼女の『血』のようなものであった。


 いまだに過剰なほどのいらだちを持て余している。だからライラのことも、胸が悪くなるくらいイライラする。

 そんな、彼女に嫌悪すら感じてしまう自分自身を、果てしなく嫌悪する。

 願わくば、どうにか体面を保ったまま、この任を終わらせたい。

 いまのエリスにあるものは、そのような気持ちだけだった。


 城を囲む大堀は、造られた当初からある種の美観を備えていた。深く、静かに湛えられた水の上、かけられた橋を、エリスは渡る。

 門を通り抜ける二人を、若い兵士が、何かをこらえるようにして、見送った。

 凱旋気分は、まったくなく。誇らしい気持ちは微塵もなく。

 エリスはライラを抱き上げたまま、城へ入った。


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