Love to BraveⅠ 後編 ~愛と勇気~
承前 ~エリスの昔話~
ルシーナ・サンハランス。
ただの町娘だった彼女には、一つの夢があった。
お姫さまになる。
その決意をいだき、大勇者アルドらと共に旅をした彼女は、大冒険のはて、自らの国を
天は彼女を祝福し、王の証となる冠を授けた。
姫王、ルシーナ・プリンセシアの誕生である。
その名と証は、アルド・ルシーナ姫王国、代々の姫に受け継がれてゆく。
当代の姫、名を、
ルシーナ・エリス・プリンセシア。
という。
姫王国女王エリーゼ、佐王マオスの子として、天より生を授かった彼女。
赤子の時点で、レベルは100を超えていた。
奇跡の
エリスは、戦闘職には就いていない。
故に、モンスターを倒して得られる戦闘経験値を、得たことはない。
けれど齢6歳の時、彼女のレベルは、通常の人間の限界、300を越えていた。
当時、エリスはわがままな子供であった。
始まりは、ただの
幼児の癇癪は、自我の芽生えとともに生じる欲求が、叶わぬ時に起こる。
たとえばそれは、お腹が空いた、おしめが気持ち悪い、といった訴え。あるいは、このご飯はお気に入りのスプーンで食べたい、という些細な願いが伝わらないときに生じる不満。そのようなことをきっかけとし、当然それらは悪いものではない。
基本的に、幼児の癇癪は、叱りつけ、押さえ込むものではない。
しかしながら…………
――覚えている。最初のわがままの記憶。
お菓子が欲しくて、棚を壊して。止めに来た母上を跳ね飛ばして、叱ろうとした父上も気絶させて。
許されないことをしたときには、きっちりと叱り、躾ける。それはとても大事なことだ。そこを野放しにしてしまうと、人の骨は歪むものだ。
幼いエリスの問題は、その点にあったといえる。
わがままが力づくで通ってしまい、それをたしなめられる人がいなかった。
多くの場合、子供は、叱られる恐怖、あるいは嫌悪。あるいは痛みによって、自分が行なった行為の悪徳を知る。
最初は単純な◯と✕、その積み重ねによって、善悪を学ぶ。
おそらくは、エリスにとっても不運なことに、彼女は「痛み」あるいは「恐怖」というものに対しての理解が、非常に鈍かった。
そのことが、「罪悪感」の理解を阻害した。
両親も、最初から強い罰を与えることで、しつけようとしていたわけでは無論ない。
二人は
それでも時折、エリスは反発して、二人を払った。
彼女の両親が、六歳になるまでのエリスに気絶させられた回数は、合わせて千にも届く。
そして、六歳になってからのエリスには、それを上回るペースで気絶させられている。
エリスの中には、両親への反発の芽が顔を出していた。
父と母が、育児の方針を、より厳しいものに切り替えた頃である。
それに対して彼女は、力づくで押しのけるか、さっとその場を逃げ出すかであった。
大前提として、幼いエリスは、両親のことは愛していた。
それは二人がエリスに対して注いだ、愛情の深さに比例するものだった。
しかしながら、同時に両親を下に見る気持ち。自分は強い、彼らは弱い。そのような感情もまた、育っていた。
その萌芽は、父と母の目にも留まっていた。
ある日。エリスは大事件を起こす。
叱られたことに不満を持ち、城下で大暴れをしたのだ。
膨大な魔力により、威力と指向性を伴って発射されたエネルギーが、建物、城壁、様々なものを崩壊させて、人を巻き込んだ。
――母に頬を叩かれた。
いやな気持ちになったので、物に当たった。物が壊れて、偶然、人にも当たった。
エリスは悪くない。
自分でも信じられないが、当時は、本当に、それくらいの気分だった。
気絶したのは、姫王国首都の住民、数千人。
幸いにして、犠牲者は出なかった。
救助作業が終わって、
エリスは、姿を隠している。
どこからともなく現れては、飲み、食べて、また姿を消す。
父、マオスは一つの決意を、母、エリーゼに伝えた。
君は軽蔑するかもしれないが、これが僕の決めたやりかただ。 ……上手く機能するかどうかは、正直わからないけれど。
エリーゼは、夫の言を受け入れた。
しかし。それで、よいのか。
エリーゼの、短い問いに、
いい。
マオスは答える。
生涯、彼女にとっての、恐怖になってもいい。
天より授かった子を、人として、正しく育てられないのなら。
そんな弱い人間は、そもそも、人の親にはなれないのだから。
マオスの職業、狂戦士。
理性を吹き飛ばすことで、自身のステータスを、数倍に増幅することができる。
六歳になる我が子の首を締め上げ、天に突き上げ、吼える。
これが暴力だ! これが悪徳だ! 強者の理不尽な暴力にさらされる矮小の恐れだ! 恐怖だ! 痛みだ、苦しみを焼き付けろ! 喘ぎながら許しを請え!
エリス!!
エリスは気絶する。
――あのときは。ただただ怖かった。おそろしかった。
痛く、苦しく、悲しく……。
嫌だ、と、思った……。
ベッドで目覚めたエリスの
泣きついた娘を、母は優しく抱きとめた。
自分は味方だと、示す態度で。
エリスはこぼした。
父上……きらいだ!
深い憎しみのこもったその声に、
エリーゼの目に、火が燃えた。
ぱんっ
娘のほおをはった衝動の理由を、しかしエリーゼは瞬時に理解した。
抱きしめる。
すまぬ。いまのは、妾の……ただの八つ当たりだ。すまぬ……許せ……。すまない……。
しばしの
中から、
……いまならば、はっきりとわかる。
よろこんで、我が子の首を絞める人の親が、どこにいるだろうか。
そんなものがあれば、それは。もはや人ですらないだろう。
父上は人間であり――わらわの――人の親であったのだ。
幼いエリスは、ただ、マオスの悲しみだけを感じた。
そして初めて、自分の罪を自覚した。
父親を、狂わんばかりに、悲しませて。それは、自分が原因なのだと。すべてを超えて、理解した瞬間に。
駆け寄って、抱きしめた。
ごめんなさい父上、ごめんなさい!
はっとしたマオスは、娘を掻き抱く、
ごめんねエリス、弱くてごめん。弱い僕を、どうか、許してほしいっ――…
二人は、泣き合って。
その夜は、親子三人で眠った。
この一件を経て、エリスは力でわがままをする、あるいは人を傷つける、そのようなことはしないようになった。
エリスの中には罪悪感が生じた。自覚した罪の意識は、自分の行為の結果が他人にもたらす害悪を、彼女に理解させた。
大人と子供の違いは、世界の広さにある。
子供が知るのは、自分ひとりだけの世界。それは他人の心や痛みなどが、見えない世界である。
だが大人は、自らと他者との関係で、世界が成り立っていることを理解している。
必然、自分以外の誰かの感情や痛みも、感性、あるいは理性で判断できるようになる。
それはまた、あたえられる世界とあたえる世界の違いともいえよう。
エリスの両親は、あの事件を機に、話を聞く耳を持ったエリスに対して、きっちりと、正しい大人としての教育を施した。
エリスは逃げることを、克服している。
嫌なことでも、がんばってやる。努力を覚えた。
また、エリスは自分の力に対して、誇りをもった。
その力は、民のために使えと。よきことのために、あるようにせよと。
その力は、素晴らしいものである、と。
強きは弱きの剣たれ。それが王者の風格というものだ。
もっとも、いまだ危うい。
亜竜程度なら指先一つだった、ということもあり、猪突猛進の感は、多分にあった。
また、本を読む、ということを覚えた。
それはとても楽しく。
特に勇者の話に、夢中になった。
「自分だけの勇者」の絵を、描き始めたのはこのころから。
茶色の髪、眼鏡をかけた一人の男の子。
ロイドである。
……あの、奇跡の。瞬間。
空から落ちてきて。顔を見た。
瞬間に、思った。
ああ、ロイドだ。と。
――傲慢、あるいは、不遜、といえるかもしれない。
しかし、間違いなく思うのだ。
この出会いは、まさしく、天の采配であった……と。
時は過ぎ、エリス、10歳。
レベルの伸びは緩やかになり、400を少し超えた頃。
大陸に、ドラゴンクエストが布告される。
竜王の出現である。
現れた場所は、姫王国であった。
エリスは駆けた。
強大な敵、ならば強いわらわが倒さねば。
わらわの力はそのためにあるのだから。
みながエリスを止めたが、彼女は止まらなかった。止められなかった。
そして対峙した竜王。
数合打ち合い、彼女は死亡する。
二分五十一秒。
狂化したマオスが駆けつけ、彼女を蘇生させた。
逃げろ!
父は叫んだ。
十秒稼ぐ! 走れ!!
ためらいの一秒、
いけええっ!!!
エリスは、走った。
数秒の距離を、全力で走ったあと、彼方で、父のライフが消えたことを直感する。
エリスは立ち止まり、歯を噛みしめ、
戻る。
竜王は、そこにいた。
末期の会話を許可する、とでもいうように、蘇生の間、なにもせず。
どうしてっ、!
うああ、うあああっ、エリスはことばもなく父に縋り付く。
マオスは抱えて逃げようとするが、竜王の一振りで、エリスを抱いたまま弾き飛ばされる。叩きつけられ、瀕死。
絶命しなかったのは、唯一、彼の意地だったのだろう。
にげろ。エリス。
父は命じた。
いけ。
もどることを許さない。
走れ。
……生きろ!!
狂おしいほどの願いであった。
エリスは、悲鳴という名の雄叫びを上げ、竜王に立ち向かう。
一撃にて、瀕死の重傷を負う。
跳ね飛ばされた先で、身動きできず仰向けに倒れる。
全身に骨折の症状が出ているのだろう、折れ曲がった四肢がじわりじわりと形を取り戻そうとするが、それはあまりにも遅く。
竜王が、ブレスを放とうとする気配。
地面を這いずる音は、こちらに近づこうとする父のもの。
涙を流し、天を見つめて、
純白の光。闇すら飲み込む白き
深海の癒し。
ごぽり、二人の身体は、癒しの水球に包まれた。
当時から、現在まで、最強を誇る勇者。
勇者王。
彼がこの場に、到着したのであった。
――奇跡。
わらわは、あの方に助けられた。
魔を断つ剣の一振りで。
……このとき、
わらわがここまでしてきたことは、すべて、無謀。
最初から最後までが、父上を殺す、ためだけの、蛮勇。
……と知った。
勝てぬ敵に挑み、逃げるべき時に逃げず。
父上の最後の願いまで、踏みにじるところだった。
無謀を、蛮勇を、無理解を、恥じた。
それからしばらくは、エリスにとって、スランプの時期であったといえる。
元々の突っ込みがちな性質は、多少緩和される。
エリスは成長しようとしていた。
しかしその過程で、道に迷ってもいた。
難しい本をたくさん読もうとして、オーバーヒートして投げ出して。かと思ったら戻ってきて読んでやっぱりぷしゅー、となったり。
とにかくモンスターだ、モンスターを倒すぞ! と危なっかしい張り切りをしたり。
ありていに言って、迷走していた。
その様子を両親はじっと見守っていた。やがて、エリスが自分自身で十分に試行錯誤をしたと判断したころ、母エリーゼは
エリスよ。
うう……。はい、母上。
わらわはなにかをしたい、変わらなければならぬ。けれど、どうしていいのか、なにをすればいいのか、わからないのです。
うむ。
エリーゼはうなずき、言葉を紡いだ。
お前に二つ、伝えよう。
まずは、己を知ることだ。
かつて、妾も母に言われた。
「
まずは自らの心に咲く花の色を知ることだ」とな。
心の、花……。
母と娘は、向かい合って。
一つ、問おう。己を見つめて、答えてみるがいい。
「そなたは、誰のために、なにをしたいのか」
エリスは考えた。
誰のために。
困っている人、今はまだ弱い人、あるいは相対的に弱くなってしまう人を思い浮かべる。
なにをしたいのか。
守りたい。
助けたい。
そう、強く思った。
……困っている人がいます。
今はまだ、弱い人がいます。
けして弱くはないのに、理不尽な暴力の前で、弱者に貶められる人がいます。
……助けたい。
守りたい。
そのような人たちのために。
わらわの力は、きっとそのためにあるからです。
うむ。
母は頷いた。
ならばそれを道と定めよ。
そして意志を持って進め。
迷ったときには思い出せ。それがお前の心の花。
偽りのない、お前の色だということを。
……はい!
エリーゼは、満足そうにする。
それから、もう一つ大切なことを伝えよう。
あるいは、こちらのほうがより重要なことだ。
お前は他人を頼らなすぎる。なんでも一人でやろうとする。
そこを改めよ。
まずは、人を頼れ。
力を借りてみろ。知恵を借りてみろ。
自らの願いを示し、他人に助力を請うてみるがいい。
母の助言を受けて、エリスは、動いた。
わらわは、このようなことがしたい。
わらわは、なにをすればいい?
手当たり次第に。否、会う人全てに、といったほうが正しい。
皆に聞いて回った。
ある人は、勇者の剣の話を教えてくれた。ある人は、とある幻想を教えてくれた。ある人は、エリスに適した戦術を、ある人は、経済の基本を易しく教えてくれた。ある人は、困った顔をして首を横に振った。
またある人より教わり、またある人からは教われず、そのようなことを繰り返してゆき、エリスという王女は成長した。
助けられて、いま、王女となった。
助けられて、いま、ここにいる。
今。
エリスは、自分が目指すその道を、一言で表すことができる。
わらわは全ての母になる。
これを定めた故に、
今のエリスは、あるのだ。
◇ ◇ ◇
――つらつらと、脳裏をよぎる思い出に。
ライラ姫を抱えながら、走るエリスになにがそれを思い起こさせたのか、その理由はわからなかったけれど。
エリスの視界に、ルミランシティの大城壁が、見えてきた。
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