save3 勇者と姫、旅立つ



 部屋に一人残されたロイドは、身の回りのものの確認をしていた。

 身につけているのは旅人が好むような丈夫そうな服。しっかりしたベルトが締められている腰回りには、いくつかの物入れが備えられている。

 掛けているのは、眼鏡。レンズが大きく、縁は丸い。


 扉の外には二人ほどいるようだが、入ってくる様子はない。

 部屋の中は落ち着いた作りで清潔。ロイドは今、ベッドを降りて、テーブルの上に置かれていたものを改めている。


 リュック。明るい茶色の革製の、ごく普通のものにみえた。中はなるほど、不思議な作りになっていて、細々とした日用品が収められている。


 鞘に収まった剣。さほど長くもない鞘だが、意外とずっしりした作りをしている。柄の長さは二握りほど。持ち上げてみれば、しかしずいぶんと軽かった。


 同じく軽く持ち上げられる革の袋も置いてある。それなりの膨らみがある袋の口を開いてみると、硬貨らしきものが入っている。繊細な透かし彫りの施された、むしろ美術品といった様子のものが、みっちりと。おそらく千枚はあるだろうか。


 それから、本。空から落ちている時の記憶では、これは自分の腰にぶら下がっていたはずだ。ベルトを見ると、吊り下げるためのチェーンがあった。


 ロイドは本を手に取り、開いた。

 しばらく、無言で情報を読み込む。

 しばし後、

 ロイドは本を閉じ、自分のステータスウィンドウを改めて確認してみた。


 ロイド


 学者/勇者

 レベル 1


  筋力 9

  技力 12

  魔力 15

  体力 10

 耐久力 8


 能力アビリティ オーバーソウル


 ロイドは自分の名前。学者/勇者というのは、二種の戦闘職についていることを示す。レベルはその人の強さの総合値のようなもの。

 その下に続く〈力〉は、つまるところ力。一般人の平均値はそれぞれ10、といったところらしい。

 それからアビリティ。魔族や、特殊な人間種族――エルクやドゥェルガー――が持つらしい。先程のポチールさんも持っていた。影使い。というものだ。


 ――ノックの音がした。


「失礼します」


 どうぞ。

 中からの返事を受け、ポチールは扉を開けた。

 後ろに、エリーゼとマオスが続く。

 部屋に入り、ロイドと向かい合った二人は、ううむ、という顔をする。

 えっと……。と、女王と勇者、どちらを先に紹介するべきかで、ポチールは迷う。


 エリーゼが前に出た。


「先に名乗ろう。この国、アルド・ルシーナ姫王国女王、エリーゼである」

「その補佐を務めております、マオスです」

 ロイドは二人に対して、頭を下げた。

「ロイドです。この度は、ありがとうございました」

「うむ。大事だいじ無きようで、まずは」


 その言葉に、ポチールがはっとする。


「あ、あの、その、お伝えし忘れていたのですが……。ロイドさま、記憶をなくしておられるそうで……」

「む」

「あ、大丈夫です。なんとかなります」

「ふむ。そちらがそう言うのならば」と、エリーゼは流す。

 ええ~、という顔をするポチールに、

「それに大勇者と同じならば、この世を知らぬのも道理だろう」

 言われて、あ。と理解するポチ。


 エリーゼは、ロイドに問う。

「確認をしたい。失礼ながら、窓を見せていただいても、よろしいか」

「はい。どうぞ」

 差し出された手のひらの上に、現れる窓を確認する。

「……確かに」

 エリーゼは、得心した声。

 

 ――人は、天より授けられる。

 赤子として。

 両親となる者は、神殿にて、その子を受け取る。

 その過程を経ずに、いわば降臨したような存在は、これまでの歴史を眺めてみても一人しかいない。


 また、勇者。

 天に認められたものだけがくことのできる、特別な戦闘職。

 その性質上、勇者となる時点で、一般の水準を大きく超えるレベル帯に達しているのが普通である。事実、過去を見ても、そこから外れる事例は一つしかない。

 そして、その二つの例外は、同じ一人の人物を指すものだった。


「〈大勇者 アルド〉という方のことを調べました」

「ふむ」

 テーブルの上の本を示して、ロイドは彼が読んだことを語り始める。


 およそ千年前。

 この世界に、人の世を滅ぼさんとする〈邪神〉が現れた。

 人々は、英雄たちは、力を合わせて暗黒の軍団に立ち向かった。

 その中でも、伝説に残る特筆すべき六人がいた。

 すなわち、


 アルド ルシーナ 大魔王ルキフェル ガロ プリオリ レッカ

 

 アルド・ルシーナ姫王国は、アルドによって邪神が打ち倒されたのち、ルシーナによって建国された。

 彼女を生涯に渡って支えたのは、初代佐王、ユミエール。


「アルドという方と、ぼくが同じようなものだという自覚はありません。――ただ、不思議な縁だとは思います」

「ああ」

 エリーゼも同意する。

「まさに天の意思を感じずにはいられぬな」

「そのことで、お伝えしたいことがあります」


 ロイドは一枚の紙をエリーゼに手渡した。


「落ちてくる前、ぼくはどこかの部屋にいました。暗い部屋に、五つの人影がありました」

 そこでなされた会話を、思い出して書き留めておいたものです。と、ロイドは言った。

 エリーゼは、手渡された紙片を見る。


 大いなるわざわい。 〈ルミランス〉を、目指せ。

 汝の運命が、そこに待ち受けているだろう。


「よくみえなかったのですが、嘘をついている様子ではありませんでした」

(ルミランス……、か……。)

 これらの情報を加味して、エリーゼはある決断をする。

 勇者で、メガネで、ロイド。

 品格に、問題は見えず。

 エリスへの依頼が、ルミランスから来ている。

「どう思う?」

「僕は賛成するよ」

 間髪入れぬ夫の返事に、ふ。とエリーゼは笑う。

「では……勇者ロイド殿」

「はい」

「貴殿に会わせたい者がおります」

 ポチよ、エリスを。

「はい!」

 ポチールは扉を開け、駆け出していった。



 どうやら自分を助けてくれたお姫さまに会えるらしい。

 まずはお礼を言わなければ。

 などと考えながら待っていたロイドのところに、

 彼女は来た。


 なんだかめっちゃめちゃ嬉しそうな顔をした女の子だった。

 初対面だが、無条件の好意がすでに、そこにある眼差しであった。


「――エリスと申します」


 ふわり、と香りが広がった。お日様のような、花のような。

 そんな誰もが思い描く、お姫様としての完璧な挨拶をしたあと、


 にひっ、と。あまりにも嬉しすぎるとき、頬にしまりがなくなるような、顔全部が笑った結果、白い歯が全部見えるような。そんな笑顔で、彼女は笑った。


 ――そして少年は、少女に再び恋をした。



   ◇ ◇ ◇



 ロイドはエリーゼの話を聞いている。

 テンションが見苦しいとの理由で、エリスはいったん外に出されたが、ちらっちらちらっちらとドアの隙間からこちらを見ている。


 ――我が国が行える援助として、最高のものを。

 ――当代の、名を継ぎし姫。

 ――ルシーナ・エリス・プリンセシア。


「見た目はただの若娘にゃくにょうだが、その強さは折り紙つきでな、」

 という紹介をしてくれているのだが、ロイドはぼんやりと、好きな女の子が自分に興味を示してくれる嬉しさに、これを幸せと呼ぶのだろうというものを感じている。

 エリーゼは、ふむ、と言葉を引く。これ以上はもう、色々と不要らしい。そう考えた彼女は、娘を呼んだ。

「エリス」

「はいっ!」


 ぱかーんっ!


 エリーゼは佩いていた剣の鞘でエリスの頭を引っぱたいた。だだだだだんと床を踏む激しさから痛みが想像できる。存在を忘れてしまいそうなほどに儚げな作りの剣なのだが、響いたのはものすごくいい音だった。

「さっさと準備をしてこい」

「はいっ!」

 涙目で走っていった。

 さて……。

 エリーゼはゆっくりとロイドに向き直った。その隣に、マオスが沿った。


「見苦しいものを見せたな。勇者ロイド」許せよ。と、エリーゼ。

「いえ」

「あれとて普段は品のある振る舞いくらいできる娘だ。ああもはしたなくはしゃぐのは、そうないことなのだ」苦々しく言っているようだったが、エリーゼはしかし、嬉しそうだった。

「そんなあの子が、ああまで喜びをあらわにするのは、貴方に対して、よほど惹かれるものがあったからなのでしょう」

 マオスがそう言って、ロイドを見つめた。そこには、慈しむような父親の眼差しがあった。

「あれは強い。その強さは、そなたの役に立つだろう。……もっとも、足りぬ所も多い娘だ。時に迷惑をかけるやもしれぬが、どうか良くしてやってくれ」

「よろしくお願いいたします」

 二人、頭を下げる。

「こちらこそ、ありがとうございます」

 ロイドは丁寧な礼を返して、言った。


「彼女は絶対に……ぼくが守ります」

 

 その言葉には、不思議な迫力があった。あるいは強い儚さとでも言えようか。そのようなものを、エリーゼは感じた。

 ロイド自身も、どこから湧き出たのかわからない力強さに、胸を押さえた。

 確かな芯を自分の中に感じることのできる、それは願いと呼べるものだった。

 そんなロイドを見つめるエリーゼの瞳の中には、期待の光が輝いていた。



   ◇ ◇ ◇



 玉座の間にて、大喝采の壮行式が行われた。

 さらに城中の人たちに見送られて、ロイドたちは外に出た。

 城の前に、タクシーが呼んであるという。

 そこでロイドが見たものは、四輪の車ではなく四足の獣だった。


「わー…。」

 見とれるような声を上げて、ロイドはそれを見つめた。

 頭から尻尾の付け根までの長さは、4、5メートルほど。背中の高さは、軽く見上げるくらいの位置。どっしりとした厚みのある、幅の広い背中と、力強い四本の足。

 虎の顔と、体を持ったその獣。けれど背中には、細い、骨と皮膜の暗色の翼。目は独特な色合いのある宝石のようで、縦に鋭く細い瞳。獣のものというよりは、爬虫類のそれのように見えた。

 背中の上には、人が乗るための箱型が備えつけられている。


「これは……魔物?」

 ロイドの問いに、エリスは、うむ。と頷く。

「ドラゴンと大虎おおとらの間の子でな。ドライガーという」

「ドライガー。かっこいいね」

「ふふ。であろう? これはな、虎の子のドラゴンなのだ。いや、つまり……。ドラゴンと虎の合いの子だ。いや、だからつまり……」

「…………」

「ド、ドラゴンと、虎の間の子でありつつ、虎の子である、ドラゴンの子供……、だ」

「つまり、オスのドラゴンと、メスの大虎の、子供?」

「そう! それだ」

 エリスはびっ、と指を立てた。

「ちなみにだ。……えー。メスの……。いや、オスの大虎と。メスのドラゴンの。子供は。タイゴンと言う」

「タイゴン」

「うむ。そちらの方は体力があってな。長く走れる。あと、見ようによっては意外とかわいい」

「そうなんだ」

「そう。そしてドライガーは、常にオス。タイゴンは、常にメス。ドライガーとタイゴンの子供は、ドラゴンか、大虎になる。のだ。うむ」

 すっきりと説明できて満足そうなエリス。へぇー、と感心するロイドの様子に、さらに得意げになる。


 御者の男性が命じると、ドライガーが、ず、と伏せた。簡易階段が添えられて、ロイドが先にそこを上がる。

 四角いキャリッジの中は意外と狭かった。ロイドは奥に詰めて座る。一応四人は乗れるようだが、基本は二人乗りで、お互い斜向はすむかいに座る形なのだろう。

 突然、暖かい花のような香りが隣に並んで、ロイドは少しびっくりした。

 エリスが真横に座っていた。肩や腕がしっかりと触れ合い、彼女の体温が伝わってくる。そのぬくもりは、ロイドの心の中にまで沁みてくるようだった。

 エリスの顔を見ると、すまして視線をそらせている。その頬は、ほんのりと上気している。

 ロイドの顔に、いつわりのない微笑みが浮かんだ。


 二人を乗せたドライガーは、長く続く道の先へと、走り始めた。

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