第2話 堕術使い

 紫色の空に蒼ざめた月が浮かぶ夜。

 街灯の並木が照らす高速道路に、赤色灯を点したパトカーが三台、逃走中の軍用高機動車HMVを追っていた。

「オラ、止まれェ! 止まらんと撃つぞォ!」

 五十絡みの男が片手でハンドルを回しつつ、拡声器でだみ声を張り上げる。

 濃紺の制服に、警部補の階級を示すメダル型のバッジ。しかし人相の悪い髭面ひげづらは、むしろ筋者を思わせる。

 元海兵隊二等軍曹であり、退役後は警官として本土きっての犯罪都市デトロイトへ勤務。二年前に起きた強盗団との銃撃戦の末に左の腕と耳を失い、ハンドルを握る左腕はチタン合金製の筋電義手。側頭部にも生々しい傷跡が残っている。

 一方、助手席の巡査部長はまだ二十代前半の若者だが、彼もまた元海兵隊員という経歴の持ち主。現役時代は狙撃手を務め、今もM4カービンを携えたまま撃発の機会を伺っている。

 警告は建前にすぎない。この島での犯罪取り締まりは殺し合いと同義だ。反撃しようと誰かが顔を出した瞬間にハチの巣にしてやるつもりでいた。それが連中への、せめてもの慈悲にもなる。

 この島の支配者――ヤクザに弓を引いた奴らの末路は、留置場で〝不審死〟するか、保釈中に〝謎の失踪〟を遂げるかの二通り。

 裏で異端審問並みの拷問が行われようが、警察も司法も知らぬ存ぜぬで通す。ここで自分達に撃ち殺される方が、連中にとっても遥かにマシという訳だ。

 組織の腐敗体質に反感は無い。上の連中同様、男自身もまた真っ当な警官とは言い難かった。金払いが良ければヤクの売人だって見逃すし、不法就労者を恐喝することもある。

 今奴らを追うのも、正義や信念といった一文の得にもならぬ動機からじゃない。連中からブツを取り戻せば、ヤクザに恩を売れる。多少のリスクを犯そうが、この好機を逃す手はない。

「止まれっつってんだろが! このボケ!」

 拡声器を拳銃に持ち替え宙に向け発砲するも、やはりHMVは止まらない。

無線を手に、髭面は口許を歪ませた。

「全車両、発砲を許可する。野郎共、鉛玉大放出のバーゲンセールだ! 連中の身体をケツ穴だらけに全身整形してやれ!」

 サー・イエスサーの応答とともに、二台のパトカーがHMVの左右に出ると、窓から身を乗り出した警官達がトリガーを絞った。

 盗品を載せた荷台を避け、車体側面を狙い、撃ち続ける。防弾仕様に改造されているようだが、それにも限度がある。7.62ミリNATO弾の掃射を受ける内、徐々に車体がへこみ始める。

 こうなれば貫通も時間の問題だ。そう高を括った時、上部ハッチが開いた。

 野郎、反撃に出る気か? いい的だぜ。

 内心でほくそ笑み、髭面は部下に発砲を命じようとしたが――現れた敵の姿を見た瞬間、言葉を失った。

 そいつは、異様な風体をした巨漢だった。腹と胸の区別がつかぬほど肥え太り、首が肩の肉で隠れ切っている。

 異様なのは体形ばかりではない。殆ど球体に近い身体は黒光りするラバースーツに包まれ、頭部は豚をモチーフにしたガスマスクに覆われていた。

 性的倒錯者が好む特殊なコスチューム。そう形容する他ない、あまりに奇怪なファッション。

「け、警部補……撃ちますか?」

 照準を豚男の胸部に定めたまま、相棒の青年が問う。問いに答えることなく、髭面は凍りついた表情で、うめくように呟いた。

「〝ピギー〟……〝ピギー・ザ・ハードラバー〟……奴が、何故ここに?」

 青年は怪訝けげんそうに顔をしかめ、「警部補? 今何て」

「…………て」

「えっ?」

「撃てぇ! 今すぐ奴に、鉛玉をぶち込め! ハチの巣程度じゃ生温い! 肉のコマ切れになるまで、撃って撃って撃ちまくれぇ!」

 豹変ひょうへんした上司の叫びに応じ、青年は弾かれたように人差し指を動かした。

 殺到する銃弾の雨。しかしその直後、信じ難いことが起こる。

 標的の身を包む軟質のスーツが、着弾と同時にたわんだかと思えば、ゴムそのものの反発力で銃弾を弾き返していくのだ。

 コマ切れどころか傷一つ負った様子も無く、蝿でも払うように豚男が左腕を振るう。するとその動きに合わせて嵐が吹いたかのように、右斜め前方を走っていた僚車が宙に浮き上がり、横転した。

 髭面は咄嗟にブレーキを踏み、ハンドルを切った。車体がフェンスに激突する音が背後に響く。

「け、警部補……まさか今のは奴が……だとすれば奴は、堕術使い……――」

 髭面は狼狽うろたえる部下を無視して、残るもう一台の僚車に無線で指示を飛ばした。

「五〇フィート(十五メートル)圏内は奴の能力の――〝堕術〟の間合いだ! 速度を落として距離を取れ! 離れて撃ち続けろ! ……あぁん? 撃っても無駄だぁ? 知ったことか! お前らは黙って、俺の指示に従ってりゃいいんだよ!」

 無線を乱暴に切ると、今度は助手席へ視線を戻し、

「向こうは囮だ。奴の注意を逸らすためのな。てめえはその間に奴の目を――マスクのレンズ部分を狙い撃て。スーツほどの防弾性はないはずだ。上手くいきゃ一発で仕留められる」

「ですが……車上からでは、そんな精密な射撃など……」

 髭面は運転を自動オートに切り替え、左の義手で青年の首を掴むと、こめかみに拳銃を突きつけた。威嚇いかく射撃の際、薬室に弾が装填され、人差し指に僅かでも力が加われば、頭が吹き飛ぶという状態にある。

「今、何か言ったか? すまんが、二年前あのブタ野郎に潰されて以来左耳の調子が悪くてな。何か言いてぇことがあるなら、もっとボリューム上げてくれや」

 チタン合金の五指が、万力そのものの力で締めつけてくる。髭面の顔面は、怒りとも怯えともつかぬ表情を浮かべたまま紅潮していた。左の側頭部は一部禿げ上がり、欠損した耳がピンク色の瘢痕はんこんに縁どられた耳道を覗かせている。

「なァ、オイ。まさかとは思うが、俺に口答えしやがったのか? 〝howeverしかし〟も〝butですが〟もねぇんだよ。上司の命令には常に〝Yes〟だろうが、このド低能野郎!」

 鬼そのものの形相を前に、青年は締め付けられた喉から、サー・イエスサー! のフレーズを辛うじて絞り出した。義手の拘束から解放されると、咳き込みつつもM4に照準器ドットサイトを装着。既に左前方では、味方の援護射撃が始まっている。

 青年は窓からM4を構えた。小刻みな車体の揺れと手元の震えが照準をブレさせるが、スコープを覗き込む内、徐々に冷静さが戻ってくる。ストックを肩にしっかり付け、頬に寄せる。ハンドガードに沿える左手首から力を抜き、脇をしめる。何度も繰り返したルーティンをこなすことで感情はリセットされ、やがてピタリと照準が合う。

 捉えた、そう思い人差し指を曲げかけた時、標的が思わぬ行動に出た。

「な……っ!」

 髭面と青年の驚愕の声が重なった直後、豚男はHMVから飛び降りていた。

 宙に投げ出された球状の胴体が、高圧ガスを注入された風船の如く一瞬にして膨張する。両手足と首が埋もれて完全な球体へ変じたかと思えば、空中で急加速――援護射撃を行っていた僚車に、砲弾の勢いで突撃した。

 握り潰された紙屑のようにひしゃげ、回転しつつ放物線状に飛んでいく残骸。衝撃音とともに地面に激突すると、そのまま動かなくなる。

 青年は狙撃体勢のまま固まり、髭面はバックミラーを注視したまま口を半開きにしていた。鏡面には、彼らを追走する黒い球体が映っている。

 如何な原理で動いているのか、地面から十数センチほど宙に浮き、こちらを追い越さんばかりの速度で迫ってくる。髭面は咄嗟にアクセルを踏み込んだが、間に合わず――、

 後方から強い衝撃が来たかと思うと、パトカーは宙を舞っていた。

フロントガラスがひび割れ、透明な破片が舞う。二人揃ってエアバッグに顔面を埋もれさせたまま、彼らの意識はブラックアウトし、次に目覚めた時は病室のベッドの上だった。


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少年兵×悪魔×超兵器×ヤクザ ハナブサハジメ @Meenyan

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