第1話 事件
本土から六千マイル以上離れたアメリカ五十一番目の州〝ニホン〟。
この極東の地の北の片隅――アキタ市近海に浮かぶ〝モリクニ島〟は、幾つもの非合法組織がひしめくならず者共の土地だ。
中でも最大勢力とされるのが、日系マフィア〝
〝事件〟が起きたのは、組が経営する〝アルテミス・カジノ〟の
「本日二〇一九年六月二八日を以て、当カジノは五周年を迎えました」
壇上でスピーチするのは、カジノの総支配人である
ストライプ柄のスリーピーススーツに、オールバックが似合う伊達男。金鹿組組長の三男でもあり、二十八歳という若さでこの島の支配を一任されていた。
場内にはスーツやドレス姿の男女が集い、この島を名実ともに支配するプリンスの言葉に、誰もが耳を傾けていた。
「ここモリクニ島でのカジノ建設が決まった当初、様々な不安の声が上がりました。州の本土からも離れた島に、本当に客が来るのか? 失敗すれば、巨額の赤字を抱えることになる。では、彼らの不安は現実のものになったでしょうか?」
問いかけながら、
自分に異を唱える者は居ない――それを客達自身に再確認させると、五十嵐は身を乗り出し、ボルテージを上げた。
「そう、結果は皆さんもご存知の通り! 本日も当カジノは大盛況! 連日山のような人だかりが出来、ホテルも常に満室状態! これを失敗と呼べる者は居ない! またカジノの盛況に伴い、飲食店やホテルなどの売上も倍増! 当初の不安は杞憂に終わり、雇用の創出、経済の活性化などの点でも地域への貢献を果たしています」
並び立てられる言葉は、どれもが自らに都合のいい内容ばかりだ。
カジノ建設に伴い強引な用地買収が行われ、島の一部はスラム化している。この男が謳う雇用創出など実際には微々たるもので、街中にも失業者やホームレスが溢れていた。
しかしそんな事実は、この場に居る者らに何の関係もない。下層階級の窮状など、遠くの国の出来事のようにどうでも良かった。彼らに興味があるのは、自らに利があるか否か――ただそれだけだ。
「今後ますますの発展をこの私、五十嵐清純がお約束します。では、今日という節目とこの島の栄えある未来を祝して――」
シャンパンを掲げ、「乾杯!」と五十嵐。皆も一斉に声を上げ、杯を傾ける。
スピーチが終えると五十嵐は席に戻り、続けて有名バンドの演奏が始まる。満足げな顔で場内の盛り上がりを眺めていると、眼鏡をかけた四十絡みの秘書が彼に近づき、耳打ちした。
「支配人、お耳に入れたいことが……」
淀むような口振りから、良い報せではないと察しが付く。内心の不快さを口許の笑みで隠し、「言え」と短く促す。
「その……たった今ご自宅に賊が入ったと、警備の者から報告がありまして。北棟のコレクションルームへ侵入し、数十点の美術品を奪い逃走したとのことです」
視線のみを向け、「何だと?」と五十嵐。口許の笑みは崩さず、しかし細めた目に冷たい眼光を宿して。委縮したように秘書は続ける。
「詳細は不明ですが、外部からのハッキングで管理システムはダウン。邸内は停電し、センサーや監視カメラも無力化。暗闇に乗じての襲撃に、現場も混乱状態だったと……」
「笑わせるな」
横目で睨みつつ、五十嵐は断じた。
有事に備え、邸内の守りは徹底させていた。二十名近い若衆を常駐させ、フルオートの銃器も人数分揃えてある。
万一警備を破られたとしても、あの部屋には厳重なセキュリティが施されている。入口の扉には大銀行同様の金庫扉が採用され、ロケット弾の直撃にさえ耐えうる。ハッキング対策のため施錠装置はダイヤル式であり、開錠番号を揃えられる確率は一億分の一以下――正答を知るのは、自分とこの秘書のみだ。
「それが突破されるなど、まずありえん話だ」
ほとんど何の疑いもなく、五十嵐はそう断言した。襲撃の報告そのものが、身内を名乗る何者かの嘘とする方が理にかなっている。
「まずは警備主任に裏を取れ。何者かが偽の情報を流した可能性が――」
その時、場内が急にざわめいた。視線を向けると窓の近くに客が集まり、下界を見下ろしている。何事かと思い目を凝らすと、彼らの身体の隙間から赤い光が瞬いているのが見えた。
すぐ傍で携帯端末の鳴動音がした。秘書は懐から端末を取り出し、画面上の番号を確かめると、五十嵐に尋ねた。
「あの、支配人。署から連絡が入っておりますが……」
無言のままひったくるように端末を取る。
通話相手の警官は、信じ難い事実を告げた。
「被害状況は死亡者三名、重軽傷者十五名。犯人集団は邸内の美術品を強奪し、高速道路を北に進行中。マスクを被っていたため
通信切れのディスプレイを見つめながら、五十嵐は愕然となった。
「バカな……五人……いや、実質三人の賊相手に警備隊が壊滅だと?」
「それがその……」
警官とのやり取りを終えた雇い主に、言い淀みつつも秘書は説明を補足した。
「私への報告が事実であれば、他二人は援護射撃や荷積みの手伝いのみで、警備隊は殆どたった一人に壊滅させられたとのことです。その男は雨のように銃弾を浴びているにも拘わらず、まるで効いた様子がなかったと。その上、何重にもロックの掛かった金庫扉を直接手で触れることもなく開錠したとも……」
バカな。馬鹿の一つ覚えみたいに同じフレーズを反芻しかけて、はたとある可能性に気付いた。
「まさか、その賊というのは――」
秘書は頷き返し、五十嵐の言葉を継いだ。
「……ご想像通りでしょう。恐らく、賊の主犯格は〝
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