鉄の男と氷の女




「ジゼル・ウォッカと申します」


 スカートを摘まみ、お辞儀をしながら盗み見た先。淀んだ銀色の前髪の向こう、私の『ご主人様』は、私の髪以上に淀んだ表情をしていた。


 ドイツに居る、幼いメイドしか雇わないと噂の貴族がお前を雇いたいと言っている。そう、孤児院の『お父様』から聞いたときはどんなド変態かと身構えたけれど、目の前にしてみればなんてことはない若者だ。

 微動だにしない表情筋のせいで分かりにくいが、二十代の半ばといったところだろう。


「……ルドルフ様」


 この屋敷に居る、唯一の大人の女性。年嵩のメイド長、ゾフィーさんに声を掛けられ、今日から私のご主人様となるルドルフ様は「励んでくれ」と抑揚のない声で言った。


「……お前、」


 話はこれでおしまいかと、早々に部屋の出口へと向かう私を呼び止めた声。振り返れば、ご主人様が、その淀んだ榛色の瞳で私を見下ろしていた。


「なんでしょう」

「お前は……本当に、」

「今年で十八になりました」


 聞きたいことはそれだろう、と先手を打ってそう言い切れば、それまで鉄のように揺るぎなかった表情が一瞬だけ戸惑いに揺れた。

 当たり前か。私の身体は、十歳のときから一切の成長をしていないのだから。


「失礼致します、ご主人様」


 静かに頭を下げ、ドアを閉める。ドアの隙間から見た男の顔は相変わらず眉ひとつ動いておらず、まるで鉄の仮面をかぶっているようだと思った。


 私の身体が時間を無視し始めたのは十歳の冬のこと。あの年の冬はとびきり寒かったからよく覚えている。

 確か、アーニャが死んだ年だ。


 アーニャが死んだあの日の姿のまま、私は今日を生きている。


「ジゼルはどこから来たの?」

「寒いところ」

「どれくらい寒いの?」

「人が死ぬくらい」

「どんなところなの?」

「あんたたち黙って仕事出来ないの?」


 ルドルフ様の屋敷で働きだして驚いた。この屋敷には本当に、幼いメイドしか居ない。

 大人の男はシェフや庭師が居るが、大人の女はゾフィーさん以外、一人として存在しないのだ。


「ご主人さまはどうして大人のジゼルをメイドにしたの?」

「ご主人さまに聞いてちょうだい」


 まぁ無理な話よね、あんな鉄仮面に話しかけるなんて、と私が鼻で笑ったところで、幼いメイド達が口々に「そんなことないよ!」と喚きだした。


「ご主人さまは優しいんだから!」

「そうよ! 字だって教えてくださるし!」

「お書きになった絵本だって、たくさんくださるんだから!」

「待って。あの男、絵本を書くの?」


 信じられない話だが、メイド達の話を聞く限り、どうやら本当にあの男は絵本作家らしい。空想なんて一度もしたことがなさそうな顔をして。


 しかし……隠れるようにして建つ田舎のこの屋敷で、パーティーも開かず、絵本を書いて生活している名門貴族、か。

 どう考えても嫡子とは考えにくい。せいぜい、主人がメイドに手を付けたか何かだろう、なんてことを思いながら窓を拭いていた私の視界の端に映った、一人のメイド。


 他のメイド達と違い、少し大人びたその姿は十五、六歳に見えた。少女は深く俯き、時折涙を堪えるかのように鼻をすする。


「……エマはね、十五歳なの」


 私の視線に気付いたらしい一人のメイドが、こっそり教えてくれた。エマは明日、お屋敷を出て行くの、と。


 どうやらルドルフ様の女嫌いは本物らしく、メイド達は見た目が大人びてくると屋敷を追い出されるらしい。

 屋敷を出る際、しばらくは困らない程度のお金は渡されるようだが、それでも少女たちは皆、涙を流すのだという。


「ご主人さまは優しいから」

「それでも追い出すんでしょ」


 ほっぽり出すことに違いはない。過程がどうであれ、結果的には同じことだと言う私に、メイド達は困ったように「ジゼルの話はむつかしい」と呟いた。


 次の日。冷たい風の吹く中、エマはこの屋敷から出て行った。


 小さなトランクを抱え、屋敷の前で涙を流すその傍らには、この屋敷の主人が相変わらずの無表情で佇んでいる。

 ……いや、違う。わずかに感情の滲む横顔。覚えのあるその感情に、胸の奥をかき乱される。


 無意識に、私の足は男の元へと向かっていた。


「そんなお顔をされるのなら、クビになんてなさらなければいいのに」


 突然現れた私に驚いたのだろう。エマを乗せた馬車を見つめていた榛色の瞳が、わずかに見開かれた。


「……最後は同じことになる」

「そこまで女を毛嫌いなさる理由は?」

「…………」


 じっと、感情の見当たらない榛色の目が私を見下ろす。咎めるわけでもなければ、苛立つわけでもない。その男は感情のないブリキの人形のようだと思った。

 と、その冷たい指先がゆっくりと私の頬をなぞる。


「……なんでしょうか」

「あたたかいんだな。初めてお前を見たとき、氷のようだと思った」


 私の濁った銀髪と、薄い色をした目のことを言っているのだと理解するのに、少しばかり時間がかかってしまった。

 なぜならば、目の前の男が鉄の表情を崩しもせずに地に膝をつき、私の目を覗き込んできたのだから。


「氷の妖精でも降って来たのかと」


 そのとき私は初めて、幼いメイド達の言っていたことを理解した。

 ああ、確かにこの男は絵本くらい書くだろう、と。


 鉄の男は、恥ずかしげもなく夢を語る。




 

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