第27話 真名と新名

 深い眠りの底にいた。それほど居心地が良いとは思わなかったし、まだそんな時期に来てないとも思った。とにかくこの眠りは違う。本物じゃない。そう思ったんだ。


 そんな考えが芽生えた途端、遠くで音が聴こえてきた。それは徐々にこっちに近づいてきている。たぶん、あたしの意識が覚醒し始めているだけで音が鳴っている場所は変わっていない。


 どうやらあたしは何処かで動けなくなっているようだ。もう少しで目が覚めるんだがな。


 音がまた少し近くなった。


 ドゥンドゥンドゥン


 ぶっとい重低音ベースが聴こえる。音にフィルターがかっていて、出たり入ったりを繰り返す。電子音エレクトロ特有の、低音で腹の奥を殴られた様な感覚がして、あたしはハッと飛び起きた。


 見渡すと、辺り一面に木々が鬱蒼うっそうと生い茂っていて、その上には目も眩むほどに輝く白雪。あたし達が来た所とは全く真逆の場所だった。


 しかしまた一瞬にして景色が変わっちまったなあ。何せさっきまで海の上にいたんだぜ?流石にあたしも困惑してる。


 酷い二日酔いみたいだ。


 今だに少し混濁してる意識に喝を入れて、あたしは周囲の探索を始めた。


 何処か遠くで音が鳴っている気がしたのだが、辺りには雪にまみれた樹木以外の物は見当たらない。それどころか、全ての音を雪が吸い込んでしまっているようだ。


 おかしいな。あたしだけに聴こえてた幻聴だったのか。


 それにしたって、あのキャレイドじいさんに海に置き去りにされて化け物みたいなデカい口に飲み込まれた後、意識を失って気がついたらここにいる。その説明はまるでついていない。 


 あのじいさんに騙されてあたし達はどこかとんでもないトコに飛ばされたのか?いやしかし、悪魔が勝負の約束を違えることなんてあるだろうか。


 色々な考えが頭を巡っていたその時、あたしはふと源田げんだを置きっぱなしにしてる事を思い出した。


 やべえ。もう死んでるかな。


 ひとまずさっきあたしが目を覚ました辺りに戻ってみると、案の定というか何というかだった。飯をたらふく喰って昼寝してる豚みたいな安らかな顔で、フゴフゴいってる源田を発見した。あたしは近くへ行って揺すって起こそうとしたけれども、一向に目を覚ます気配がない。


「センセ。センセ。起きて下さい。おい豚。いやさ、元豚。起きろコラ。置き去りにするぞ。おーい。死ぬか?おーい」


という具合に激しく揺さぶりをかけていると、突然やっこさんの手が、無防備なあたしの胸をむんずと掴んできた。


 正直、なんとも思わなかったがその直後に


「うーん‥ムニャムニャ‥固いなあ‥」


というセリフで気が変わった。


 あたしは無言で立ち上がり、いつか従兄弟にお見舞いした時よりも幾らか力を入れて源田の横っ腹にケリを入れた。


「ぐぅうへええああ」


 源田は火あぶりにされたイカみたいにクネクネした動きで、のたうち回った。


「あ、センセ。お目覚めですか?」


「ぅぅ。あ?メフィスト!お前、今ワシに何かしたか?」


「いいえ何もしてません」


「嘘つけ!横っ腹に激痛が走ったぞ!何かしただろ!?」


「いえ、雪の上で幸せそうに寝てらしたんで、そのまま放っておこうと思いまして」


「ダメじゃない!?放っておいたらダメじゃない?まったく、貴様という奴は憎たらしい事ばかり言いおって」


 あたしは良い加減に源田のこういう説教じみた物言いにうんざりしていた。


「ねえセンセ。良い加減そういった喋りかたは止したらどうです?もうだいぶ若返ったんだ。いつまでも『ワシに』とか『〜だわい』『〜しおって』みたいな年寄り臭い喋り方は止めなさいな」


「ふむ。そうか……確かに一理あるな」


「ほらほら。そういう言い方ですよ。イマドキの若者はそんな言い方しない」


「じゃあこの場合、なんて言うんだ?」


「わかりみが深い」


「なんだそれ。意味が分からん。まあ、しかしお前の言う通りだ。これからは『俺』でいくよ。俺は源田。源田一げんだはじめ。ヨロシク」


 源田はキザッたらしいポーズを決めながら言ってきた。


「あと、せっかく生まれ変わったんですから。名前も変えられてはどうです?今は良いですけど、また世間で動き回る事があるかもしれない。そんな時その姿格好で源田一の名前では色々と不便でしょう」


「ふむ。そうだな。お前もたまには下僕らしく良い事を言う。じゃあ新しい名前を考えようか」


「どんなのが良いです?」


 源田はうーんと首を傾げながら考える。


「ヴィンセント・ベガってのはどうかな」


「カッコ悪くはないですけど、この国の名前じゃないでしょ。もっと顔にあった名前にしないと」


「うーっんそれじゃあ‥片岡伊座右衛門かたおかいざえもんとか?」


「どこからもってきたんですかそれ。なんだか古臭くって嫌ですよ、なんならあたくしが考えましょうか?」


「じゃあお前がつけろ。いちいちウルサイ奴だな」


 そう言われてあたしは考えを巡らせる。実際のところ、最初から頭にはひとつの名前が浮かんでいた。


一乃瀬健イチノセタケルってのはどうですか」


タケルかぁ……」


 ご主人様は満更でもない顔をしてる。決まりだな。


「名は体をあらわすって言いますが、ご主人様の場合あんまり源田の名前に縛られない方が良い。その方が色々と便利で自由に動けますからね」


「この名前には縛られないのか?」


「それはあたしがつけた名前ですからね。悪魔が考えた名前はご主人様にとって守護タリスマン的な役目を持ちます。せいぜい大事にして下さい」


「ふーんそんなもんか」


「さいでございますよ。センセ」


 タケルはやっぱりよく分かってないという顔をしていた。しかし、名前を偽るという事の重要さはこれから痛い程分かってくる。特に今回みたいな相手の場合。


 タケルもその時になれば身につまされるさ。


「よし、俺はタケル。一ノ瀬タケルだ!ヨロシクゥ!」


 相変わらずダサいポーズは変わらなかったが幾らか顔と名前が合ってきた。


「それじゃ行きましょうか。タケル様。もう既に開場してるはずです」


「お、おう。しかしこんな雪山でホントにそんな宴会がやってるのか?」


「レイヴですよ。大丈夫です。だいたい当たりは付けてますから」


 あたしはタケルを促して山の奥深くまで進んでいって、少し歩いたところで足を止めた。


 多分ここで、音が鳴っている気配がする。夢の中でとはいえ、この場所には明らかに結界が張られている跡があった。こういうのは見る奴が見れば露骨に分かる様にワザと痕跡を残してる。


「この辺で良いか。センセ。あたくしのやり方をよく見ておいて下さいな。それをそっくり真似すれば大丈夫です」


「お、おうよ」


 何とも頼りない。


 あたしはお袋からもらったスタッフパスを掲げて呪文を叫ぶ。これだけは遥か昔からずっと変っていないそうだ。


続く

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