第16話 失楽園

いい加減延びたままの源田の頬を何度か平手打ちして叩き起こし、軽く気付けの魔法をかけてやった。


「うぁ……頭が…ガンガンする……最悪の気分だ……水を……くれ」


「後にしてくださいなセンセ。目的地に着いたんです。シャンとして下さい」


 あたしはドアノブに手をかける。


「でないと、ここから生きて出れませんよ」


 ドアを開けた瞬間壮絶な爆音が腹に打ち込まれる。人によっては不快に感じるレベルの低音がフロア中に響いている。振動で肌が揺れるくらいだ。


 部屋の中は熱気に溢れ、飛び交うレーザーの灯りを浴びながら大勢の馬鹿どもが音に合わせてダンスをしている。


 そこは三百人程が収容できそうなホールで、中央にDJブースがある。その周りを取り囲む様に六本の鉄のポールが立っている。そこにほぼヒモみたいなコスチュームを身に纏った女たちが音楽に合わせて尻を振っている。


 あたしがもし男なら、思わずきっとこう呟いている。


「まさしく楽園パラダイスだ……」


 隣をみるとさっきまでグロッキーだったはずの源田がキラキラ光る目で女たちを眺めている。ホント、男ってのはロクでもない。


 源田はまるで解っていないみたいだがあたしは入った瞬間からある事に気が付いている。ここにいるどいつもこいつも、殆どが人間じゃない。踊っているヤツも。バーカウンターでナンパしているヤツも。DJも。ポールダンスしてるネーちゃんたちですらもだ。


 ここに人間は数えるくらいしかいない。このダンスフロアは、悪魔だらけだ。


「ガチじゃねえか。こりゃ(源田が)危ないかも」


 あたしは身が引き締まる思いがしたが当の源田は相変わらず女の尻に釘付けであたしの言葉なんざ聞こえてない。


「うっひょーー!ナイスケーツ!ハーイ!ナイスケーツ!」


 野球の審判がアウトを告げる時のポーズをしきりに尻に向ってやっている。お前の頭がアウトだっての。


「センセ。あんまりウカウカしてられませんぜ。コイツら皆、人間じゃない」


「にゃにおう!?だから何だと言うのだ。良いケツに悪魔も人間もなかろう」


「そうじゃなくて。気を引き締めないと魂ごと喰われちまうってんですよ。誰も尻の話なんざしてません」


「ふん知るかそんなこと。ワシは来たくてここに来たワケじゃない。お前が勝手に連れて来たんだ。ワシがケツを眺めていようが何してようがお前にはワシを守る責務がある」


「はあ!?」


「良いかメフィスト。命令だ。必ずワシを五体満足でこの場所から出せ。お!?ナイスケーツ!!」


 おいおい。アイツ何様だよ。ああ、あたしのご主人様か。悪い冗談。


 どうやら早々にここを引き上げなきゃいけない様だ。


 あたしはなるたけ強そうな雰囲気の奴に声を掛ける。


「はぁいオニーサン。調子はどう?」


「なんだオメー。何の用だ?」


「んんん。そんな怖い顔しないしない。ねえ。この店ってよく来るの?」


「ああ?まあな。あ、お前アレか?売春ウリか?なら他所いきな。間に合ってる」


 このアホタレ筋肉をすぐさま肉片にしてやりたかったけど何とか気持ちを鎮めて会話を続ける事にした。


「違う違う。そうじゃなくて。この店で一番キモチイイもの売ってくれるヒト、誰か知らないかなって」


「ああなんだそっちかよ。ここじゃ店側が独占販売でやってるんだよ。トビたいんなら奥のVIPに行って来な」


 そうこなくっちゃ。


「さんきゅー」


「ああ、今はやめといた方が良いぜ」


「へ?なんで?」


薬局ドラッグストアをやってるのは三色姉妹って奴らなんだけどよ、今はオーナーが売り上げを取りに来てるからVIPの中には入れないと思うぜ。さっき無理矢理部屋に入ろうとしたジャンキーが片腕吹き飛ばされて喚いてたからよ」


「オーナーも来てるのか」


 ちょうど良いや。下っ端じゃ話にならないと思ってたとこだよ。直接オーナーに話をしよう。


 筋肉の抑制を無視してあたしは奥のVIPルームに向かう。


 奥の部屋はさらに薄暗く、古ぼけたシャンデリアはまるで用をなしていない。カーテンで仕切られた見るからに怪しい場所に入ろうとした瞬間、物凄い力で腕を掴まれた。


「おいテメエ。何やってやがる」


見ると、あたしより更にひと回りも小さな少女が肩をいからせてこっちを睨んでいる。


「いや、別に」


「別にじゃねえだろ。誰だテメエ?」


 少女はおかっぱで丈の短い浴衣を着ていた。髪と浴衣の色は真っ白で、瞳の色だけが気味が悪いくらいにまっ青だった。


「ちょっとオーナーに用があるんだよ。会わせてくれない?」


「オーナーに?なんだテメエ。知り合いか?」


「まあね」


 ヘラヘラと笑ってみせる。この手のタイプは正直苦手だ。冗談が通じないヤツが多い。


「ダメだ」


「どうして?」


「アタシがテメエを知らない。それだけだ」


「おいおい。あたしはオーナーの知り合いだぞ?」


「おい売女ビッチ。もう少しマシな嘘ついたらどうだ?」


「あん?」


「アタシはオーナーの直属の部下なんだよ。オーナーの顔見知りはアタシも全員知ってる。そんでアタシはテメエを知らない。つまりテメエがオーナーの知り合いってのは嘘だ」


 やっぱり苦手なタイプだ。


「なんか反論あるかよ?」


 苦手だしムカつくタイプだ。あたしは面倒臭いのとバカが大嫌い。


「うるせえなあ。バカの癖に偉そうにペラペラ喋るなよ。それ、いつもおウチで練習してんのか?」


「テメエ?今なんつった?」


 相手の顔に良い感じの不快感が浮んできたところであたしは計算を始める。コイツ一人くらいなら大丈夫だろう。ある程度騒ぎになっても仲間が来るまでは少しかかる。その前にノシちまえば良い。


「バカにバカだって教えてあげてんだよ。あたしって親切だろ?大体さ、直属の部下とか言ってるけど、やってることは門番と大して変わんねえだろ?だったら、オーナーにしてみりゃ、お前さんもこの間消し炭になったゾルバンも同じくらいバカで捨て駒なんだよ」


「おいビッチテメエ。死んだぞマジで」


 バカは大嫌いだけど、扱いはし易い。


「何回でも言ってやるよ。お前さんはバカで捨て駒だ」


「おおおおぃいい!!」


 今まで少女だったソイツは、みるみる膨れ上がってあたしの五倍くらいの大きさになった。身体中が針みたいな銀色の体毛に覆われて可愛くてチョコンとした鼻は見事な豚っ鼻になっている。そうして口には、凶々しいほど巨大な牙が二本生えていた。



続く

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