第10話 ムッチィマウス

 しかし「ムッチィマウス」ってねえ。


 まあ、あたしも悪魔だからね。ここがどういう店かだいたい空気で分かるよ。ここは俗にいう娼館しょうかんってやつだろ?


 え?娼館がわからないって?ずいぶんカマトトぶるね、そこのアンタ。ならパパやママに聞いてみると良いよ。オススメはしないがね。


 源田はしばらく考えた後、意を決して店に入っていった。


 あたしは犬のままだったが、ため息を吐かずにはいられなかった。源田に落胆したから?違うな。まあ、ある意味がっかりはさせられたんだけどね。


 神が源田は「汚れなき魂の持ち主」だっていうから意気込んで地上までやって来たわけ。なのにあの太っちょときたらあたしが手を下すまでもないくらいに欲にまみれてやがる。正直、拍子抜けもいいとこだ。


 あたしは面倒くさい事も嫌いだけど、やり甲斐の無い仕事も嫌い。


 人を堕落させるのが拷問に次ぐ悪魔の生き甲斐なんだよ。まあ仕事が楽だって喜ぶヤツもいなくはないけど、悪魔ってのは基本真面目だからさ。苦労して苦労して相手が地獄に堕ちた瞬間が最高エクスタシィなわけ。


 あたしは何とか店内の様子を伺おうとしたんだけど、流石に犬が入れる店じゃない。目つきの悪い男にしっしと追い払われてしまった。


 姿を消して中に入っても良かったんだけど、お楽しみを邪魔するほど野暮じゃない。犬のまま、少し離れた所に腰を下ろして、あたしは源田を待つ事にした。


 しかし数分もしないうちに源田は店から出てきた。というか、放り出されたという方が適当な言い方かもしれないね。


 バァーン!と源田が蹴り出され、地面に尻餅をつく。


 中からイラついた様子の無茶苦茶な格好をした女が出てきた。


 女はこの辺りでは珍しい褐色の肌に金髪の巻き毛をしていて、まつ毛が昆虫の羽根みたいにバサバサなっていた。道化みたいな化粧をしてるから、あたしはてっきり芸人だと思ったくらいだ。


「二度と来るんじゃねーよ!この変態ジジイ!」


「そ、そんなぁ」


 女の服装がこれまたトンチキで、レンガみたいに分厚い底のブーツを履いて膝の上までしかないスカートにパックリと胸元の開いた服を着ていた。服はなんでか、虎の毛皮みたいな柄だったね。


 足早に店内に戻った女の後には、安い香水の臭いだけが立ち込めていた。


 一体中でどんなプレイが起きていたのか。謎は深まるばかりだ。


 それでも、わざわざこんな所まで来たかいがあって源田の女の趣味が解った。なるほどね。良いサンプルになった。


 源田は深いため息をつくと肩を落として歩き出した。


 おいおい。分かり易すぎるだろ。なんて情けない男なんだ。


 今夜はとりあえずここから立ち去って明日また出直す事にした。


 今の源田は酷くナーバスになっているから、絶対仕事は上手く運ばない。素人はよく勘違いするんだが、営業で契約をとる時は相手が弱っている時よりも割と機嫌の良い時の方が上手くいく。


 あたしは犬のままで教会まで戻るかどうか考えていた。あんがい犬の姿ってのは、走ると爽快なんだよね。


 ふと、そこで妙な気配がした。振り返るとあの源田よりも更に怪しい格好も男がうろついているのが目に入った。


 男はマスクに野球帽、サングラスをかけ、ムッチィマウスの前を行ったり来たりしていた。


 あたしはそいつの魂の臭いを嗅いでみた。


 嫉妬、野望、貧弱、偽善、憧れ。


 そいつはさっき、源田にこっぴどくやられてションボリと肩を落としていた和具名わぐなの坊やだった。


 しかしなんでこんな所に和具名が?あたしは夜に耳を澄ます。


 どうやら和具名は店の奴らに源田の写真を見せて何か聞き回っているらしかった。


「おい、さっきこの店にこの写真の男が来てたろう」


「なんだアンタ?警察呼ぶぞ?」


「落ち着け。僕は聞きたいだけだ。答えてくれれば金だって払う」


 そう言って和具名が金をちらつかせると、男の表情が変わった。


 ふむ。まあ、坊やが姑息な手を使って自分が源田になり変わろうとしてるのは分かった。


 だがあたしは面白くない。


 というより、ただ単に和具名って奴が気に喰わない。アイツはあたしの可愛い我がマルスを「LSDなどと」なんて吐き捨てやがった。


 だから邪魔をしてやろうと思った。

 

 あたしは黒犬の姿のままで和具名に近づく。坊やは最初、こっちに目もくれなかったがあたしが低いうなり声をあげるとビクッと跳ね飛んだ。


「うわっ!なんだ‥犬か‥犬は嫌いなんだ‥シッシッ!あっちへ行けよ!」


 あたしは和具名のこの反応がツボに入ってしまった。


「わっよせバカ!近づいてくるな!僕はお前に構っている暇はないんだ!」


 いるよな。こういう何か一言言っていく度に相手の神経を逆撫でしちゃう奴。我慢できないね。あたしは坊やのか細い太ももに、ざっくり牙をたてて噛み付いてやった。


「あいたあばあっ」


 坊やは男としてはかなり情けない声を上げてすっ転んだ。人間がヒィヒィ言いながら足を押さえて這いずり廻るあの光景はいつ見ても腹の底からゾクゾクしてくる。


 勢いづいたあたしは更に低い声で唸り、坊やを心底震え上がらせた。


「やだーっうあああああ」


 坊やはパンツにシミができちまうくらにビビってた。あたしはそれが可笑しくって、ついニヤニヤと笑ってしまった。


「な、なんだお前!犬が笑ってる!お前、犬じゃないな!それにその目だ。なんて恐ろしい、燃え盛る炎みたいな目だ!」


 和具名もインチキ宗教のとはいえ幹部になれるだけある。なかなかの観察眼だ。


 あたしはもう一度、坊やの腕に噛み付いた。


「ふぁあああああああ」


 と素っ頓狂な声をあげて坊やは走り去って行った。


 あたしはすっかり気分が良くなっていた。慣れない犬の姿でい続けたので随分つかれてしまったけど。


 とりあえずどこか寝ぐらを探して、身体を休める事にした。


 ん?悪魔も寝るかだって?おいおい、当たり前だろ。もう朝だぜ?日の光は大嫌いなんだ。神やミカエルたちと同じ臭いがするからね。


 朝はもう、すぐそこまで来ていた。


続く

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