第11話 押し問答

疲れ果てたあたしはその辺にあったデカい建物にのそのそと入っていった。犬の身体なら何処だって構わない。


 どうやらそこは何かの物置きみたいで、そこら中に箱がうず高く積まれていた。


 あたしは適当な場所に座り込み、目を閉じた。


 夢は見なかった。


 それなりの時間が経過して辺りを見回したり臭いを嗅いだりしてみたが、生き物の気配は消えていた。


あたしは犬のままで倉庫から飛び出した。


 外には、再び夜が訪れようとしていた。でも今日は昨晩とはなにか違っていた。


 街全体がわずらわしいくらいにキラキラしていたし、人間の気配も昨日より随分と多く感じる。何よりも驚いたのは、空から雪が降ってきていた。


 地獄に雪は降らないからずいぶんと久しぶりに見る。


 キレイ、だとは思わなかった。まず色が気に食わない。白は嫌いだ。天使の羽根と同じ色だからね。


 あたしは妙な感覚を足の裏に感じながら、再び源田の住むあの悪趣味な教会を目指して歩いた。


 普段の行いが悪いからか、突然思ってもない幸運が起こる事もある。


 偽善者教祖の源田げんだとその一番弟子である和具名わぐなが何やらぶつぶつと問答し合いながら歩いている所に出くわした。


 というか、信じられるかい?歩きながらずっと二人で議論してるんだぜ?


 あんまり退屈な内容だから割愛させてもらうけど、とにかくこのおバカさんたちは「ああでもないこうでもない」や「ああでもあるしこうでもある」などという全くもって生産性のない問答をしていたわけ。


 あたしは犬のままバレない様に、後ろから二人を追いかけた。


 ある所まで来た時、とつぜん和具名が立ち止まった。


猊下げいか、そう言えば昨晩お部屋でお話ししたことなのですが」


「なんだね」


 源田は突然表情を曇らせた。


 和具名の方は相変わらず神経質に顔をピクピクとさせている。


「例の幻覚剤の話です。あれから僕は何度も何度も考えてみたんですが、やはり我が教団にはああいった物が必要だと思うんです」


「和具名くん。キミもしつこいね。私たちの理想に、それは必要ないと私は考えてる」


 源田は昨日よりも幾分クールな言い方だ。


 やっぱ男ってのは下半身がスッキリするとクールになるもんなんかね。


「ですが猊下、実際問題として資金繰りが上手くいっておりません。そこはどうされます。先日カルト教団だと週刊誌に報じられてしまった時もだいぶマスコミ各所にばら撒きましたからねえ」


「あれは参った。ああいう連中は好かないよ」


「僕もです。アレでなんとか抑えられたものの、いつまた書かれるか分かりません。資金は乏しい。今、教団の財布の中は減る事はあっても増える事はありませんよ?」


「金の事などどうにでもなるさ。和具名くん。それとこれとを結び付けるにはいささか強引ではないのかね」


 すかさず和具名が嫌な笑みを浮かべて反論する。


「そうですか。では猊下、こういう事は言いたくなかったですが仕方ありません。猊下は昨晩僕と別れてからどちらにおられましたか」


「な、なんだね急に。自室でお祈りを‥」


「なぜお隠しになるんです?駅前の『ムッチィマウス』に行っておられましたよね」


「はえ!?やあ、違うんだよキミ、アレはそのぉ布教活動というか迷える若い娘さんをだね‥」


 嘘をつくのが死ぬほどヘタクソだ、という点では、汚れなき魂というのもあながち間違いではないかもね。

 

「そうですか。まあ僕なんかは猊下を深く信頼しておりますから?そう言われれば一片の疑いもありませんが。ですが、大半の信者たちにはそれでは説明にならないでしょうねぇ。あのような店に天空教の教祖が出入りしているなどと、知られるのはあまり良い事ではないのでは?」


 和具名は証拠がなくても強気だ。


「……和具名くん。キミは、私を脅しているのかね」


 源田は落胆したような顔をしてる。


「脅してるなんて!ああ、そんなこと仰らない下さい!猊下!僕はただ、天空教の為を思って未来への提案をしているだけ。『ムッチィマウス』のお話は、ほんの世間話ですよ」


 和具名が源田を脅してるのは明らかだ。


 こういうクズは毒ヘビみたい執念深く付き纏う。そしてなんかの拍子に獲物が隙を見せれば早々にを丸呑みしちまう。


「猊下、どうでしょうか。幻覚剤を導入するお話。今一度ご検討をしていただけますか」


 坊やは目の前の獲物に対してもう手が届きそうだもんだから、ヨダレをダラダラと垂らしてやがる。


 本来の悪魔ならこういう毒ヘビの様なヤツは大歓迎なんだ。道具にしたり協力したりする。けどなんかコイツは虫が好かない。


 突然ムラムラと、虐めてやりたいという気持ちがでてきた。


「さあ、どうしますか?猊下」


「うーむ……」


 黒犬になったあたしは押し問答する二人に近づき、また前みたいにごくごく低い声で唸ってみせた。


「‥ゥウウウウウッ」


「ぴぃやあっ!!」


 坊やは昨日とほぼ同じ声を出して飛び上がる。


「どうした和具名くん。何だって言うんだ急に」


 坊やは青くなって源田の無駄にデカい身体の後ろに隠れた。


「そいつ!昨日そいつが僕を噛んだ犬です!普通じゃない!その眼は!普通の犬の眼じゃない!」


「ええ?」


 あんまり面白くなっちまって、あたしはもう一声


「ワフッ!」


と吠えてやった。


「やああああああああ」


と叫び声をあげて、坊やはまた逃げていった。


 楽しかったね、実にさ。


 源田はしばらく呆然としてたがそのうちにケラケラと笑い出した。


「いやいやどうして。愉快じゃないか。あの和具名には最近困っていたんだ。なあオマエ。あいつを追っ払ってくれてありがとうよ」


 源田はあたしの頭を撫でながら優しくそう言った。正直くすぐったい。


「それにしても犬が恐いなんて和具名の奴も情けないヤツだ。こんなに可愛いのにな‥うん?」


 源田はあたしの眼に魅入る。


「確かに和具名の言う通りだ……オマエ、なんて眼をしてるんだ。まるで……炎ような眼じゃないか」


 源田があたしを見つめる。あたしはそっと源田の手を舐めてその目を見つめ返した。



続く





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