第1話 地獄の姫
目を開ける。そこにはいつもの光景が広がっている。大好きな血の色に塗った天井、壁、家具。大好きな目覚めの空気。
身体中からエネルギーが満ち溢れてくる。今まさに、あたしは目覚めたのだ。
部屋にあるたった一つの窓を開けあたしは外に目を向ける。空は真っ赤でいつだって焦げ付くくらい暑い。そこは一面火の海だ。たとえ話じゃない。本当の火の海。
魚は泳いじゃいないが代わりに火の
空には太陽が三つ、月が二つ。雲なんてない。その中をバカでかい翼をもった醜い化け物が何かくわえて飛び回っている。いや、もちろん奴らにだって名前はあるさ。だけど発音が難し過ぎてね。アンタ等の言葉じゃ言い表せない。だからこの際、化け物でいいだろ?
さてその化け物がくわえているものはなにか。今日はこれまた粋の良いヤツだ。まだ意識があるみたい。十に一つくらいはそう言うヤツがいる。
何かって?本当に聞きたいの?
珍しい事じゃない。その証拠に、ここら火の海一面でさっきから燃えてるのは人間の魂についた欲望だからな。つまりここは欲が燃えてできた火の海なのさ。幾万幾億の人間の魂から出た火がまるで海の様に辺りを埋め尽くしている。
あたしの一番好きな場所。お袋にワガママを言ってここに部屋を作ってもらった。職人泣かせの注文だと、お袋がぼやいてたっけ。
贅沢な火の粉を胸一杯に吸い込んであたしは部屋を出る。
ゴシック調?っていうのかな?大理石と柱で作られた長い廊下はお袋の趣味だ。一メートルおきに肖像画が飾ってあるが全部お袋のものだ。世界中で描かれたお袋の絵。まったく良い趣味してる。どれもこれも名作だが、こうずらずらと並ぶと胸焼けがする。
お袋はまさに、自己顕示欲の塊だ。いや。違うかな。
自己顕示欲ってのはお袋から産まれたみたいなもんだ。つまりあたしの兄弟だな。
あたしは肖像画のモデルに目覚めの挨拶をする事にした。これもいつもの習慣だな。というか、一種の儀礼みたいなもの。これをサボるとお袋は不機嫌になる。お袋がヘソを曲げると面倒だ。
あたしは面倒事が一番嫌い。
しばらく歩いた廊下の突き当たりにとてつもなく仰々しいドアがある。あたしの部屋のドアの十倍くらいのでかさで厚さも十倍くらい。このドアを開けられるヤツが一体どれくらい存在するのか。毎回開けるのに苦労する。
中から懐かしい生臭さが鼻をブン殴ってくる。正直に言うと、あたしはこの臭いが嫌いだ。でもしょうがない。
あたしは面倒事が嫌いだ。
部屋の中はいつも薄暗くって生臭い、そして空気全体が湿っている。お袋の趣味だ。
中まで進んで行くとうめき声がする。もちろんお袋のじゃない。
「まーた男を引っぱり込んでんの?もういい加減にしなよ」
「あら。ママの可愛い
お袋は嬉しそうに微笑む。しかしその実、彼女の下半身はエラい騒ぎだ。変な想像をしないように補足すると、お袋の下半身はバカデカい鳥のようで鋭いかぎ爪がある。そしてその鋭いかぎ爪でギチギチと人間の男の身体を鷲摑みにしている。男は今にも弾けんばかりだ。叫び声すら上げられない。
べしゃ、っとそこら中にさっきまで男だった肉片が散らばる。
「相変わらずそんなことばっかやって。親父に知れたらなんて言うか」
散らばった肉片にどこから湧いてでたのか小さな
だが貪られているのは身体であって肉体じゃない。魂の具現化したもの。そしてもう、ああなっちまったら二度とは元に戻らない。
「良いのよ別に。あの人には関心ないんだから」
カリカリむしゃむしゃという音が部屋に広がる。お袋の部屋に住まう連中が掃除をしている音だ。
「それにねぇ。今回はこむこうから言い寄って来たのよ」
「はぁ?」
お袋は自慢の金色の髪の毛をくるくるといじくり、ながぁいまつ毛をぱちぱちさせながら娘に男を引っ張り込んだ言い訳をする。
「
「お袋を?天使ぃ?」
あたしには信じられないが、人間は鳥みたいな羽根が生えてりゃ何でも天使だと思うものなんだろうか。
「彼ね。『助けて下さい。お慈悲を!』っていうもんだから屋敷に連れて来てあげたの」
「それで今では肉片に成りそこら中に飛び散っていると。随分慈悲深いんだね。お母様」
「んもう。そんな言い方って嫌いよ。だって人間の男は残らずこうしたくなっちゃうの」
お袋は脳みそが溶けそうになるくらい甘ったるい声を出して言い訳をする。確かに仕方のないことなのだ。これにはワケがある。
お袋はあたしの親父と結婚する前、実は一度人間の男と結婚して失敗してる。そいつは「始まりの人間」とか何とかで、つまりさっき肉片になったヤツの祖先にあたるお袋は前の旦那に捨てられて以来人間の男を見ると殺意の衝動が抑えられなくなっちまう。悪い癖ってやつだ。
「パパは無関心だけどバレたら怒られちゃうからやっぱりナイショよ」
うふふと嗤いながら娘に間男との情事を口止めする。しかもその間男は前の旦那の血縁者。すんげえ遠いけど。お袋はあたしが知る限りトップクラスの
「わかったよ。それじゃあたしは散歩に行ってくる」
「そう。あまり遠くに行っちゃダメよ。夕飯までには帰ってきてね」
「はいはい」
いつまでたっても子供扱い。それが親ってもんだ。
あたしはお袋の生臭い部屋を後にしてそそくさと屋敷の外へ出た。
お袋には立派な羽根があるが、何故だかあたしには遺伝しなかった。その代わりあたしには自慢の脚がある。お袋みたいな鳥脚じゃなく立派な蹄。
あたしがちょっと本気で駆ければ、行けない場所は無い。あたしはほんの肩ならしで、いつもの広場まで走っていくことにした。
続
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