6話目 記憶通り

 音寺という後輩に会った次の日。蒼桔は風見よりも早く家を出て、また早めの電車に乗ろうとしていた。佳奈も一緒だったが、すぐに自分のことを監視しに自宅へと行ってしまう。


 風見は未だに蒼桔の言うことを信じてはくれず、医者に行けだの、気分転換でもしろだの、まったく見当違いなことを言ってくる。


 蒼桔の言うことは全く現実味がないことだ。そんなことは自分でもよくわかっている。それに愛想を尽かして見放さないのは、素直に喜ばしいことではあるのだが。敵に回らないだけ良しとするべきなんだろう。けれども、一緒に佳奈のことを助けてあげられる仲間は欲しいのが現状だ。蒼桔だけでは白鷺に話しかけることは難しい。


 これからどうしたものか……と考えながら、人の少ない通学路を歩く。やがて駅の近くの公園についたところで、公園の中から見覚えのある女の子がやってきた。肩程度の長い髪の毛に、眼鏡。真面目そうな顔。印象に残りやすいはずなのに、名前が出てこない。


 話しかけられ、素直に名前を忘れてしまったことを伝えたら、ため息をつかれた。それも仕方がないだろう。


「少し、遠回りしませんか?」


 学校に行くのに、道を少し戻って話をしよう、と彼女は言う。「今日の私は、後ろを振り向かないって気分なので」と意味のわからないことを言い出したが……事実彼女は、神経質な程に後ろを見ようとはしなかった。歩く時も、真横か少し後ろをピッタリとついてくる。


 そんなに後ろを見たくないのか、と尋ねてみた。そういう気分です、と返されてしまったが。風見が言うように、だいぶ不思議ちゃんらしい。真面目な顔で言うものだから、何かしら意図があるのかと思ってしまうが。


 彼女は駅に着いても後ろを向こうとはしない。まったくとんだ変人だった。寺生まれと言われても仕方がない気もする。


 そんな彼女がようやく後ろを振り向いたのは、慌てた学生にぶつかられて線路の方に倒れそうになり、引っ張ってやった時だった。恐る恐るといった様子で背後を振り向いた彼女の顔は、無表情というよりは怯えに近い。当然だ、危うく直ぐに電車がくる線路に落ちかけたのだから。


「先輩、舌打ちが聞こえませんでしたか」


 抱きとめた腕の中から離れると、そう尋ねてきた。ぶつかってきた学生は既に遠いところにいる。周りの音は電車の音でほとんど聞こえない。だというのに彼女だけに舌打ちが聞こえたのか。そんなに大きな音なら聞き逃すこともないだろう。


「いいえ、たぶん気のせいです」


 そういった彼女の表情は、暗いものだった。心の中で何を感じたのかは知らないが……多分それは、線路に落ちる恐怖ではなかったような気がする。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 学校は友人と過ごせるある種開放的な場所だ。蒼桔は中学の頃はそう思っていた。あの事件以来、学校は窮屈で息苦しく、寿命を縮めるような場所に変わってしまったけれど。


 好きな女の子と同じクラス。小学校や中学校なら、それはもう感謝感激雨あられといった状態だろう。だが、今の蒼桔にとっては……目線はいつだって白鷺を追ってしまうし、その会話を耳が勝手に聞き取ってしまうし、その一挙手一投足を盗み見てしまう。そして心を痛める。


 思春期特有のソレなら、まだマシ……いや、どの道気持ち悪いことに変わりはない。幸いなことに、同級生でその事情を知るのはごく一部で、同中の人だけだ。だから彼が白鷺のことを見ていようが、あぁまだ諦めきれないのか、で終わる。


 だから彼が教室でいつまでも残り続け、白鷺が彼氏と帰るのを見送っていようが……特に誰も声をかけない。それが当たり前になっていたからだ。風見からは、真性のマゾヒストだと比喩されたが。


(……顔が良い奴が、羨ましい)


 放課後の教室で項垂れていた蒼桔は、白鷺と佐原の出ていったドアを見つめながら、そう考える。顔が良ければ、自分は白鷺に捨てられなかったのでは、と。


 しかしそれでは顔で選ばれたようなものじゃないのか。所詮顔で選ぶものだと言ってしまいたくはないが……本物の彼女は、なんで自分を選んでくれたのだろう。


 誰とも話すことができず、退屈な時間を過ごしていた佳奈は蒼桔の隣で体を伸ばしている。ポケットから携帯を取り出して、耳元に近付けたまま彼女に話しかけた。


「なぁ、佳奈はどうして俺を好きになったんだ?」


「えっ? どうしてって……どうして、だろうね」


「いやそこは答えてくれないと精神的に辛いんだけど」


「んー……よくわからないけど、でも好きだよ? 一緒にいるとドキドキしたり、嬉しくなったりするし……理由は、わからないかなぁ」


 曖昧な答えだった。でも、蒼桔も同じだ。彼女と一緒にいて鼓動が早くなるのも、顔つきが緩んでしまいそうになるのも。思えば自分が彼女を好きな理由も、ハッキリとはしない。


 告白されたから付き合った……付き合っていいと思った。それだけ長い間一緒にいて、お互いのことを知っていたから。だとしたらそれは顔を好きになったのではなく……。


「やっぱり……心、なのかな?」


「……多分、そうなんだろうな」


 同意すると、佳奈は笑って「同じだね」と返してきた。お互いちゃんと好き同士。その理由は、きっとすごく曖昧なものだ。似通った感想を抱いていた二人は、思わずくすくすと笑い合う。


 白鷺によって痛めつけられた心は、今はもう悲鳴をあげていない。やっぱり彼女といると落ち着くし、心が癒される。どうしようもなく好きだった。それだけは間違いない。


「今日は、一緒に帰るか。なんか……あの佳奈のことをどうこうするって気に、今はなれないし」


「でも、私は早く戻りたいな……何かないの?」


「あったらもう実行してるって……。文献があるわけじゃないし、その手のことを研究してるような人間は胡散臭そうだ。そもそも人脈もない。そっちは、何かなかったのか?」


「周りにいても、何も変化はなかったよ。向こうは私が見えるわけじゃないしね。触ってみようとしたけど、すり抜けるだけだったよ」


 彼女の方も何も収穫はないらしい。前途多難なことは百も承知だったが、いざ直面するとどうしたらいいのかわからない。


 早く彼女を戻してあげたいという気持ちはちゃんとある。だがそれができるかどうかというのは別問題だ。いっそのこと、ネット検索で当たった霊媒師を手当り次第訪問してみようか。


 とりあえずとばかりに、蒼桔は検索をかけてみる。けれども携帯の画面に映るのは胡散臭そうなホームページばかり。どれも詐欺に遭いそうな気がするが……。


「……またいつもの仏頂面に戻ったみたいだな」


 いつの間にか教室にやってきていた風見が声をかけてきた。椅子の後ろに回り込んで携帯を覗き見て、その画面に映るモノにため息を吐く。お前まだなのか、と口にしないでも聞こえてくる気がした。


「詐欺メールが飛んできても知らないぞ」


「消しゃいい話だ」


「一日五百近くのメールが届いてもか? 三分おきくらいに」


「……実体験?」


「触れるな」


「自分から言ったくせに何言ってんだお前」


 詐欺メールくらい誰だって経験ありそうだが、風見のはどうも面倒なものだったらしい。流石にメアドを変えたよと困ったように言う。三分おきに送られてきたらたまったものではない。


(……それにしても)


 いつもと変わらない様子の幼馴染に、蒼桔は距離を測り損ねていた。朝の登校も時間をずらして、昨日もロクに話さないどころか喧嘩腰になってしまったというのに、彼は全くそれを意に返さない。不思議どころか、奇妙だ。


 きっと周りからも変な人だと言われていることだろう。そもそも見た目からして蒼桔と風見は合わなそうだ。真面目そうな顔つきの眼鏡と気怠げな目つきの男。ピシッとした背格好と、若干猫背。


 どっちがいいと聞かれたら、大半の人は風見を示すだろう。よく見てみれば、コイツそこそこ顔もいい。それに気づくと途端に鬱陶しく思えてくる。イケメンは一種の天からの恵であり、罪だ。


「なぁ、今日は暇してるのか?」


「暇っていうか……」


「幽霊のことは抜きにしてだよ。暇だろ」


「あのな、俺にとっての優先順位の一番は佳奈に決まってんだろ」


「なら聞いてみなよ。カラオケ行こうぜってさ」


 俺は信じてないけど、と風見は言う。昔からよく三人でカラオケには行っていたが、流石に今行って楽しめるかどうかわからない。佳奈もカラオケは好きだが、今の状況で楽しむなら、一日でも早く戻って、生身でカラオケに行く方がいいだろう。


「……だってよ、どうする?」


 先程から風見の首元を触ろうとしている佳奈に尋ねてみる。風見の方を向いて話しかけたせいで、彼は一瞬気が動転して周りをキョロキョロと見回していた。


 蒼桔が彼女を指さして、お前の右側で遊んでると伝えると、風見も指さした方向に向き直る。怪訝そうな顔をしていた。やはり見えていない。


「私は……どうしようかな。でも、久しぶりに三人で行ってみたい気もする。それに、今なら二人の料金で三人使えるし、お得じゃない?」


「……行くってさ」


「なら、駅降りてすぐのカラオケ行こう。高校生なら部屋代ナシらしい」


 久しぶりのカラオケに、風見はどこか嬉しそうだった。佳奈も楽しそうに笑っている。


 ……昔から変わらなかったはずのその景色に、思わず目頭が熱くなってしまう。いつもの三人だ。嫌なことがあっても、なんとなく集まってしまう……いつもの、場所だった。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




 彼らが向かったのは、いつも通学に使う最寄り駅の正面にある大きなスーパーだ。八回建てのその建物は、しかしほとんどテナントが入っておらず、シャッターが閉め切っている。ゲーセンもついこの前閉まってしまった。そんな中で唯一活気があるのが、カラオケだ。しかも規模がそれなりに大きい。


 宛てがわれた部屋の中で歌うのは、男二人。風見の選曲チョイスはどこか首を捻るものばかりだ。演歌で九十点を越す歌唱力を知っている人は、きっと多くない。蒼桔も負けじと流行りのラブソングを歌ってみたが……八十点を越すかどうかが関の山だった。


「昔っからだけど、お前の選曲センスはなんなの。演歌からアニソンまで幅広くね?」


「俺が歌いやすいものをチョイスしてるからね」


「歌いやすい、ねぇ……そうだ、そろそろ佳奈も歌ってみるか?」


「うーん……でも、マイク持てないし……」


「なくても歌えるだろうさ」


 中学時代の佳奈の歌を思い出す。彼女も恋愛系の歌を好んでいた。ボカロ曲も歌っていたし、おそらく風見から勧められたんだろう。これ現役中学生が作ったんだって、と意気揚々と話していた。中学生で作曲はすげぇな、と蒼桔は返した記憶がある。


 そんな記憶を掘り起こしながら何を歌うのか尋ねると、返って来たのは当時流行っていたラブソングだ。たった二年程しか経っていないはずなのに、そういえばこんな曲もあったなと感慨深くなる。


「な、なんかマイクなしで歌うの……恥ずかしいね……」


 照れくさそうにはにかみながら、流れてきた曲と共に歌い始める。記憶の中にあった歌声とまったく変わらない。姿形が中学時代のものなら、歳をとったのは自分たちだけなのだろうか。そんな気もしてくる。


 相変わらず高い音でも外さない、いい歌声だった。歌いきった彼女は、恥ずかしくて火照ったせいか、額を拭っている。紅潮した頬で笑う彼女の姿は……やっぱり、かわいらしい。思わず蒼桔も頬が緩んでいく。


「……虚空を見ながらニヤけるのは気持ち悪いぞ」


「いるんだって、そこに」


「随分と懐かしい曲だったけど……俺には全く歌は聞こえないよ。マイク入れといたけど、音が入ってなかったし」


 採点をする画面には、音が全く入っていない。けれど、蒼桔にはちゃんと聞こえている。前と同じ、彼女の歌声が。


 風見に聞こえていないことがわかると、彼女自身わかってはいてもどこか悲しそうに顔を俯かせる。外から聞こえてくる若干音の外れた歌声が、捻れた彼らの関係性のようだった。


「……にしても寒いな。クーラー効きすぎてない?」


「わかる。ちょっとトイレ行ってくるわ」


「俺も飲み物取りいく」


 佳奈は待っているようで、男二人で立ち上がって部屋から出た。トイレとドリンクバーは途中の道で別れてしまう。蒼桔が道を曲がると、ちょうど向かい側からやってきた二人組とぶつかりそうになって足を止める。


「おっと……すいませ……」


 言い切ろうとして、言葉が詰まる。驚いた顔で立ち止まっていたのは……白鷺 佳奈と、佐原 辰哉の二人だったからだ。空のコップを持ったまま、お互い何も言葉が出ない。先に掠れるような声を出したのは、蒼桔の方からだった。


「……佳奈」


「あれ、佳奈の知り合い?」


「し、知り合いっていうか……その……」


 苦々しく顔を歪める蒼桔と、どこか面倒くさそうに言葉を濁らせる白鷺。お互いのぎこちない姿を見て、佐原は柔らかな表情を曇らせる。白鷺の体を半分隠すように、少し前に歩み出た。外れている第一ボタンや固められた髪の毛。軟派者だと蒼桔は比喩したが、いざ詰め寄られると体が強ばって仕方がない。イケメンは凄みも違う。


「佳奈に何か用?」


 何か用かって、なんだ。彼氏ヅラしやがって。心の中で毒づくも、それは言葉にできない。けど、このまま引き下がるなんて以ての外だ。俺が、佳奈の彼氏だ。そうやって顔面に言葉の右ストレートをぶち込んでやりたい。


「用って……俺は」


「梗平、ストップ」


 言おうとした言葉は、背後から近づいてきていた風見によって止められる。肩に手を置いて、強めに後ろに下がらせた。代わりに風見が蒼桔よりも少し前に出る。右手に持っているコップには、何も注がれていない。おそらく蒼桔の驚いた声と、その後のやりとりが聞こえて戻ってきたんだろう。


「俺たち、一応佳奈の幼馴染だったんですけど……昔の幼馴染のこととか、何か聞いてたりしません?」


「いや、俺は何も聞いてないけど」


「そうですか……ならまぁ、後で本人から聞いといてください。ほら、行くぞ」


「痛ッ……そんな強く掴むなって!」


 風見に引きずられるように、蒼桔はその場から離れていく。せっかく話せるチャンスだったのに、よくも不意にしてくれたなと暗い感情が蠢き始めていた。部屋の前まで戻ってきた風見が蒼桔に向き直ると、ようやく手を離してくれる。


「こんなところで喧嘩でも始める気なのか? せめて店の外でやってくれ。店員に通報されるのは御免だぞ」


「……悪かったよ」


 真剣な顔で言われてしまえば、確かにそうだと頷くしかない。これが風見でなかったら、胸ぐら掴んで、何邪魔してんだと怒っていたかもしれないが。


「……でも、幼馴染だったって、過去形にするなよ」


「お前はそうかもな。でも、俺にはもう過去のことだよ」


 俺はもう割り切っているんだ。そう言ってくる風見の顔を、蒼桔は正面から見ようとはしなかった。

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