第7話 今彼元彼ダレノカレ
ある日突然、恋人から自分の記憶が消えてしまったら。そんな変な話をされても返答に困る。下手したら死別より難易度が高い。まぁ俺が被害をこうむった訳じゃないし。けど、まぁ一応関係者なわけで。馬鹿みたいに薄っぺらい関係者。佳奈が俺を選んだから生まれた事故みたいなもんだ。
……何も言わないのって?
それはまた、お気の毒に。だってどうにもならないんだろ。もう二年経ってる。そろそろ……時効ってもんじゃないのかねぇ。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
佐原が今付き合っている恋人、白鷺 佳奈には失ってしまった記憶があるらしい。その中には当時の恋人がいるのだとか。そんなことをつい昨日聞いたばかりだ。
(やだねぇ、そんなの。忘れるのは別れたあとでいいってのにさぁ)
昼休み。飲み物を買うために一階の自販機まで佐原は歩きながら考えていた。つい昨日、カラオケで遭遇した二人の男子生徒。蒼桔 梗平と風見 綾。そして一緒にいた白鷺 佳奈。この三人が元幼馴染で、中でも蒼桔と白鷺は付き合っていた……が、その記憶を失ってしまった。幼馴染関連の部分だけ、すっぽりと。
なんて奇跡だ。いや、そう呼ぶべきじゃないのかもしれないけど。まったく神様ってのは度し難い。苦しんでるのは佳奈じゃなくて、過去を忘れられない蒼桔だ。忘れてしまった佳奈にはそこに罪悪感を覚えることすらない。あの死人みたいな顔をした覇気のない男はずっと、過去に縛られたままだ。そんなもの、見るだけでわかる。
(もし自分が忘れられたら……いやぁ、どうすんのかねぇ。ストーカーのように付き纏う? それともすっぱり縁切って別の子を探す? でも待てよ。もし途中で思い出して、復縁を切り出されたら? その時別の子と付き合ってたらどうするよ)
なかなか難しい問題だなぁ、これは。どこか上の空な佐原は、一階まで下りてくると、校舎の外に出てすぐの場所にある自販機の前に立ってポケットから財布を取り出した。そして中を開くと……眉をひそめる。小銭がなく、札も五千円。自販機ではくずせない。
(まずったなぁ。コンビニで小銭使ってたの忘れてたわ)
誰かから小銭を借りてこようか。いやでもわざわざ借りてからまた戻ってくるのも面倒くさい。
どうしたもんかねぇ……と、しばらくその場で呆然と立ち続ける。幸いとも言うべきか、困ったことにと言うべきか。知り合いどころか生徒すら誰も買いに来ない。校内の自販機の方が人気らしい。佐原が飲みたい缶コーヒーが外にしかないので、毎度ここに買いに来る訳だが。
(誰かに電話かけてみっかなぁ。窓から小銭投げてもらえばいいし)
ひとまず借してくれそうなやつに電話をかけようとすると……校舎の中から出てくる足音が聞こえてきた。自販機の前にいては邪魔になってしまう。とりあえず離れようとして、途中で出てきた人物と顔を合わせることになった。すれ違うことができなかったのは、その人物が考え事の中心に近い奴だったからだ。
眼鏡をかけた男。理知的な顔立ちといえばいいのか、真面目そうと言えばいいのか。ともかく、あの死人みたいな男とは波長が合わなそうだ。
(なんだっけな……風見鶏みたいな……って、そのままだ。確か風見だ)
風に流されるままそっちを向くような、自己主張のなさそうな男。そんな感じで佐原は覚えていた。
対面から向かってやってきた風見は、佐原が立ち止まるのと同時に足を止める。眼鏡の奥から覗き込んでくる目は、どうやら目的があってここに来たらしいというのを伝えてくる。
「確か昨日会った……風見、だっけ?」
「それで合ってますよ。あの後、佳奈から俺たちのこと聞いたんですか?」
「あぁ、まぁ一応ね。てか、敬語なの?」
「同い年でも、親しくはないでしょう」
「確かにねぇ」
佐原は特に言葉遣いに気をつけてはいなかったが、風見は基本的に敬語らしい。別に同学年ならそんなもん気にしなくてもいいような気がする。特に学校なら。
彼はその場所で立ち止まって話すのもなんだなと思ったようで、自販機の前までやってくると財布を取り出し、缶のリンゴジュースを買った。取り出し口から手を引っこ抜きながら、佐原の方を見て言う。
「佐原くんは何か買わないんですか?」
「いや、小銭がなくてさ」
「そうですか。なら、なんか飲みたいもの奢るんで、ちょっとばかり話を聞いてもらえませんかね」
「別にそんなことしなくたって聞くけどさぁ。なんつーか、奇っ怪な小説みたいな話じゃん?」
あぁ、本当に。まるでフィクションだ。茶化すように笑う佐原を、しかし風見も薄らと笑い返した。蒼桔の肩を持つかと思っていたばかりに、肩透かしを喰らった気分になる。
「確かに、馬鹿げた話ですよ。よくある恋愛モノだ」
「お約束は記憶が元通りって感じ? あっ、俺これね」
貰えるなら貰っておくとばかりに、佐原は飲みたかった缶コーヒーを指さした。嫌な顔ひとつせずに風見はそれを買ってくれる。受け取ると、早速とばかりに中身を飲んでいく。ちょうどいい甘さと苦味、酸味。微糖が好みな佐原にとっては至福の一缶と言ってもいい。
「ふぅ……それで、なんだっけ。話したいことがあるって?」
「あぁ……放課後、梗平と話をして貰えませんか」
「蒼桔と? えっ、今の状況で?」
そんなもんどっからどう考えたって地雷じゃないか。佐原は目に見える爆弾を踏みに行く物好きではない。あからさまに嫌な顔をすると、風見の方も困ったような顔になってしまった。
「梗平は、今ちょっとばかり……鬱みたいな状態になってて。これはまた馬鹿げた話ではあるんですけど」
それから風見が話し出した内容は、そりゃもう佐原にとってはお腹いっぱいな話だった。記憶喪失の幼馴染の幽霊ときて、自分にしか見えていないとか。むかーし読んだ漫画にそんなやつあったなぁ、と思い出した。もちろんそんな与太話を信じられるわけがないが、その上で蒼桔と話をして欲しいと彼は頼んでくる。
「面倒は起こさないよう釘は刺しておきますよ。いや、できればそっちからも釘刺してもらいたいですけど」
「えぇ……お前アイツの幼馴染じゃないの?」
なんだってそんな、敵になるようなことをするんだ。そう問い返しても、風見はなかなか答えようとはしない。リンゴジュースで喉の奥を潤わせてから、彼は長いため息をつく。その表情は、何と形容したらいいのか。困惑、諦め、羨望、怒り、侮蔑や後悔。そんな良くなさそうなものが入り交じったような、そう……憂いを帯びた顔だった。
「早いところ、あの馬鹿を元に戻したいんです。佳奈のことを追っかけて学校を選んだ上に、更には妄想癖。付き合いきれないんですよ、こっちも」
「へぇー、結構お互いドライな感じ?」
「……さぁ、よくわかりません。幼馴染っていうのは本当に、よくわからない。だからまぁ、佐原くんが何かしらアイツの目を覚ましてくれるのなら、それは俺にとっても助かることなので」
「冷たいんだねぇ。幼馴染に幻想を見すぎたかな。ほら、漫画とかでよくある、お互い相棒だぜ、みたいな感じだと思ってたんだけどなぁ」
何かあっても幼馴染だからで済ませられるような関係。そんなもんだと思っていた。だけどこうして実際、風見は蒼桔の行動理念とは真逆のことをしようとしている。彼はきっと佳奈の幽霊なんて信じちゃいない。本人も言うように、馬鹿馬鹿しい話なんだろう。
「でもまぁ、わざわざ俺のところにそんな話をしにくるのは、それなりに幼馴染のことを心配してるってことなんかねぇ」
「……まさか。自分のことしか考えてないよ……お互い、きっとね」
残りのリンゴジュースを煽るように飲み干すと、彼は苦々しく顔を歪めた。酸っぱかったわけじゃないだろう。荒々しくゴミ箱に捨てて、すれ違いざまに「頼みますね」と言い、そのまま校舎の中へと戻っていってしまう。
どうやら幼馴染というのは、そんな楽なもんでもないらしい。佐原も缶の残りを飲み干すと、ゴミ箱に捨てようとして……一瞬首筋をなぞるような、ぞわりとした感触に身を震わせる。
寒気だろうか。それとも、こんな面白そうな話の中に自分がいるということに少なからず楽しみというか、好奇心を覚えているんだろうか。全身が逆立つような鳥肌は、しばらく治まらなかった。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
放課後。佐原は白鷺に先に帰るよう連絡を入れてから、しばらく教室の中で携帯をいじっていた。教室に残る生徒は少なく、どんどんその数は減っていく。部活動に勤しむ姿を見て、楽しそうだとは思っても……肌に合わないだろうなぁ、と行き着く結論は面倒くさいだった。
放課後に会ってくれとは言われたものの、教室に向かえば佳奈と鉢合わせになる可能性がある。それだと上手く話は出来ないだろう。なんと言えばいいのか、佳奈はあの二人と会いたくなさそうだった。まぁ、過去にわだかまりがある訳だし、気持ちはわからなくもない……だろうか。
(なんにしても、気の毒な話だよねぇ。幻覚見えるくらい好きなのに、本人は覚えてないなんて。いやもし本当なら。仮に記憶が戻ったら。寝盗られたりするのか? リアルに? うわぁ、マジで起きたら吐きそう)
これはもう夜に耐性つけるべく読み漁った方がいいかなぁ。なんて馬鹿なことを考えながら、来るだろう人物を待ち続ける。珍しく教室に残り続ける佐原に、友人たちは手を振ってから教室を出ていった。そしてめっきり人がいなくなり、教室に佐原だけが取り残される。
隣の校舎からは吹奏楽部の演奏が聞こえ始めた。窓から見下ろす景色は夕暮れに染っていて、部活に勤しむ生徒の姿が見えたりする。こんな時間まで残っていることも、中々ないだろう。それにしても、いつ来る気なのか……。
「……佐原」
「んっ? おぉ、来た来た。来ないかと思ってたよ」
音楽のせいで空きっぱなしの扉から入ってくる音に気づけなかった。窓に背を向けて、入ってきた人物と顔を向き合わせる。
(……本当、死人みたいなツラしてんなぁ。かわいそうに)
果たして自分が彼の立場なら、ここまで酷い有様になるだろうか。とても想像できない。机二つ分の距離はあるが、それでも目に見えてわかるくらい彼は疲れているように見える。
いつものように平常心でいる佐原とは違い、彼……蒼桔はどこか居心地が悪そうだった。まぁ、そりゃそうだと佐原も思う。女の子の彼氏と元彼が出会って、ハイターッチってことはない。向こうからしたら息苦しいことこの上ないだろう。
「いやぁ、昨日は悪かったよ。佳奈になんか悪さしようとしてるかと思ってさぁ。目付き悪かったし」
「……随分とアレだな。記憶のなくなる前の彼氏と会っても、変にひねくれたりしないんだな」
「装ってるだけかもしれないよ? でもまぁ、ほら。事情が事情じゃん?」
なんかおもしれェこと起きてんなぁと、佐原は楽観的だった。蒼桔からすれば死活問題だろうに、佐原はその柔らかな表情を崩さない。おそらく拍子抜けだと思われているだろう。
争いたいわけじゃない。でも……じゃあ負けでいいって聞かれたら、そんなものもちろんノーだ。
「それで……なに話す? 佳奈の自慢話でもする?」
「ッ……あのなぁ、俺は真剣な話しにきてんだよ」
「いやこっちも真剣だけどね。幽霊が見えるんだーって言ってる奴と、佳奈の今の彼氏。どっちが真面目かって言ったら、そりゃ俺でしょ」
そんなもん当然だろとばかりに佐原は言う。蒼桔も言い返したそうな顔をしていたが、散々っぱら周りの人に言われ続けたせいだろう。言葉は喉の奥から出てこようとはしなかった。
両手を握りしめて震えるその姿に、同情しなくもない。まったく可哀想な奴だ。それでも見えている幻覚に縋って、記憶を取り戻そうとしている。
ただ、問題がある。そう……致命的な問題が。
「蒼桔は、佳奈の記憶を取り戻したいんだっけ? そうすれば佳奈は自然と自分の元に戻ってくるだろーって」
「……そう思っちゃ、悪いのかよ。だって俺は」
「いや別に悪いとは言っちゃいないよ。たださぁ……わかるだろ? 仮に俺とお前が逆の立場だったらさぁ……」
そんな話を易々と信じて、佳奈と一緒に過ごすことを許容するのかって。いや、そんなわけない。恋人ってのはそんなもんだ。どうしようもない独占欲ってものがある。それは蒼桔も感じているだろ。だからこそ、こうやって突っかかってくるんだ。
「逆だとか、そんな話じゃねぇんだよ。お前も聞いてんだろ。佳奈が、そう言ってんだよ! 記憶を取り戻したいって!」
吹奏楽部の演奏をかき消すような、強い言葉だった。声が大きいというわけじゃなく、覇気があったってわけでもない。ただ、何か芯のあるような、強さがあった。
睨みつけるように見てくる彼の目は死人のソレではなく、生き生きとしているように思える。しかし……だからこそ、佐原は思ってしまった。
(……追いかけることでしか、自分を保てないんじゃないのか?)
その幻覚は、自己防衛ではないか。そう思えてしまう。だとしたら彼の恋は……愛は、なんて重たいものなんだろう。あぁ、なんて……救われない。それでもこの言葉を、佐原は彼に告げなくてはならない。
「……佳奈は記憶なんか取り戻さなくていいってさ」
「ッ……」
「アイツは今のままでいいって言ってる。わざわざ昔の記憶なんてなくても、生きていくのに支障なんてないってさ。お前も教室一緒なんだから見てるだろ? 友達だってちゃんといるし、不自由そうな顔ひとつない」
「だからって、そんなの……佳奈の親だって、記憶が戻った方がいいに決まってるはずだ!」
「それは決めつけだ。例えなくしたものが大切なものだったとしても、本人がいらないと言えば、その主張を尊重すべきじゃないの? 第一、そもそもの話……」
自分らしくない言葉の昂りを押さえつけるように、佐原は一呼吸間を置く。だんだんと死人の目に戻りつつある彼に向けて、しかしこの意志だけは曲げてはいけないと、言葉を口にする。
「今の佳奈の彼氏は、俺だ。なのに佳奈のことを信じてやれないなんて、そんなの失格だろ」
彼とは相容れないのだと、否定する。ことこの対面において、蒼桔は勝つことはできないだろう。なにせ……彼自身も、心の奥で納得しているからだ。あぁ、そりゃそうだろうな、と。
そんな不満と納得のせめぎあいで顔を歪めている蒼桔を見ないようにして、佐原は机に置いてあった鞄を持って、その場から去っていく。
教室を出る瞬間、流れる音楽にかき消されそうな声が、微かに耳に届いてきた。
「……俺だって……佳奈の、彼氏だ」
あぁ、本当に。悲しい男だ。それでも対立するしかないじゃないか。それが、恋人ってものだ。彼氏としての責務ってものだ。佳奈が嫌がる以上、俺は佳奈の味方じゃないといけない。
依然として教室の中で動こうとしない蒼桔の背を一瞥して、佐原は歩みを早めていく。階段をおりて、下駄箱までやってきた。そして自分の下駄箱にまで向かおうとして……その前で立っている女の子を見つけて、足を止める。
「……先に帰っててって言ったのに、待ってたの?」
立っていたのは、白鷺 佳奈だった。手に持っていた携帯をしまい込むと、笑いながら「うん」と頷く。
「もうちょっと待ってこなかったら帰ってたけどさ。でも、待ってて良かったよ」
恥ずかしそうに笑う。いつもなら嬉しい気持ちが満ちていくのに、どうにも居心地が悪い。しかしそんな顔を見せないように、佐原は後頭部をわざとらしく掻きながら「いやぁ悪いね。ありがと」とお礼を言う。
(……救われない、ねぇ。本当に)
逆の立場にはなりたくないなぁ、と佐原は右手を包み込む柔らかな感触と共に実感していた。
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