今度は戸の隙間から覗くような視界だ。

 目の前には腹から血を流す母親の姿がある。

「これは私が刺した後。お父さんの車の音が聞こえたから、慌ててコートを着て脱衣所に隠れたの。ほら、お父さんが入って来た」

 居間に入って来た父親はうわぁっと悲鳴をあげた後、ソロリと母親に近づいた。

 助けを懇願するような目を向ける母親の横に転がっている包丁。

父親は震える手でそれを手に取り、母親の胸に突き立てる。

 それからホッとしたように息を吐き、ようやく「ユラ、ユラ」と呼びながら探しに行ったのだ。


「私はその後で逃げ出して、あの変な戸を潜っちゃったの」

 やけに冷静に話すユラを恐ろしいと思った。

「私が、殺したの?」

 ユラが聞く。

 私が何も答えられないでいると、足元がグワンと揺れた。

 ユラと私を取り込んだ殺意が、どこかへ移動しているのだと気付く。けれど視界は閉ざされてしまって何も見えない。

「ねぇ、ユラ。この黒いのはあなたの感情なの。えっと……だから」

 どうして欲しいのか、自分でも言いたい言葉が見つからない。

ただ怪物を止めて、それから外に出られるように希望や信じる心を持ってほしいのだけれど、ユラに希望を持てなんて言えない。


「分かるわ。殺意なんでしょ?」

「それは……ねぇ、外にいる神様たちを信じてみない?」

 ゆっくり走るジェットコースターみたいに、ずっと体が不安定だ。

 ユラが立ち上がり、馬鹿にするみたいに笑った。

「何を信じろって言うの⁉ 私がこんなになるまで何もしてくれなかったくせに!」

「それは、神様たちは信じてくれないと何もできないから」

「信じてた時期だってあったわよ! 嘘つき!」

 ユラは声を荒げ、私を罵る。その度に姿が黒色に溶けていくようだった。

「嘘じゃないんだって。お願い、信じてよ……。外に出たらこれから……」

「これからなんて無いわよ!」

 ユラは私の言葉を遮って声を上げた。

「私は人殺しなんだから、未来なんてある訳ないでしょ! ふざけないで!」

「あるよ! 私が友達になるから!」

 はっきり言って、勢いで言った言葉だ。けれどユラは戸惑ったように声を止める。

 それに釣られるように黒い景色の一部が消え、空が見えた。

 ビルの屋根や丘が同じ高さに見えている。

 視界が足元を映した時、思わずゾッとした。

 今、怪物は屋上らしい場所の端に立っている。あと一歩でも前に進んだら落ちてしまいそうな所に、私たちは立っている。


「ユラ! 早く怪物を止めなきゃ、ここ屋上だよ⁉」

「うるさいなぁ。分かってるよ。私が歩かせてるんだもん。ここは私の中学校。あんな家だから学校でも笑えなくて……そしたら、虐められるようになったの。悲惨でしょ? それでここで死んでやろうと思って。だから早くここから出てってよ」

「ダメだよ! お願い、止めて! 絶対に大丈夫とは言えないけど……私はユラと友達になりたいよ。せっかく神々の七日間で神様たちと話せるんだから、助けてって相談もしてみようよ。お願い、私を信じて!」

 サグメのように、助けられないのはもう嫌なんだ。怖くて、怖くて……私は必死にユラに訴える。

「でも……」

 ユラの言葉に勢いがなくなった。


 その時、視界がグイっと下を覗き込む。下を誰かが歩いていた。

 ふらっと揺れた。

 その時にはもう落ち始めていた。


 ユラなのか私なのか、悲鳴を上げる。

「いやぁあ! あんたを信じてみようって思ったのに!」

 その視界にケンが見えた。

「ケン! 助けて!」

 パァっと、一瞬で暗闇が光で溢れた。

 私は体の周りからズルっと何かが剥がれるのを感じ、何かに必死に縋り付く。

 数人の悲鳴が聞こえ、目を開けると私はケンに抱かれていた。

 地面が凄く近いけれど、私は宙に浮いている。

「間に合って良かった……」

 疲れた顔のケンが笑う。その向こうでは、天狗がユラを抱きかかえていた。

 天狗はユラを地面に降ろすと、落ちてぐったりしている怪物をつまみ上げる。

「台所に突っ込んでおくぞ」

「あぁ、頼むよ」

 ケンが天狗に答える。その頃になって、そこが自分の通う中学校だと気が付いた。

 さらに、目の前で腰を抜かしているのはサグメの両親と校長先生だ。

「コ、コヤネちゃん? ちょっと……コヤネちゃんじゃない!」

 サグメの母親、ミチネは私に気が付くと走り寄って来る。

「ちょっと! あんたこの前の神様よね⁉ どういう事か説明しなさいよね!」

 困るケンと、騒ぐミチネと、ユラに話しかけているサグメの父。それから学校の中へ慌てて入って行く校長先生を見た。


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