「そうか、分かったよ。急いで探す。さっきの殺意もまた台所庭に戻って来てしまったから、他の神様たちもここに来てくれる事になったんだ」

 ケンは私に、だから外に出ているようにと言った。

 けれどそんな言葉より気になる事がある。

「殺意って、さっきの黒い怪物の事⁉」

「あ! いや……ちがっ! あぁ……うん。そうだよ。だから店の扉まで送って行くから、できれば店からも離れていてくれないかな?」

 口を滑らせたと後悔した様子でケンが言う。

 いつもなら「分かった」と返事をする私も、今日はどうしてもそうと言えない。


「私もあの女の子を探す! 私が怯えさせるような事を言ったから逃げちゃったのかもしれないんだよ! だから私が探さないと!」

 何か良くない感情に自分が支配されている事には気付いている。けれど、どうしたらいいのかが分からなくてケンを困らせてしまうのだ。

 そんな私にケンは言った。

「コヤネ。今コヤネはとても焦って、自分を責めているね。その状態で黒い感情に遭遇するのはとても危険な事なんだ。だから一度ここから離れなきゃ。ね?」

「……ん」

 納得ができないながらも、神様に諭されては逆らうわけにいかない。

 ケンに抱えられて台所庭を飛ぶ間も、私はモヤモヤとした感情を抱えている。

 それが何なのかは案外すぐに分かった。恐怖だ。

 怖いのだ。

『自分のせいであの女の子が酷い目に遭ってしまうのが』『自分だけ何も知らないまま安全な場所で待っているのが』『邪魔になってしまうのが』怖いのだ。

 自分のせいで誰かが命を落とすかもしれないとも思う。

 あの時みたいに……。


 ぐるぐると思い悩んでいると、不意にケンが方向を変えた。

「ケン、どうしたの?」

「ちょっとね。どうしたもんかな……」

「ちゃんと教えてくれた方が怖くない。私だって、教えてくれたら邪魔にならないようにくらいできるから」

 私が言うとケンは空の途中で立ち止まり、ふわっと笑った。

「邪魔だなんて思ってないよ。僕は、僕たちはただ守りたいだけなんだ。でも……そうだね」

 少し考えてから、ケンは信じられない事を言った。

「店への戸の所にさっきの殺意がいる。あれはコヤネの会った女の子の感情だ」

「え? そんな事って……」

 信じられないと言おうとして、あの女の子に怒鳴られた言葉を思い出す。


「あの子……あの子ね、殺さなきゃ生きられないって怯えてるんだよ! さっきそんな事を言ってたもん。ねぇ、ケン。浄化してあげられないの?」

 期待を込めて聞いた私に、ケンは首を横に振った。

「もともと殺意っていうのは浄化ができない感情なんだよ。斬るしかないんだ。それなのに今は本人と一体化してしまって……斬る事もできない」

「そんな⁉ どうにか出来ないの?」

「感情だから本人なら宥める事もできるだろうけど」

 それは、おそらくできない。

 私だって自分の感情に振り回されているのだから、殺意なんてきっと宥めようがないだろう。

「あの子はどうなるの? お願いだから助けてあげてよ!」

「そうだね。ほんの少しでも期待や希望、信じる心なんかを抱いてくれたら引き離せるんだけど……」

 その言葉は今のあの子にそれがない事を意味していた。

 そんな悲しい事はないじゃないかと、私は奥歯を噛み締める。


「何をのんびりしている」

 バサッと羽ばたく音と共に聞こえた声は天狗だった。

 台所庭の天井、勝手口からは天狗の他に龍神様や恵比寿天様、刀の神様も来ている。

「あぁ、すまない。急がなきゃね」

 申し訳なさそうに言ったケンの下、足元にそいつは来た。

 真っ黒な姿の中から黄色いスカートの裾をちらつかせながら、足場なんてないはずの空中を走ってくる。


「ケン、どうする⁉」

 天狗が殺意を押し返しながら叫ぶ。

「女の子が取り込まれてるんだ。まだ斬れないよ!」

 他の神様たちも集まって来て、効かないと分かっていながらも浄化の光を放つ。

 早く逃げろと言う神様たちは、私を逃がそうとしてくれているのだと分かった。

 浄化の光はほんの少し時間を稼ぐくらいにしかならなくて、殺意は光の隙間を縫うように分裂しながら私たちの方へ向かって来る。

 ケンが天井の勝手口に向かって空を裂く勢いで飛ぶ。その首にギュッとしがみ付き、一人も欠けることなく皆が助かるように必死で祈る。


 けれど殺意は私の足首を捉えた。

 その瞬間、私はあの黒くなって消えてしまった兎の神様を思い出して怖くなった。

 私のせいでケンが消えてしまう。そう思うと、私は必死でケンの腕の中でもがく。

 そして足首に絡みつく殺意が私を飲み込んだ。

「コヤネ!」

 ケンが手を離さないので、私はその手を振り払う。

 パッと瞬いた光がケンを拒絶した。私が望んでいないからだ。

 視界が黒く染まっていき、暑いのか寒いのかも分からなくなっていく。それどころか、飛んでいるのか歩いているのかも分からない。

 胸が重苦しい何かに蓋をされるみたい苦しい。

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