ヤマツミさんが席に座ると、お腹の辺りから感情が煙となって溢れ出した。

 煙が戸をすり抜けて台所庭に入って行くと、珍しくケンは説明をせずにそれを追いかけて行ってしまう。

「あぁ、えっと……今は感情を追いかけて行きました。すぐに収穫して戻りますので」

「はぁ? 感情? 何のことか全く分からないわよ」

「あ、そうですよね。すみません」

 説明の意味が理解できないヤマツミさんは、きつい言い方とは裏腹に笑顔だ。

 あったか亭の台所では感情が勝手に自分の姿を決めてしまうという事だけを説明して、私は話していい事について頭を働かせる。

 ヤマツミさんがあの人の婚約者なので、私が人質だったという事は伏せておくべきだろうと思う。

 無言にも耐えられないので、私は緊張しながら口を開く。


「あの、すみません。寒くないですか? やっぱり誘っちゃいけなかったですよね」

「いいのよ。それより、この店お酒ないの?」

「ないと思います。スープしかないので」

「スープだけ? 神様の考える事って本当に分からないわね。じゃあ、あの神様は今スープの材料を収穫しに行ってるわけ?」

「はい。それがヤマツミさんの感情なんです」

「へぇ。究極のエコね」

 ヤマツミさんはじっと私の顔を見る。

 思えば、今日は他人の仮面をしていない。

「はぁ……ちょっと若すぎるわね」

 ヤマツミさんは言葉と共に溜め息を吐き、目を逸らした。

「あの……私でも話を聞くぐらいは出来ますから、話して下さい」

「相手に選択権を与えない言い方をしてしまうのは若い証拠よ。大人の女なら、良かったら話してくれませんか? とか言うのよ。まぁいいけど。汚い話だけど、本当に聞く?」

「はい」

 私が返事をすると、ヤマツミさんはタバコに火を点けてから話し始めた。


「イヤってね、可哀想な男なのよ。親に他人みたいにして育てられたせいで、お金しか愛せないの。愛はお金でしか買えないと思ってる人よ」

 彼女が話すのを聞きながら、私はタバコが気になって仕方がなかった。けれど知り合ったばかりの大人の女性相手に『悪い』と口に出せないでいる。

「だからね、私は買ってあげたのよ。イヤの愛を。愛なんてね、ショーケースの中のケーキなのよ。待っていたって手に入らないわ。だったら買うか盗むしかないでしょ? 昔は盗んだ事もあったけど、あれはダメね」

「ダメって、何がですか?」

 そう聞く私に、彼女が口を曲げて答える。

「盗んだケーキはすぐに盗まれるのよ。そしたら腹が立つでしょ? だから買う事にしたのよ。だから、私にとってイヤは運命の相手なのよ」

 あの犯人、イヤも『運命の相手だ』と言っていたのを思い出す。

 ヤマツミは灰を地面に落としながら話を続ける。

「イヤはね、買ってあげればどこにも行かないのよ。どんな純情そうな女にも、巨乳美人にもなびかないわ。イヤの愛を買った私にだけ愛をくれるのよ。愛に汚い私には最高の相手じゃない」

 ヤマツミさんはポッコリと膨らんだ自分のお腹に視線を落とす。

 ケンはまだ帰って来ない。

「愛に汚いって、どういう意味ですか?」

「そのままの意味よ。テーブルに並んだたくさんのケーキを、他人の分まで一人で食べつくす人がいたら意地汚い奴だと思うでしょ? 私はそれよ。お腹が空いてるの」

 言葉の先を悪く想像してしまい、何も言えずに黙る。そんな私にお構いなしに話は続く。

「私のケーキは私の物。隣の人のケーキも私の物でないと我慢が出来ないの。それがイヤとなら上手くやれると思っていたわ。買えばいいんだものね。でも、子供ができたの。計算外だったわ。イヤが生まれてもいない子供に、あんな顔をするなんて」

「え? でも……」

 言いかけて、すぐに口をつぐむ。

「もちろん、私だって子供は別って思ってたわよ。でもイヤのあの嬉しそうな顔を見た時にね、別じゃないって気付いちゃったの。私みたいな親がきっと子供を苦しめるのよね。それなら最初から生まなければいいんじゃないかって思って、川に入ったのよ」

 ヤマツミさんは他人事のように言った。

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