「あぁ、もう陽が暮れちゃうじゃない! まだなの?」

 女の人がケンに言うけれど、ケンは気にした素振りもない。

「まだ暮れ始めたばかりですよ」

 そう言いながらケンはスープをよそう。

「暗くなってからじゃ遅いでしょ! そのくらい神様なら分かるでしょ? 人間は汚いのよ。あぁ、あの子の父親はバカな男だわ。私の言う事やる事を何もかも拒絶して。痛い思いをした事だってあるはずでしょうに!」

 女の人は話しながら激高し、バン! と机を叩く。

「私たちは人間を愛おしく思っていますよ。愚かなところまで何もかもね。それはまるで、宇宙のミニチュア版を見ているようですから」

 ケンは言いながら、女の人にスープを出す。

 琥珀色だけれどドロリとしたスープだ。

「どうぞ。心残りコーンと不安豆のあんかけスープです。残さず飲んで下さいね」

「心残り? なによ、それ。あんた本当に良い神様なんでしょうね?」

 女の人が訝しむと、ケンはその目の前に立って見下ろす。

「良いか悪いか、あなたの基準は知りませんが、僕はただの茶碗の付喪神ですから。ちなみにそちらの野菜の産地はあなたの感情です」

 ウッと女の人がたじろいで、それから黙ってスープを飲み始める。

 今この人は自分の感情を咀嚼している。

 だからだろうか? とても飲み難そうだ。


 頭上でカラスが鳴いた。それからバサッと降りてきて、台所庭の戸の前で止まる。

 ケンはそこにしゃがんで、カラスに水の入った皿を差し出した。

 黙ってスープを飲んでいた女の人が言う。

「あなたって性格悪いわね。神様だから知っているのね? 知っていてスープに心残りなんて名前を付けたんでしょ?」

 私は、ふぅっと疲れた様子で溜め息を吐く女の人に聞く。

「何かあったんですか?」

「よくある事よ。昔ね、実家が放火されたの。やったのは父の部下だったわ。母には酷い火傷の痕が残ったし、父は部下の目論み通りに亡くなった。心残りと言えばあれしか思いつかないわよ」

 ケンは女の人の目をじっと見ながら、先を促すように黙っている。


「何よ? 私は悪くないわよ⁉ 私は家族を守るために良くやっているでしょ? だいたいね、みんな能天気すぎるのよ! 隙を見せれば傷付けられる世の中じゃない。傷付けられる隙の無いように生きるべきでしょ! そんなんだから死にたくなるのよ……。だから私がしっかり見張っていなきゃ。大切な人たちの行動を知って何が悪いのよ! 見張って指図しなきゃ、どうせまた傷ついて泣く癖に。窮屈だなんて贅沢よ!」


 今度はケンが溜め息を吐く番だった。

「スープは飲み干しましたか?」

「の、飲んだけど……」

「美味しかったですか?」

「苦かったわよ」

「でしょうね」

「苦いの分かってて飲ませたの⁉ 何がしたいのよ!」

「分かりませんか?」

 ケンはそう言ってから、また黙ってしまう。

 女の人も何も言わないので、私は居た堪れなくなって思わず話しかける。

「何か、飲みながら思い出した事はありませんでしたか? 頭にこびりついて離れない景色とか?」

「あんた、私が犯罪者だって言いたいの⁉ 私は悪くないわよ!」

「そんな事は言ってませんけど……」

「うるさいわね! 精神科の薬を捨てたくらいで何よ! あんなものより私の言う事を聞いていた方がよっぽど薬になるのよ。あんな薬は毒よ、毒!」

「え? 捨てていたって、誰の薬を?」

「旦那よ! あんなクズ、家族とも思いたくないわ」


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