台所庭はさっきと同じ風景だけれど、そこには風があった。もう草木は眠ってはいないし、虫はこぞって鳴き、鳥は群れて空を飛ぶ。水の流れる音も聞こえる。

 私の頭から溢れた黒い煙の塊は、どこにも見当たらなかった。

 もうどこかで、何らかの形になってしまったのだろうか?

「待って、コヤネ」

 神様だ。その後ろから雑兎も付いて来ている。

「あの黒いの、どこかに行っちゃった」

「そうだろうね。見当たらないのなら無理に探さないんだよ。いいね?」

 神様に言われて嫌と言えるわけもなく、私は仕方なしに頷く。

「あれも私の感情なんでしょ? 食べたかったな……」

 食べたらどうしたらいいのか分かる気がした。どうやって歩き出したらいいのか、分かる気がしたんだ。

 私は頭を撫でてくれる神様に聞く。

「あれは何だったの?」

「コヤネにはちゃんと分かっているんじゃないかな? あの時、何を思っていたの?」

「……怒ってた」

 そうだねと言ってから、神様は私を近くの木の根元に座らせる。

「僕はもう行かなきゃいけないけれど、この台所にいるのならあの谷には行かない事。いいね? それとできるだけ扉から離れないようにね。恐怖兎と必ず一緒にいて」

「おぅ! 扉の近くにいれば怖い事ないもんな!」

 雑兎が答えて、私の隣に座る。

「谷って、あの岩の所?」

「そうだよ。あそこにだけは行っちゃダメだからね。約束だよ」

「分かった。谷に何があるの?」

「今度教えてあげるよ」

 神様は柔らかい笑顔で「あとで迎えに来る」と言って扉をくぐって出て行った。


「大丈夫かよ?」

 雑兎が聞く。私はいつの間にか泣いていた。

「あれじゃあ、サグメが可哀想すぎるよ……」

「そうだよな。でも人間って口から出る言葉と頭の中がバラバラだからさ、本当は悲しいんじゃねぇの? 大人って余計にそうだろう?」

「もの凄く楽しそうだった」

「まぁ……確かにな」

 雑兎は黙ってしまって、私は怒りに心臓を支配されているみたいで少し苦しくなって、草原の中に横になる。

 空は相変わらず見た事もない顔をしている。光の海が今にも落ちてきそうだ。


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