「やっぱり屋台はどこも閉まってるわねぇ。別のイイところに行きましょうか?」

 サグメの母だ。うちの母とは飲み友達であり、飲み屋で働く夜の蝶だ。もちろん私の顔も知っている。

 私は母が一緒にいるかもしれないと考え、スープの残る皿をそのままにカウンターの中に隠れてしゃがむ。

 神様はダメとは言わず、招き入れてから優しく聞く。


「どうしたの?」

「友達のお母さんなの。こんな夜に会うわけにいかないから隠れさせて」

「スープは残さず飲まなきゃね」

 そう言って、私の顔を手の平で覆うように撫でる神様。

「でも会いたくないし……」

「もう大丈夫だよ。堂々と座ってスープを飲んでおいで」

 神様は手鏡を差し出し、私はそれを覗き込んで驚いた。

 でこっぱちでタラコ唇な私の顔が、清楚な大人の女性の顔になっているのだ。私は何度も顔を触って確かめる。ちゃんと柔らかいし、表情だって作れる。違和感のない顔だった。

「神様の仮面」

 私の前にしゃがんで、ふふっと笑う神様。

「最初に神様のって付ければ何でも納得させられると思ってるでしょ」

「まぁね」

「なぁ、俺は隠れた方がいいか?」

 雑兎が聞くと、神様は座っていればいいと答える。

「この七日間に、兎が喋っているくらいで驚く人はいないよ。大丈夫」

 ほら、と急かされて席に着くと、丁度サグメの母が店の前まで来た。うちの母はいない。


「あら、やってるのね」

「えぇ。いらっしゃいませ」

 ベージュ色の長い髪から濃いシャンプーのにおいがした。黄色のドレスみたいな衣装を着て、大きなルビーのネックレスを揺らす。いつも通りのサグメの母だ。

 腕を絡ませながらその隣を歩くのは知らない男の人。

「みんな休んで神社巡りだと思ったんだがなぁ。ん? あんた、神様か!」

「え? そうなの?」

 二人は驚きながら私の左隣に座った。すぐに背中から煙の丸い塊が出る。そして閉まっている木戸をすり抜けて、煙の塊は向こう側へ消えた。

「僕はスープしか出せないんです。その代わりお代は頂きませんから」

「神様がくれる物ならなんでもいいわよ」

 神様はにこりと笑ってから台所庭へ入って行く。


戸が閉まるのを確認してから、二人は話し始める。ちらっと私と雑兎の方を見たけれど、気にしない事にしたらしい。

「ミチネ。大変だったなぁ。辛かったな。もう大丈夫なのか?」

 私と男の間にサグメの母が座っているので、体ごと女に向く男の顔は私からよく見える。

「いいのよ。辛いなんて言っていてもあの子は帰って来ないもの。あの子ね、うちにお金がない事を知っていて、私のこの仕事の事をよく理解してくれていたのよ。高校生になったらバイトしてお母さんに楽させてあげるからねって……いい子よね」

 サグメの母は目を潤ませるが、私は今の話がまるっきり嘘だという事をよく知っている。

 まず、サグメの家は裕福だ。父親は議員さんで、母親が働かなくても十分すぎるくらいの生活が出来るのだと、サグメが言っていた。

 そしてサグメは母親に仕事を辞めてほしいと何度も訴えていた。

 それからこの母親は、料理の学校に行きたいと言ったサグメを「くだらない。金食い虫」と罵倒したのだ。

 男がミチネの肩を抱く。

「俺に出来る事なら何でも言ってくれよ、ミチネ」

「本当? それじゃあ、あの子と行った奄美大島に行きたいわ」

「あぁ、もちろんだ。一緒に行こう」

 サグメは奄美大島に行った事なんてない。


 聞いていると腹が立ってきた。けれど今の私は知らない他人なのだ。

私は忘れていたスープを飲む。時間が経ってしまったはずなのに、なぜかまだ温かい。

 キィッと戸が開き、神様が帰ってくる。さっきと同じ大きな籠を背負い、二人分の感情を収穫して来た。

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