そこは明るい夜だった。とても明るいのだ。浮かぶ満月にも負けじと輝く星たち。家を出た時に見上げた満天の星なんて比じゃないくらいの星の海。

 明らかに扉のあちらとこちらは別世界だ。

 呆けて扉を越えた私の一歩はしっとりとした草地を踏んだ。

「なに……ここ」

 静かだ。こんな秋の夜長に虫の声ひとつ聞こえない。鳥の羽ばたきも聞こえなければ風さえない。

 まるで世界が眠っているみたいだと思った。

 足元の緑はどこまでも広がっていて、大きな木には星のような光る実が生っている。よく見るとあちこちに、光を花びらに隠した蕾がある。

 私の背丈くらいの竹が行儀よく並んでいて、それにはキュウリの蔦が絡まっている。

 あの白いキュウリだ。

 こんなに遠くまで見える夜は初めてだ。だって視界の端に小さく岩山が見えている。

 ふとサグメと行ったキャンプの事を思い出す。

「サグメ……」


 大好きな友達だった。私に出来る事なら何でもするから、生きていてほしかったのに。

 日を追うごとにサグメの表情は暗くなっていき、その度に無口になっていた。

 話して欲しいと言う言葉が彼女を責めてしまうのではないかと、怖かった。

 怖かったのだ。

 聞いても何もできなかった事とか、大人たちが都合のいいように言葉を曲げて解釈してしまう事とか、ずっと準備をしていて部屋まで片付けていたサグメの事とか。

 何もかもが怖くて仕方ない。


 急にお腹に冷たさを感じた。

 海の底の凍りそうな水が、光を飲み込もうと浮上してくるみたい。

 何だろうかと思っているとお腹の辺りから煙が飛び出して来た。

 本当に普通の煙だ。それが丸い塊になって飛び出して来たのだ。

 煙の塊は私の足元の、必死に光を抱く蕾に纏わりついた。

 払おうとしてしゃがむと、煙はムクムクと形を変え始める。それから煙は、私がどれだけ手で払っても兎の形になってしまうようになった。

 そしてそれは本当に兎の姿を得たのだ。牛のような模様の兎だ。耳がぴくぴくと動いた。私が知っているのより大きな、柴犬くらいはありそうな兎。

 兎はその真っ赤な目を私に向ける。


「よう。コヤネ」


 兎が言った。そして立ち上がる。

 立ち上がるとその姿は耳のあるペンギンにも見えるし、ぬいぐるみにも見えた。

 何となく雑な兎だと思った。

 私は必死にこの雑な兎について考察する。

煙が毛むくじゃらの兎になって、あろう事か話しかけるなんて……納得できる理由が欲しくて考えるけれど何も考えつかない。

 待ちくたびれた様子の雑兎がまた話す。

「理屈で考えたって無駄だぜ。俺はお前の感情なんだよ。それだけだ」

「それだけって言われても……」

「諦めて納得しろよ」

 納得なんて出来る訳がない。とにかくこの雑兎は話せるのだから、私が納得できるまで質問をしてみる事にする。

「私の感情って、あなたは何の感情なの?」

「コヤネの恐怖さ」

 雑兎はニタッと、けれど少し悲しそうに笑う。

「なんで出て来ちゃったの?」

「ここがそういう場所だからだよ。神様の気配があるからな」

「ここが神様の住む所なの? 入っちゃいけない所? そういう所だから可笑しな事が起きるの?」

「待てって。俺だって今お前から生まれたばっかりなんだ。詳しい事なんか知るかよ」

 どうしたものかと下を向くと、さっきの蕾が光を失っている。

 でも、と雑兎が言う。

「お前の事ならよく知ってるぜ。イヒカとサギリの娘のコヤネだ。母親のイヒカと喧嘩してこんな夜にぶらついてる中学三年生」

 雑兎は得意げな顔で私を見上げる。

「それなら、あなたは神様なの?」

 私の事を知っているのなら、私が生まれた時に来たという神様の一人なのかと考えたのだ。けれど雑兎は首を横に振る。

「俺が神様なもんかよ。さっき言ったばっかりだろう? 俺はお前の恐怖なんだよ。神様なんかじゃなくて、ただの感情だ」

「そっか」

「それに、神々の七日間はまだ始まってないんだ。見えるもんか」

 そういえば、と思う。

 もうすぐ深夜零時なのだ。私は木戸から顔を出し、スマホから流れるアナウンサーの声を聞く。

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