第3話
3話
かわいそうに、まさか一人ぼっちになってしまうなんて。
そうねぇ、誰も引き取らないのかしら。
でも見て。あの子、全く泣きもしないわ。冷血な子ね。
ー悲しくないわけないだろ。
ー苦しくないわけないだろ。
ー僕はあなたたちのように、そうやってヒソヒソ喋る相手すらいなくなっちまったんだから。
「お前がひとりぼっちになったら悪りぃな」
じいちゃん、もう遅いんだ。
すでに僕は壊れてるんだ。
その日は深い雨に包まれていた。でも、全く寒くなかった。どうしてだろうか、僕はもう壊れてるのかもしれない。外から見れば、いかに僕がおかしいかわかったろうに、誰も僕を俯瞰する人間などいなかった。でも、お金と時間は無慈悲に尽きていった。僕は、心のどこかで、きっと、寄り添ってくれる誰かを求めていたのかもしれない。祖父はそういう人たちの存在を、見つけ方を、教えてはくれなかった。どうしたらいいんだろう?とめどない不安、それが向かう先は、何もない暗闇に包まれている。
祖父が棺に入って地の中に埋められていく。本当にひとりぼっちになってしまったみたいだ。天を覆う雨のシュラウドが、記憶に降り注いだ。
涙は枯れていた。奇妙な浮遊感と現実離れした感覚が心に満たされていく。
祖父の言いつけ通りに、僕は列車に乗った。気づけば左腕が無くなっていた。
みんなの持っている光を掴もうとしても、僕が頑張って掴めるのは右腕一本分だけになっちゃったんだ。
そんな最中に、僕に抱きよった光は、抱え切れないほど大きい。
☆
「…ーい、おーい、おきろよ!」
「ぶわぁ!!!」
僕は、フラメルさんに揺さぶられて目を覚ました。全部夢だった。やけに現実味を帯びた、気味の悪い夢だった。どうやらあの後、僕はぶっ倒れてしまったらしい。結局はぶっ倒れ続ける運命にあるんだろう、もう人生で十分なくらい気絶してないか?僕。しかもここ最近で。気のせいかな?
僕は木に、骨董品のように寝かされ、布をかけられていた。もうすっかり朝で、朝の森林のとてもいい匂いがした。伸びをしようと両腕を上げると、左腕には包帯で、木の枝が括ってあった。しかも、絶妙に、それでも奇妙に、僕の千切れて行方不明になった、左腕に似たようなフォルムになっていた。なんの枝かはわからないが、とてもしなやかで硬い。そして何より、あの脳を灼く激痛が、あの夜に比べて子犬くらいの痛みになっていたのだ。気持ちも軽くなっている。
僕は雛鳥のように、フラメルを探した。甘えてはいけないが、今の僕は本当に彼女に頼るしかない。
「おっ、起きたな。ったく、何回寝るんだよお前は」
フラメルはクスリと笑った。僕は少しバツが悪かった。
「メシ食ったら、もう出発だぞ。立てるか?」
彼女は手を差し伸べた。線の細く、でも力強い手だった。僕はそれに捕まって、体を起こした。まだ奇妙な浮遊感が残っていたが、それでも、彼女のために、僕は立ち上がった。
「その腕、イカすだろ?あたしが見繕ってやったんだ」
左腕に巻きつけられた包帯は、しっかりと腕として見える。その表面はとても乾いている。
「ありがとう。でも、どうしてこれを?」
「いや、いーんだ。長老が言ってたんだけど、腕は無くなると体が恋しがるんだって。だから、それっぽくしてやりゃ、それなりにごまかせるんだと」
フラメルは言った。
同時に、僕はここで、心に感じたことのない感情が湧き上がっていることに気がついた。なんて言うんだろう、大切なことなんだろうが、言い表せない…。
彼女は大きくて、なんでも受け止めてくれそうで、そして強い。僕なんか簡単に包み込んで、温めてくれる。
僕の中で、彼女への『信頼』が、別の、大いなる『何か』に変わった瞬間だった。
野花が揺れ、花弁を散らす。美しい。今まで経験してきた朝の中で、一番心地いいんじゃないだろうか?森は揺れ、たくさんの命を包んでいる。
「どうしたんだよ、あたしの顔になんかついてる?」
僕はそんなことを、ぼうっとしながら考えた。
「ううん、ただその、綺麗だなって」
「えっ」
彼女は顔を赤らめた。どうしてだろう?
「そ、そんな事…!滅多に言うもんじゃないぜ!?ああ…、うん!」
そういうと、彼女はあたふたした様子で、バックパックの中に手を伸ばした。その中から昨日手入れしていた一振りの短剣を出すと、鞘から刀身を抜いた。よく手入れされた刀身に、彼女の赤くなった頬が映る。鳥が囀りながら飛んでいく。
「これからどうする?どっちに行けば街なの?」
僕は訪ねた。彼女は少し考えたそぶりを見せて、抜いた短剣で、太陽とは真反対の方向、北を指した。
「北だ。ここから一番近い街は、ここから半日くらいの距離で行ける」
そう言った。なあんだ。案外近いじゃんか。
「水場はあっちだ。顔洗ってこいよ」
僕はそう促されて、自らの右手で顔を触った。少しだったが、目やにが付いていた。木に背を預けてゆっくり立ち上がって、あふれる落ち葉を踏みしだきながら、促された方向へと進んでいった。だいぶ調子がいい。心の安らぎと、体の清潔さが今のところは手に入っている。
そうか、彼女といると、僕は安らぐんだ。きっとそうだ。僕は、泡を噛んで緩やかに流れる小川に、そっと手を伸ばした。心に生まれた気持ちがすっと府に落ちた。冷たい真水が右手をを包みこむ。この木でできた左手では、乗り出した川岸では、うまく体を支えられない。思わず頭から落ちそうになって、胸をついた。掌で水を包んで、顔を洗った。目元をしっかりと洗った。袖で拭こうと思ったが無かった。ああそういえばと、自分でちぎった事を思い出して、お腹のあたりで拭いた。小さな虫が岩肌を歩いていた。
フラメルの元に戻ると、いつのまにか火を起こしていた。薪がぱちぱちと音を立てて、吸い込まれそうなくらい青い空に登っていった。
「何してるの?」
何やら作業をしている彼女に声をかけると、彼女は振り返って、腕をこっちに差し向けた。その手には何やら、細かな意匠の施された、木と金属の…、うーん、これはなんだろう?
「これは?」
「お守り髪飾り!お前、髪長いじゃん?だから、これでまとめろよ。ほら、やるから」
「ありがとう、ふふっ」
不思議と笑みが溢れる。なんて嬉しいんだ。僕は、自分の顔が赤くなっていくことに気がついた。
「あっ、お前も赤くなった!へへっ」
「でも僕、髪結んだことなんてないよ。ずっと伸ばしっぱなしだったからね」
「んー?なんで?」
「僕、ずっと一緒だったおじいちゃんがいたんだけど、死んじゃってさ。最後に僕に言ったのは、『帝国で働け』ってことだったから、だからあの列車に乗ったんだけど。で、その、なんていうか、真似てたっていうか、尊敬してたからさ。おじいちゃんの真似して、髪、切らなかったんだ」
「そーなんだ。じーちゃんがいたのか。だから、あそこにね。…じゃ、あたしがやってやるよ。ほれ、後ろ向け」
僕は彼女に任せて、後ろを向いた。
「じゃあー、そうだなぁ、三つ編みかなー。あたしは癖っ毛だから出来ないけど、お前はまっすぐだからなー、できるだろ」
少し頭を引っ張られるような、こそばゆいような感覚が続いて、彼女は僕を『三つ編み』にしてくれる。どんなものなんだろう。想像もつかない。
「じゃーん!出来たぞ!ほら!」
「わぁ、ありがとう!」
彼女はバックから手鏡を出して、僕に見せた。僕の髪は、後頭部から約15センチくらいの長さで、まるでムグ麦の穂を大きくしたような二つの束にまとめられていた。なんとも、野花のような可愛らしさがある。
「そうだ、腹減ってるか?あたしは減ってる」
「うん。僕も」
僕たちは食事を済ませたあと、北にある「街」へと歩くために、準備をした。まだまだ、旅は続きそうである。
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