第88話 ばったり

 声がした方向を振り向くと、そこにいたのはよく知った顔。頻繁に顔を合わせる相手。それは日裏静哉としても、神代光生としても顔を合わせる相手。


「麻倉……明華……?」


 そう言葉を漏らしたのは一ノ瀬さんか江橋さんか。どちらかは分からなかったが、今目の前にいるのは涼風だった。


 確かに、今日祭りに来る予定があると聞いていたが、まさかこうしてばったり会うことになるとは思っていなかった。


「やっほー、静哉くん。まさかこうしてばったり会うとは思ってなかったけどね! そっちのグループは全員浴衣か! こっちは私だけだよ。……どう? 似合ってる?」


「すごく似合ってるんじゃないか? それより……見たところひとりみたいだが、誰かと一緒に来たりしてないのか?」


「そこの通りではぐれちゃって今連絡取ってるとこ! ……あ、安心してね? 今日のメンバーはほとんど女の子だし、男の子は彼女持ちしかいないから!」


「いや、何の話だよ……」


 涼風がそんなことを言うが、男子と一緒にいるくらいで心配したりしない。涼風はそんな簡単に心変わりするような不義理な人間ではないと知っているし、そもそも涼風は俺の彼女ではない。


 いやな言い方をしてしまえば、涼風が他の男と恋人になろうが関係がないのだ。


「だって私は静哉くんに告白したじゃん? だから私は静哉くんしか見えてないよってことを伝えなくちゃね!」


「よくさらっとそんなことを言えるなぁ……」


「いや、結構恥ずかしいよ? それでーー」


「--明華さんが告白ですか!?」


 その声を上げたのは一ノ瀬さんだった。まぁ、俺の正体を知ったとしても麻倉明華が神代光生に告白をした。それだけでかなりの驚きがある事実だろう。


「え、ってことは日裏くんは付き合ってるの!? 嘘ッ! じゃ、じゃあれいーー」


「--落ち着け。美咲といい一ノ瀬さんといい先走りすぎだ。俺は誰とも付き合っていない」


「ちょっ! お兄ちゃん! 私のことは言わなくてもいいじゃん!」


 美咲が騒ぐが、モールで江橋さんを困らせたことを俺は忘れていない。江橋さんも再起したようで、俺と涼風の方を交互に見ている。


「さっきから明華って呼ばれてるけど、私は石津涼風って言うんだよね。気軽に涼風って呼んでよ!」


「え、ちょっと待って。今凄く混乱してるから待ってもらえると嬉しい」


「まぁ、確かに今日は色々あったからな」


「……その色々の原因の九割は静哉が原因だと思うけどな」


 雅人がとても失礼なことを言ってくる。色々と言っても今日あった事は美咲が江橋さんをからかったせいではぐれ、俺が神代光生だということをカミングアウトした程度だ。


 いや、確かに日裏家が全ての原因をになっているような気がしなくもないが、少なくとも全てが俺のせいではないと言える。


「……涼風さん……でよろしかったでしょうか?」


「うん? それで大丈夫だよ?」


「……プールの時はかばってくださり、ありがとうございました」


「え? あぁ! 見覚えがあると思ったらやっぱりあの時の二人か! ごめんね、水着と浴衣だと全然違って分からなかった! それと、プールでは私は何もできなかったから、お礼なら静哉くんに言って欲しいな」


「いえ! 涼風さんがいてくれたからこそ私たちは無傷でいられたのだと思います。だから、涼風さんにもありがとうございますと言わせてください」


「わ、私からも! あの時はありがとうございました! 日裏くんも改めてありがとね……!」


「や、やめてよ! そんなにお礼言われるようなことしてないから!」


 二人に頭をさげられてアタフタしている涼風を見る。


 プールで起きた事情を一切知らない美咲と雅人は何やら気になっている様子を見せているが、ただ俺が殴られたというだけのつまらない話をこの二人にするつもりはない。


 空気を読めたり察しが良いことが判明してきた雅人は三人の様子から大体の事情を察したようだが、そこは流石というべきか、何も言ってこない。


 いや、俺に向けてにやにやとした表情を向けてきているから、若干俺をイラつかせてきている。


 江橋さんが深々と下げていた頭を上げて、何やら気持ちを固めたかのような顔で涼風を見つめていた。


「その事とは別に、私は涼風さんに話があるのですが、良いですか?」


「……それは多分、ここじゃ話すことができないこと。だよね?」


「はい。その通りです」


「じゃあ、少し離れよっか」


「そうしましょう。……少し、涼風さんと話してきますので、皆さんはここらへんでお待ちください」


「おう。行ってら」


「麗華! ……頑張って……!」


 一ノ瀬さんが江橋さんを応援しているが、正直何の応援なのか一切分からない。まぁ、喧嘩しそうな雰囲気は一切なかったし、そんなことをする二人ではないから大丈夫だろう。


「二人してどうしたんだろう?」


「お兄ちゃんには分からないよ」


「日裏くんは分からないかぁ」


「静哉は気がつかなそうだからな」


「そこまで言う!?」


 二人の用事が何かを俺以外の全員が理解しているようで、解せない。

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