第78話 エピ

「待って! 待ってよ麗華! どうしてそんなに急ぐの!」


 一ノ瀬さんにそう言われて江橋さんは立ち止まる。


「……急いでましたか……?」


「早いってもんじゃないよ! 心ここにあらずって感じでさ」


 言われてしまうとそうだったかもしれない。思考がまとまらず、今どの辺を歩いているのかも全く把握することができていなかった。


「私だって知りたいことがあるのに、急に帰るって言いだしてこうなってるんだから。少しそこの公園で話していこうよ」


「……分かりました」


 二人は公園の中にあったブランコに腰掛ける。話を始めたのは一ノ瀬さんだった。


「……それで、光生様は日裏くんなの?」


「……はい。その通りです。……麻倉明華に呼ばれていた通り……」


「……そっかぁ。前に麗華が言ってたことは本当だったってわけか。……いつ本当のことだって気がついたの?」


「それは……確信はずっとしていましたが、今日名前を聞いて改めて本当のことなんだなって分かりました」


 自分のせいで、また自分が原因で迷惑をかけてしまった。そんな気持ちが江橋さんの中に生まれてしまっていた。


「明梨ちゃんはどうするのですか?」


「うん? どうするって何が?」


「いえ、日裏くんが神代光生だって知ってしまったので……」


「どうするって、どうもしないよ?」


 一ノ瀬さんはさも当然のように言い放つ。その言葉に江橋さんは軽い衝撃を受けた。


「……どうして……ですか?」


「いやだって、日裏くんは日裏くんで、光生様は光生様でしょ? 例え日裏くんが光生様だったとしても私はファンのままだからね! 確かに光生様の正体は気になってたし、日裏くんが光生様だったってことはすごく驚いたけどね!」


「で、でも! 日裏くんと神代光生は同一人物なんですよ! どうして、そんなに割り切ることができるのですか!?」


 自分には無理だというように、つい関係のない一ノ瀬さんに怒鳴ってしまった。


「どうしてってファンは相手の気持ちを汲んでこそだから……というか麗華、少し変じゃない?」


「……どういうことですか?」


「だって麗華……今泣いてるよ?」


「……え?」


 江橋さんは自分の目元に手を持って行って初めて自分が涙を流していたことに気がつく。でも、どうして流れているのかは分からなかった。


「麗華、どうかしたの? ナンパが怖かった……わけじゃないよね。どうしたの?」


「……どうも……してません」


「じゃあ、今頭に浮かんでくることを言ってみて。嘘をつかないで正直にね?」


 そう言われて浮かんでくるのはさっきの光景、神代光生がやってきて二人組の男に殴られて……。


「神代光生に麻倉明華が駆け寄るところが浮かんできます……」


「じゃあ、今の気持ちはどんな感じ?」


「モヤモヤして、考えが上手く纏まらなくて、落ち着きません……。そして胸が締め付けられて……すごく息がし辛いです……。これはなんなのですか? こんなこと、初めてなりました……」


 一ノ瀬さんはそれを聞いて納得したような様子を見せた。


「麗華、それはね。恋してるんだよ」


「……恋……? ……私がですか……?」


「うん。日裏くんになのか光生様になのかは分からない、いや、多分光生様がきっかけで日裏くんのことが麗華は好きになっちゃったんだよ。だけど、光生様と麻倉明華が一緒にプールにいた。水族館にも一緒に行っていた。だから二人は付き合っているのかもしれない、無意識にそう考えて悲しいんだよ」


 そう言われて少しだけ考えてみる。江橋さんにとって彼は、助けてくれて、きっかけを作ってくれて、自然に接してくれる人。もしかしたら一ノ瀬さんの言う通りなのかもしれない。


「私が……日裏くんを好き……」


「違うかな? 少なくとも私は麗華が日裏くんを好きになるだけのことはあったと思うよ?」


 声に出していってみると、何故だかとてもしっくりきて、自分の気持ちが恋だという自覚が一気に襲ってくる。


 さっきまでは何ともなかったのに、意識してしまった瞬間から恋の気持ちが溢れてきて、急に恥ずかしくなってきてしまった。


「私は、静哉くんが好き……です。でも、叶わないのでしょう。だってーー」


「ーー諦めるのは早いと思うよ?」


ーーーーーーーーーー


「ふぃー、やっと着いたぁ……」


 マンションの部屋の前に、キャリーバッグを引いた一人の少女が立っていた。その少女は鍵を取りだして自然とその扉を開く。


「お兄ちゃーん! 愛しの妹がやってきたぞー!」

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