第79話 プロローグ

「……ん…………て」


 ……薄らと声が聞こえてくる。ここ最近聞いていなかった懐かしい声。

 ゆっくりと目を開けると、すでに外は明るいようでもう朝が来ているということを嫌でも教えてくれる。

 夢と現実との境目が分からない微睡の状態、この状態が俺はーー


「ーーもう! 夏休みだからっていくらなんでも起きるの遅すぎ! 起きてお兄ちゃん!」


 腹に強い衝撃を受け、微睡から一気に意識が覚醒する。


「ぐえっ……! けほっけほっ……。美咲!? なんでここに……って、そうか。昨日来たんだったな」


「そうだよ! もう、せっかくご飯も作ったのにお兄ちゃんったら全然起きてくれないんだから!」


「そ、それは悪かったけど昨日の夜結構バタバタして寝るのも遅かったじゃん」


 そう、昨日突然やってきた美咲はキャリーバッグの中に洗って回せる量の下着と布団を詰めていたのだ。


 まさか家出してきたのかと思い電話をかけてみると、オープンスクールとして俺の行っている学校の体験をするためにやってきたとのことだった。


 まさか何も連絡をよこさないとは思っておらず、どうしてかと聞いてみると美咲が驚かせたいから秘密にしておいてくれといっていたと。


 まぁ、その目論見は見事に成功してかなり驚いたわけだが。


「とにかく! 今日は私の服を買わなきゃいけないんだから起きてよね!」


 と言われてみれば、いつの間にか漂ってきた美味しそうなご飯の匂い。せっかく作ってくれたのだからと冷める前に食べようと布団から這い出す。おとなしく着替えて、リビングへと向かった。


 テーブルの上に用意されていたのは、オムレツとご飯とみそ汁という朝と言えばこれという感じのメニューだった。


 そしてまずは一口食べてみる。実家に帰った時は久しぶりに食べたいと言われて作るということばっかだったため、美咲の料理を食べること自体久しぶりだ。


「お? 美咲、料理の腕上げたんじゃないか?」


「ふふんっ! お兄ちゃんがいなくなってから結構練習したからね!」


「まぁ、これなら誰に食べさせても恥ずかしくない料理だな」


 どんどん箸が進み、次々と皿の中が空になっていく。そして最後にみそ汁を飲み干して完食した。


「ごちそうさま。美味かったよ。それで……まぁ、服を買いに行く事は別に構わないんだが、一体いつまでいるつもりなんだ?」


「とりあえず、お盆に一緒に帰るまでは居るから! そんなに邪険に扱うフリしちゃって……妹成分が足りなくなってきてイライラしてるんじゃないの? うりうり~!」


「いや、お兄ちゃん成分とか言ってるのはお前の方だろ。少なくとも俺はそんなこと言った事無いからな?」


「その通り! というわけで補充させていただきますっ! とりゃっ!」


 とりゃっ! と言いながら突然美咲が見事なルパンダイブを決めてきた。避けたら危ないと思いちゃんと受け止める。


「おいおい、もし俺が避けたらどうするつもりだったんだよ」


「大丈夫! お兄ちゃんは避けないって知ってるからね! 昨日は忙しくて嗅げなかったけど……それにしても、スンスン。はぁ、久々のお兄ちゃんの匂いだぁ……」


 美咲が恍惚な表情を浮かべながら言う。


「そういえば、お兄ちゃんに彼女はまだできないの?」


「できるわけないじゃ……いや、あぁ。できてないぞ」


「今なんで言い直したの!? これまでできるわけないの即答だったよね!? もしかして誰かに告白されたの!? 学校は……ないと思うからもしかして明華さんに!?」


 美咲が抱き着いているせいで既に近い顔を近づけながら聞いてくる。いや、言い方ひとつでどうしてそこまで分かるのだ。


 とりあえず、目を合わせないようにする。


「ねー、答えてお兄ちゃん! 答えるまで離さないよ! 明華さんならお兄ちゃんがモデルの仕事をしてることも知ってるし納得だなぁ!」


「ぅぐっ。確かに告白はされたぞ」


「そっかぁ! お兄ちゃんにもついに彼女さんができたのか! 明華お姉さん? いや、明華お姉ちゃんかな?」


 妄想の世界に入ったばかりの美咲には悪いが、否定させてもらおう。


「悪いが、確かに告白はされたが付き合ってはないぞ? あと、明華は俺の神代光生みたいな芸名だからな」


「えぇっ!? なんで!? 一体何が不満なのさ! もも、もしかして実はすごーく意地悪な性格をしていたり……?」


「いや、明るくて性格もいいし自分に自信も持ってるいい子だよ」


「じゃ、じゃあなおさらなんで振ったの!?」


「いや、振ってないぞ」


「どういうこと!? もう私の頭じゃ訳が分からないよ!」


 混乱して頭を抱える美咲を見て笑いが込み上げてきた。


 確かに告白はされたが、いざ返事をしようとしたところで他ならぬ涼風自身に止められてしまったのだからしょうがないだろう。


「まぁ、色々あったんだよ」


「むぅ……。色々の中身が気になるんだけど……それはおいおい聞くことにするよ……」


「ぜひそのまま忘れてくれ。……で、時間的に今から向かうと丁度オープンくらいだけど、服を買いに行くのか?」


「え? あ、行く! 行こう行こう!」


 ということでモールに向かうことになった。まだ夏休みが始まって一週間。色々なことが起こりすぎていて、これから一体どうなるのか予想もつかない。

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