三人の生徒④
翌日の放課後、篠田さんに結果を聞くと、誰も何も答えてくれなかったと言いました。
まあそうだろうな、と私は思いました。嫉妬という感情は、なかなか人に打ち明けられないものです。それに、彼らはまだ十と幾つかです。嫉妬という言葉や概念を知っている者の方が少ないと思います。私は、
「よく頑張ったね、えらいね」といって頭を優しくなでてあげました。「篠田さんは何一つ悪くないからね。先生はそれをちゃんと知ってるし、皆もきっと本当は分かってるはず。だからもうちょっと、皆のこと信じて待ってみよう。大丈夫、きっと元の皆に戻ってくれるはずだから」
篠田さんは黙ってうなずきました。
「あ、それと、今度誰かに無視されたり嫌がらせをされたら、うんと悲しい顔をするのよ」と私は教えました。
無理に張り合って笑顔を作るというのはむしろ逆効果で、嫉妬という複雑な感情を相手にするには、良心というシンプルな感情で打ち消すのが一番なのです。
そして私は、なるべく授業に班活動を取り入れたり、授業で積極的に篠田さんを指名したりして、彼女がまた元のようにあくまで自然的に戻れるよう、サポートしていきました。
しかし、それから一週間が経っても、いじめは改善されるどころか悪化してしまいました。
最初は些細なものでしたが、次第に、彼女の体操着が破かれていたり、彼女の机の上に酷い落書きがされていたりと、その内容は極めて非道なものとなっていきました。
私は毎日彼女と放課後に作戦会議をしていましたが、彼女が日に日に顔色が悪くなるのを見て、とうとう強硬手段をとるしかないなと思いました。強硬手段とは、クラス会議を開き、その場で無理やりにこのいじめを終わらすことです。もしかしたら、初めからこうするべきだったのかもしれませんが、これは本当に最悪の手段なのです。この会議を行ってしまうと、今後一年間クラスは常に厚い雲に覆われたようにどんよりとした空気に満ち、それは卒業まで終わることなく続きます。それに、いじめはなくなるでしょうが、いじめられてた側はもう二度ともとの関係には戻れず、まるで腫れ物のように扱われるのです。私はこれまでの教師人生の中で、幾度となくその光景を目にしました。だから私は、あくまでも自然に元の関係に戻れるようにしたかったのです。
ある日の放課後、私はいつものように篠原さんと教室に残り、例の強硬手段の提案をしました。しかし、篠原さんは、
「先生、それはちょっと待ってくれませんか?」と提案を拒否しました。
「どうして? これでもう全部終わるのよ?あんな酷いこと、もう先生は見過ごせないわ。あなたはもう十分頑張ったのよ。もう我慢する必要ないの。あなただって、あの子たちが憎いでしょう?」
「先生、確かに私は、皆に酷いことをされてきました。それはやっぱりショックですし、とても辛くて、学校でわんわん泣いてしまいたい時もありました。でも先生、私は信じたいんです。このクラスを、人間を、やさしい心を、私はまだ信じていたいんです。だから、もう少し待ってください。お願いします」と篠原さんは雪のように悲しい顔で私にお願いしました。
私は今にも泣き出してしまいそうでした。なんて美しい心を持った少女なんだろう。この子は容姿だけじゃなく、心まで本物の女神なのだと、私は思いました。
どうして。どうしてこんなにも美しい少女が、苦しんで苦しんで、そしてそれを我慢しなければならないのか。なぜ神はこの子にここまで純真な魂をあたえたのか。私はとても辛い気持ちになりました。
この少女の心はとても綺麗で、儚くて、そして悲しい。そう思うのと同時に、私にとある決心がつきました。それはほとんど天啓に近いもので、そうすべきだ、そうしなければならない、という使命感まで湧き上がりました。
私は、このいたいけな少女を殺すことに決めました。
その日、私は篠田さんに夕飯を御馳走すると嘘をついて、私の家へ呼びました。そして睡眠薬を盛り、出来るだけ体を傷つけないよう、慎重に手首の動脈を切り、お湯を張った浴槽に沈めました。
赤く染まっていく浴槽で彼女の体が白く光るのを見て、この子は死ぬ間際まで美しいなと思いました。私はそれから二時間ほど、彼女と共にその死の空間を味わっていました。
気持ちよさそうに眠る彼女を見て、やはりこれで良かったのだ、私は正しいことをしたのだと確信しました。
今、私は刑務所を出てもう何十年も経ち、親の顔も名前も、他にもほとんど思い出せませんが、この三人の生徒のことだけは、どうしても忘れることは無いのです。
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