三人の生徒③
それから七年が経ち、心の傷も癒えかけ、私自身も教師としての貫禄が多少は出てきだした頃、それは起こりました。いや、正確に言えば私が起こしたことなのですが、私としては未だに『起きた』ことなのです。
私はその年六年生のクラスの担任でした。今まで六年生の担任は4回行いましたので、私にとって六年生の担任は慣れたものでした。私は六年生の担任が一番好きでした。ある程度節度とマナーを理解していますし、子供といえど聞き分けもできます。ただ一つ、これは高学年だからこそ起きる事象なのですが、だれか特定の個人をターゲットにしたいじめ、そして仲間外しがいつの間にか起こることが多いです。なぜ高学年かというと、恐らく大人になるにつれて自我の芽生え、他人との境界線、自己防衛意識が発達するからだと私は考えます。彼ら自身も気づかぬうちに、まさに『自然に』いじめは発生するのです。こればかりは、まるで増水した川をせき止めるのが困難のように、私たち教育のプロでもその発生を未然に防ぐことはやはり容易ではありません。
だからと言って、教育者たるもの黙って見過ごす訳にはいきません。なので私は、いじめの発生を防ぐことではなく、その後迅速に気づき適切に対応をするということに尽力を尽くしました。なるべく、こころの傷が浅いうちに修復して、その後の関係を改善させる。それが誰もが最も不幸にならない方法だと気が付きました。
私のクラスでその兆候が見え始めたのは、五月の中頃のお昼でした。
私のクラスは机が六列に並んでいましたので、給食の時間には隣同士机を向かい合わせて太い列を三列作るようにして食べていました。生徒はそのようにして食べますけれど、私は彼らのことをよく観察できるように黒板の横の教師用の机で食べていました。実際、給食の時間というのは生徒の気も緩むらしく、彼らの関係がありありと映し出されるのです。
その日も私は注意深く見ていたのですが、中央の列の一番向こう側にいる、篠田さんの様子が少し変だということに気が付きました。一見和気あいあいと楽しくお喋りしている風ですが、篠田さんがなにか発言すると、周りはだまったり、また何か言おうとしている所を無理やり遮って誰かが喋ったりなどとしているようでした。篠田さんは少し困った様子で、それでもなんとか輪の中に入ろうと相槌を打ったり、無理やりに微笑んだりしていました。これは少しおかしなことが起きてるなと私は思いました。
篠田さんは背が高く長髪で、とびっきり奇麗な顔をした十二歳の女の子でした。誇張ではなく、私は初めて会った時から女神のような子だと感じました。そんな奇麗な子ですから、やはりたちまち学校では人気者で、私が覚えている限りでは彼女の周りにはいつも人が集まっていました。だからこんな風に彼女に発言権が与えられないというのはやはり何かあったに違いありません。私はその日一日、放課後まで篠田さんとその周りの雰囲気を注意深く観察しました。
休み時間になってもやはり彼女は誰とも話さず、誰かに話しかけようとすると相手はそそくさとどこかへ立ち去ってしまうのです。そうして、また彼女は一人で本を読むしかなくなっているようでした。私はもうほとんど確信していました。
その日の放課後、私は篠田さんにこっそりと声をかけ、話を聞きました。
「ねえ篠田さん、ちょっといい?」と私が声を潜めて言うと、彼女は首をかしげて、何でしょうか?と言いました。
「先生、ちょっと篠田さんとお話ししたいんだけど、いいかな?」
「はい。もちろんいいですよ」と彼女はにっこり笑って答えました。
私は教室から残りの生徒が全員出ていったのを確認して、話し始めました。
「篠田さん、なんか最近、困ったこととか、おかしいなーって思うこと無いかしら?」
「うーん、困ったことですか…」と言って篠田さんは目線をそらし、今日のことを言おうか言うまいか迷っているような感じでした。
「先生今日ね、たまたま目に入ったんだけど、篠田さんの周りがちょっと変だなーって思ったの。篠田さんもあまり元気が無かったから、どうしたんだろうと思って声をかけてみたの」と私が言うと、彼女は少しどぎまぎしながら、
「はい。実はここ二、三日、なんだか皆の様子がおかしくて、私が話しかけようとしても皆私のことを避けているみたいで、私の方は何も心当たりがないから、どうしたらいいものか悩んでいたんです」と打ち明けてくれました。私の予感は良くも悪くも当たっていたようです。私のクラスでこういうことが起きてしまったのは少し悲しかったですが、いじめを早いうちから気付けたのは不幸中の幸いでした。
「そっか、それは辛かったね」と私は言って篠田さんの頭を撫でました。彼女は少し泣きそうになったものの、両の拳を固く握って、頑張ってこらえてるようでした。「よし、じゃあまずはどうしてそんなことをするのか、聞いてみるといいと思うよ。原因は意外と小さなことだったり、案外勘違いだったりもするからね。もし篠田さんが聞きにくいなら、先生が聞いてあげるけど、どうする?」
「ありがとうございます。でも、これは自分のことだから、自分でなんとか解決したいんです。だから明日、自分で頑張って聞いてみます」と彼女は真っすぐとした力強い目で言いました。私は頷いて、もう一度彼女の頭をなでてその日は家に帰しました。
原因を聞いてみて、とは言ったものの、私はだいたいの原因は察していました。先にも叙述しましたが、六年生というのは様々な意識や感情が芽生え、大人への第一歩を踏み出す年でもあります。そしてその様々な感情の中には、我々大人でも手を焼く、『嫉妬』という感情もはっきりとその輪郭を現します。そして子供というのは特に、その感情を我慢せず吐き出します。
篠田さんはその浮世離れした美貌を持っていますが、それと同時に、一輪の花の命すら尊ぶ純粋で無垢な優しい心も持ち合わせていました。しかし時には、(悲しいことですが)この可憐なる心が裏目に出る場合もあるのです。恐らく、篠田さんをいじめる彼らは、一匹の虫も殺さない彼女にある種の苛立ちを覚えたのでしょう。
女神のように美しい彼女が、そのように優しい心を見せると、時に子供たちは「良い子ぶっている。気取っている」などと思うのです。理不尽に思えるかもしれませんが、これが『嫉妬』という煩わしい感情なのです。しかし私はこのことをあえて篠田さんには伝えませんでした。その方が、彼女を傷つけることはないと考えたからです。 3/4
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