三人の生徒②
教師という職に就いて四年目、段々と子供の扱いも慣れてきて、クラス担任も楽に受け持つことができるようになりました。その年は二年生の担任でした。
このクラスは皆優秀で、特に問題児もおらず、無理に気を張る必要の無い教室でした。一人だけ、とても病弱な女の子がいたのですが、その子も大変真面目で可愛らしく、名前を柚月ちゃんといいました。柚月ちゃんは体調の関係で学校に来れるのは週に一回程度なのですが、その一回をとても楽しみにしている子でした。勉強も友達と遊ぶのも大好きなようで、学校に通うのは週一回ですけども、学力の方は周りの生徒と同じくらいありましたし、登校した日はいつも彼女の周りに人だかりができる人気者でした。私もそんな彼女が大好きでしたので、彼女の登校日に合わせてクラスのお楽しみ会を開いたり、外部から紙芝居の有志を呼んだりなどしていました。
私は柚月ちゃんのために週に二回程、学校の業務が終わってから彼女の家を訪ねるといったことをしていました。特に用事があったわけでも無いのですが、教科書の分からないところを教えたりだとか、最近のクラスのことを話したりだとか、あるいは一緒にお絵かきをして、だいたい一時間くらい一緒にいるのでした。
彼女は日によって体調がまちまちで、外でキャッチボールができるひもあれば、一歩も体が動かせない日もありました。その日も、一日ベッドで寝たきりのようでした。
「あーあ、一日何にもできないってつまんないなあ」と柚月ちゃんは悲しそうに言いました。
「そうね、早く元気になって、皆と一緒に遊べるといいね」と私は言いました。
「うん。ねえ先生、最近皆はどう?わたし、この頃学校行けてないから皆わたしのこと忘れちゃってないかなあ」
私はクスクス笑いました。
「大丈夫よ。忘れるはずないじゃない。柚月ちゃんは皆の人気者ですもの」と私が言うと、柚月ちゃんは少し照れてえへへと笑いました。
「本当に?」
「本当よ。そうそう、学くんなんてこの前、早く柚月ちゃん学校に来ないかな、大丈夫かなあって心配してて、給食半分も残したのよ。あの食いしん坊の学くんがよ。しんじられる?」
「えーっ! うそーっ!」
「あ、でもね、デザートのイチゴだけはちゃっかり全部食べて、余ったイチゴのじゃんけんにも参加してたわね。そういうとこだけしっかりしてるのよねえ」
二人で笑って、そろそろお暇しようかしらと思っていた時に、彼女は急にぽろぽろと泣き出しました。
「どうしたの?どこか痛い?」と私は驚いて言いました。
「ううん違うの。どこも痛くないの」と彼女は俯いて首を振りました。「先生の話聞いてるとね、なんだか皆楽しそうで、ああ、わたしも混ざりたいなあ、一緒にあそびたいなあって思ってきて、それで、なんだか寂しくなって泣いちゃったの。ごめんなさい」
私はいたたまれなくなって柚月ちゃんを強く抱きしめました。私の目からも、いつの間にか涙が溢れ出していました。
「謝る必要なんてないの。謝る必要なんてないのよ、柚月ちゃん」と私は言いました。柚月ちゃんの涙は、既に嗚咽に変わっていました。「そうだよね、柚月ちゃんも、皆と一緒に遊びたいよね。いくらでも泣いていいのよ。大丈夫。先生も、皆も、誰も柚月ちゃんのこと忘れたりしないから。皆、柚月ちゃんを待ってるから」
ひとしきり泣いた後、彼女は赤くはれた目で私を見て言いました。
「わたしね、三日後に手術があるの、お医者さんはたいしたことない手術で、失敗することはほとんどないから安心してって言ってたけれど、やっぱりわたし怖い。怖いよ」
私はその姿を見て、ああ、神様はなんて意地悪なのだろう、と思いました。ほんの八歳の子供なのです。手術は怖いに決まってます。
私は良いことを思いつきました。
「そうだ!明日、クラスのみんなで鶴を折って持ってきてあげるわ。千羽とまではいかないかもしれないけれど、出来るだけ沢山折るわね。そしてもし、どうしても手術が怖くて逃げだしたくなったら、その鶴を思い出してね。皆、柚月ちゃんのこと応援して待ってるんだから」
「本当!? 嬉しい!」と柚月ちゃんは目を輝かせて喜びました。
翌日、約束どおり私はクラスの生徒全員に折り紙を配り、一緒に鶴を折りました。放課後までに、好きな数折ってねというと、なんと300羽近い数が集まりました。私はこのクラスの温かさと、柚月ちゃんの人望に感動しました。まだまだ、人間という種族は終わっていない、そう感じました。
皆から集めた鶴をひもで通し、柚月ちゃんの家へ持って行くと、彼女もその両親も仰天していました。
「こんなに折ってくれたの!? すごーい!」
「そうよ。先生もびっくり。それだけ、柚月ちゃんのことが皆好きなのよ」
「ありがとう! わたし、手術がんばるね」と柚月ちゃんは太陽のような笑顔で言いました。この笑顔が、皆大好きなのです。どうか良くなりますように、と私は神様にお願いしました。
柚月ちゃんが危ないという知らせを聞いたのは、その手術の当日で、私は五限目の体育の授業を秋の終わりの木枯らしが吹く運動場で行っているときでした。
「先生! 西野先生!」と校舎の方から男性の職員が走ってきて叫びました。「西野先生、大変です! 柚月ちゃんが…」
私は急いで病院へ向かいましたが、私が着くころにはもう柚月ちゃんは息を引き取っていました。
病室のベッドには、まるで端正な西洋人形のように柚月ちゃんは安らかに眠っていました。私はにわかには信じることができませんでした。それくらい奇麗な顔をしていて、耳を澄ませば彼女の寝息が聞こえるのではないかと思う程でした。
ベッドの奥には、柚月ちゃんの両親が涙を流しながら座っていて、ベッドの手前には、先日私たちが折った千羽鶴がぶら下げありました。赤、青、金色、黄緑、鮮やかな鶴たちが、まるでベッドメリーのように病室に吹き込んだ秋の冷たい風にゆらゆらと揺らされ、柚月ちゃんの死を弔っているかのようでした。
母親の話によると、柚月ちゃんは死の直前まで、この千羽鶴に願っていたそうです。手術後の体内の拒否反応に苦しみながらも、この千羽鶴を握って、必死に生き永らえようとしたそうです。
私は悔しさと怒りに打ち震え、その場で泣き崩れました。神様は、うんと不公平です。どれだけ皆から慕われようと、崇められようと、八歳の女の子一人も救えないようで何が神様でしょうか。
丁度ベッドの高さにある数羽の折り鶴は、彼女が生きていた証であるかのように、強く握りしめられてくしゃくしゃになっておりました。 2/4
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