ガンレフ!
伊和 早希
第1話
文庫本は平積みになった中からいわゆるジャケ買いをするのが、習慣化している。
出版社にとらわれず作者にとらわれず、単純に表紙のデザインで買う。しかも買う時は五冊ぐらいをまとめて買う。
家に帰ってから軽く引っかかっていただけのカヴァをしっかりと着せ替えながら、読む順番をじっくりと決めていく。
同じ作者は続けて買わないとか、一度に買うすべてを同じ出版社にしない、とかの絶対ではないけれど緩いルールを決めておくと、けっこうパズルみたいな買い物が出来てそれはそれで楽しい。
それは、なんとなくその日と決めている第二木曜日のこと。
デパート二階に発着する四両編成の電車を降りると、そのままペデストリアンデッキを渡って地上に降りないで接続駅に行くことが出来る。ちょうど渡りきったところで香と由美がミスドに行くと言い出したのでテキトーな理由をつけてバイバイした。
そして、これもペデストリアンデッキで繋がっている雑居ビルの二階から五階に入っている本屋を目指す。まずは入口近くに設えられた新刊本、話題本の一角をチェックする。大体二週目ともなると、その月の新刊も平積みの高低で売れ行きが分かる。
彼女はいちばん高いのといちばん低いのは、外す。つまり、買わないようにしていた。それは「売れちゃって補充が追い付かないんですよ」的だったり「たくさん売れるのでそれに備えて沢山仕入れてるんですよ」的な書店側の営業的な演出があるのに違いない、という自己流の解釈によるものだった。自分にとっての傑作は自分で見つけたいと思う彼女は「その手には乗らないぞ」といつも思っていた。
食指を動される本がないなぁと彼女が呟きながら物色をしていると、それはいきなりやって来た。便意を抑えきれず手にしていた本をいったん戻して、周りの人に気づかれないように慌ててトイレに駆け込んだ。間一髪だった。人心地がつき四階の踊り場にある女子トイレを出て何気なく顔を上げた時にそれは目に入った、というか目が離せなくなった。それは階段からも見える五階のギャラリーに展示してあった一枚の白黒の写真だった。
A3サイズぐらいの大きさにプリントアウトされて黒いボードに貼りつけられた状態で壁に掛かっている、地元では馴染みの島影を写し止めたそれは圧倒的な存在感を主張していた。
何がどう違うのだろう。いつもと違う、それでいて見慣れた風景がそこにあった。
日常では感じることのない無彩色にどうしてこんなにも心を揺り動かされるのだろう。まるで光の中に自分が陥ってしまったようだ。
画面を構成しているのは確かにモノトーンなのに、そこには満ち溢れた陽の光があった。白と黒と灰色がこんなにも色鮮やかなものだとは思わなかった。瞼を閉じてもなお入り込む強烈な光が身体を包んでいる、そんな感じだった。
どれくらいそのままでいたのだろう。自分でもよくは分からないが、もう閉店の音楽が鳴っているということは二時間はそこにいたということだ。我に帰って見渡す。どうやら、新人写真家の作品展のようだった。しかも、今日が最終日らしい。
『二本松康岳 宣美協新人賞受賞 記念写真展』というタイトルの下に書かれていた作者のプロフィールを閉店の店内放送に追い立てられながらすばやく確認する。
私立松雲学園高等学校三年、写真部主将。
読んで腰が砕けそうになった。
それは同じ学年でしかも高校まで一緒だったからだ。
「ウソ」
それが第一声。
『にほんまつ・やすたけ』
こんな男子いたっけ? よっぽど目立つ存在でもない限り二年と一か月という時間では記憶に残らないものなのだなぁ、と漠然と思う。
自分の中の人物ファイルにはいない、いや今日まではいなかった男子の名前が一気にトップページに躍り出た。彼、二本松康岳は本日この時をもってしっかりと彼女の脳裏に刻み込まれた。
翌日、彼女は足を踏み入れたことのない文化部の部室棟の扉の前にいた。
ある決心を胸に抱いたことで競技会でも経験したことのない極度の緊張に見舞われて、息をするのも苦しい状態だった。
あの後警備員に促されるまで、ずうっと写真の前に立っていた。
きっとこれを茫然自失というのだなぁ、などと漠然と思いながら、写真の前からどうしても離れることが出来なかった。
動く気配をまったく見せなかったので、警備員のおじさんは苦し紛れに「そんなに気に入ったんなら、直接本人に頼んだら貰えるんじゃないのか」と言った。
そこで彼女は思ったのだ。「そうだ、彼とは同じ高校なのだ」と。「会って話を訊いてみたい」。
そして「この写真が欲しい」と。
それからの記憶はない。いつも通りのルートをたどって家に帰り着き制服を着替え、翌日の部活のための準備をして、いつものストレッチメニューをこなして、階下に降りて夕食を家族と摂り、食後は居間でテレビを観て・・・・・・。
変わらない日常を過ごしていたはずなのだが全然記憶がなかった。覚えているのは、ずうっと微熱のような、疼きのような感覚が残り、身体が火照っていたということだけ。
ベッドに入って布団を被っても目を閉じると瞼の裏に焼き付いた光が眩しくてまんじりともできず、一夜を明かした。
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