第11話 万神殿にて

 ギルドマスターの部屋を出たとたん、下から騒ぎの声が聞こえてきた。

 誰が起こした騒ぎかなど、たぶん言うまでもないだろう。


 ……なんというか、面倒だなぁ。

 いっそ、そこの窓から飛んで逃げようかとも一瞬思ったが、それは問題を先送りにするだけである。

 それに、空を飛んでいればほかのヤバイ奴に見つかる可能性も無いとは言えない。


 そもそもスタニスラーヴァから逃げ続けるというのが建設的ではない。

 いずれ不満を溜め込んだ彼女に見つけ出され、全身の毛が剥げるまでもふられるか、あの胸にうもれて窒息死する未来しか見えなかった。

 よって、逃亡は無しである。


 ――しかたあるまい。

 自分の言葉でケリをつける。


 意を決して下におりると、予想通りスタニスラーヴァがマルコルフにつかみかかっていた。

 いや、訂正しよう。

 ボコボコにしていた。


 野次馬が見物する中、スタニスラーヴァの握り拳がマルコルフの胸板や腹筋に何度も吸い込まれてドスッドスッと鈍い音を立てる。 

 うわぁ、痛そう……。


 死にそうになるぐらい強く抱きしめられたから知っているが、スタニスラーヴァはその容姿に反してかなり腕力が強い。

 腕なんかも女性的な細さではあるものの、よくみればハリウッドのモデルのような代物だ。

 

 だが、サンドバッグ状態のマルコルフはその連続攻撃に耐えていた。

 スタニスラーヴァより頭ひとつほど体がデカいのもあるだろうが、あの物理攻撃力に耐えられるとか……鍛えられた人間って、ほんとうにすごいのな……。

 俺だったら、たぶん元の姿でも一撃で悶絶するぞ。


 そんなことを考えていると、当のマルコルフと目があった。

 スタニスラーヴァは俺に背を向けているせいか気づいていないようである。


 すると、マルコルフは何を思ったのか俺にむかってニカッと笑い、こっそりと親指を立てた。

 なんでサムズアップ?

 その前に、このジェスチャーって意味は地球のソレと同じなのだろうか?


 とりあえず悪意はなさそうなので見守っていると……。

 マルコルフは突然スタニスラーヴァの一撃をよけ、カウンター気味にその手を伸ばす。

 そして彼女の腰を抱きよせ、その唇を奪った。


 うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!


 周囲の野次馬共ががどよめき、スタニスラーヴァの白い肌が真っ赤に染まる。

 すわセクハラか……と思いきや、スタニスラーヴァはまんざらでもない様子。


 なるほど、お前らってそういう関係なのね。

 しかも、主導権がマルコルフにあると見た。

 正直、かなり意外だ。


 へにゃへにゃになったスタニスラーヴァの唇をちゅっちゅと音をたてつつ丁寧に攻略しながら、マルコルフは俺に向かってはやく行けとばかりにシッシッと手をふった。

 へいへい、お邪魔虫は退散しますよーだ。

 くそっ、いろいろと差を見せ付けられた気分だぜ。


 そんなわけで……マルコルフの癪に障るサポートの甲斐あって無事に冒険者ギルドを出た俺は、地図を広げて万神殿を目指すことにした。

 ギルドマスターからもらった地図はところどころ建物をかたちどったかわいい絵がついていて、とてもわかりやすい。

 見た目に反して、なかなかお茶目な仕事をするオッサンである。


 そこから先は特にトラブルもなく、俺は万神殿らしき場所に到着した。

 万神殿は白い大理石のようなものでできている簡素な建物で、そういわれなければ素通りしてしまうであろう印象の薄さである。


 入り口は開けっ放しになっており、入り口には見張りはおろか管理人すら見当たらない。

 もしかしなくとも、この町は神への信仰が薄いのだろうか?

 智の神の神殿は存在しないとか言っていたしな。


 中にはいると小さな神の像がいくつも壁に並んでいるものの、規模的にはただの礼拝堂といった感じである。

 床はうっすらと土ぼこりに覆われており、しばらく掃除がされた様子は無い。

 ほとんど礼拝にくる人間もいないのか、中には誰一人いなかった。

 ひょっとして、地図を見間違えて別の場所にきてしまったのだろうか?


 だが、神殿としての機能はちゃんと動いているらしい。

 壁沿いに収められた小さな像の一つ一つから、俺は不思議な力を感じとっていた。


 いくつもの神像をひとつずつ確認するかのように、俺は壁際を歩く。

 その中に覚えのある気配を感じて、俺は立ち止まった。


 ――これが智の神の像?

 目の前にあったのは、穏やかな笑顔を浮かべた若い男の像である。


 その像の前に立った瞬間、目の前が白一色の世界にかわった。

 気が付くと二メートルほど前にテーブルがあり、一人の男が座っている。

 間違いない……智の神だ。


「やぁ、ずいぶんと苦労をかけたようだね」


「ひどい目にあいました。

 まったく……こんなハードな業務だとは聞いてませんが?」


 口調を仕事用に改め、俺は智の神に皮肉を投げつける。

 相手の力を考えると言わないほうがいいのは百も承知だが、言わずにはいられなかった。

 それに、たぶん智の神はこのぐらいで怒るほど器の狭い相手ではない。

 案の定、智の神は苦笑するような波動を撒き散らした後、優しい言葉づかいで謝罪をのべた。


「すまなかったとは思うが、なにぶんこちらとしても突発的なことでねぇ。

 まさか、あんな愚かなことをされるとは思ってもみなかったよ。

 君の窮状についても把握していたが、途中までは思った以上にうまくやっていたようだし、手を出さないほうがいいように思えてね」


「たしかに、途中まではけっこう順調だったと自分でも思ってます。

 あの妖怪さえでてこなければ……」


 思い出しただけではらわたが煮えくり返る。

 しらずと奥歯がギリッと音を立てた。


「あぁ、妖怪……ね。

 実に不幸なことだったよ」


 なぜだろう?

 智の神は笑っているような気がした。

 人の不幸を笑うタイプには見えなかったのだが、意外である。


「あの時点で助けの手を入れてもよかったんたけどねぇ。

 神である私が君を直接助けようとすると、世界に多大な爪あとを残しかねないんだ。

 まぁ、結果的に君はほぼ自力で切り抜けてくれたので、こちらとしては非常に助かったよ。

 もっとも、昨日君が窒息死しそうになったときはちょっと覚悟したがね?」


 ……見ていたのか、神よ。

 できれば、あの痴態は忘れてほしい。

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