現代ファンタジー

1850:閻魔さまとの巡り会い・前(18歳くらいに書いた話)


 死にたい。死ねない。


 人は死んだらどうなるのだろう。


 天国とか地獄に行くのだろうか。


 地獄。


 悪いことをした人間が行く所。


 自分はきっと地獄に行くのだろう。


    ◆     ◆     ◆   


 日が傾きかけた夕方四時。人通りの少ない川沿いの細い道をゆっくりと歩きながら、**は息を吐いた。季節は冬。吐く息は白く寒々しい。一月下旬の冷たく吹く風は、前髪と右肩に流れる一本のみつあみを揺らしている。**は制服の上に着たコートのポケットに両手を突っ込み、俯くようにして黒いマフラーに顔をうずめた。


 受験を控えた**にとって憂鬱しかない日々は坦々と過ぎていた。**が通う高校は公立の進学校で大学進学は当たり前。**も地元の国立大学を受験する予定だ。合格する保証はない、むしろ不合格の可能性の方が高い気さえする。だが私立に行くつもりもなかった。


 **は立ち止まり川を見つめた。お世辞にも綺麗とはいえない川にはいくつか枯れ葉が流れている。今日の水深は浅く、底が見えている。年齢の割に背が低くかなづちである**も、川に落ちて溺れることは無いだろう。深いときは別だが。


 **は憂鬱な気分をぶつけるように足元にあった石を蹴った。思いがけず勢いよく川へ飛び込んだ小さな石が水に触れると同時に、川からはピシッと氷が割れるような音がした。


    ◆     ◆     ◆   


「お前何してくれてんの?」


 突然の声に驚き振り向くと、長身の男性が立っていた。髪はうっすらと赤く、顔は不機嫌そうに歪んでいる。細身の黒いスーツをまとったその姿はチンピラのようだ。横には二人の女性もいる。**は動揺で鼓動が速くなるのを感じた。足がすくみ、先程まで気にするほどではなかった胃の痛みが増す。


「……えっと。何とはなんのことでしょうか?」


 恐る恐る尋ねる**に男は端的に答えた。


「水鏡。扉にしてたのにお前のせいで壊れた」

「はいっ?」


 新手の詐欺か宗教の勧誘だろうか。よくわからないが面倒な事になってしまったらしいことは理解できた。


紅浄くじょう。ちょっと様子みてこい」

「はい」


 くじょう、と呼ばれた丈の短いスカートを履いた女性は、茶色い髪を風になびかせながら躊躇いもなく柵を越えて川へ入っていくと、白く長い足でざぶざぶと川をかき回した。冷たくないのだろうか。


「完全に消えてますね。水とは相性が悪いので私達では修復できません」


 川の中からもう一人の女性を切れ長の目で一瞥してそう報告する。


「そうか。よし赤浄せきじょう、捕獲」


 チンピラ男は短く答え**を指差し、横に立っていた女性に告げた。おっとりした雰囲気とは違って無地のセーターにジーンズというカジュアルな格好をした女性は、静かに**の元へ歩み寄ると小さく「失礼します」と言い、左腕をがしりと掴む。力が強い。逃げられそうにない。


「……誰」


 **は全身から冷や汗が出るのを感じながら男に尋ねた。


「俺? 地獄の番人閻魔さまだけど?」


 得体の知れない男はそうドヤ顔で言い放った。


 理解できない。


    ◆     ◆     ◆   


 お父さんお母さんごめんなさい。早くも地獄送りになりそうです。


 **は川の近くにある公園のベンチに座ったまま頭をかかえていた。隣には自称閻魔も長い脚を見せびらかすかのように組んで座っている。


 寂れた雰囲気のある公園には二人以外誰もいなかった。先程までベンチの前に立っていた二人の女性は、閻魔の「先に帰れ」という一言に批難するような目線だけを残して一瞬で姿を消した。


 **は非現実的な光景にただただ呆然とするしかなく、逃げる気力も失せてしまっていた。


「水鏡を壊した代償だ。魂探すの手伝え」

「……嫌です。私忙しいので」

「却下。手伝え」


 **達は何度目かわからない応答を繰り返した。


 閻魔はとっくに死んでいるのに地獄に来ていない人間の魂、厳密に言うと人間だった魂を探しに来たと言ったがにわかには信じがたいし普通は信じないだろう。そう。普通の人間なら。


「お前信じてないだろ」


 閻魔は面倒くさそうに深いため息をついた。ため息をつきたいのはこっちだと思いつつ不満げながらも**は律儀に答える。


「初対面でチンピラみたいな怪しい人が言うことなんか普通信じませんけど、信じようとはしてますよ」


 「サンタと人間以外は信じる主義なので」と、**は小さく言い添えた。神様は信じられるのだがサンタは信じられなかった。煙突はさすがにない。時代というか、文化錯誤も甚だしい。


 では、人間は?


 人間は、いつから信じられなくなったのだろうか。初めて人間を疑い、不信感を抱き、恐怖したのはいつだったか。**は目を伏せ、記憶を呼び起こしていく。きっかけはいくつもあった筈だ。



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