現代ドラマ

1035:僕の同居人はブラックコーヒーを飲まない。


「楽しい?」


唐突な問いを口にしつつ、白いマグカップを手にした同居人が部屋に入ってきた。マグカップからは湯気がたち、淹れたてらしいコーヒーの香りが漂う。


丁度頭と手を休めてぼんやりしていたところだった。僕の同居人はいつもタイミングが良い。


「小説を、書くこと?」


「そう。楽しい?」


「楽しい……。どうだろう?」


歯切れの悪い答えを返すと、同居人は不満そうに問いを重ねる。


「楽しくないの?」


「楽しくない……。わけではないのかな?」


再びの歯切れの悪い答えに眉をひそめ、同居人は持ってきたコーヒーを一口飲んだ。苦かったのか顔をしかめる。


そのマグカップ僕のなんだけどな、と思いつつ考えを巡らせる。


小説を書くことが楽しいとか、楽しくないとか、そういうことをあまり意識したことがなかった。僕が小説を書いているのは、ただ、ただ、湧き出てくる物語を文字に起こしているだけだと思っている。



……それも少し違うだろうな。



僕が、小説を書く、純粋な理由。


君が、続きを読みたい、と、言ったから。


不意に何処かに行ってしまいそうな君が、僕が小説の続きを書いている限り、僕のそばで生きていてくれるんじゃないか、って、勝手に思っているから。


そう、身勝手に、信じているから。



「それ、くれないの?」


いまだ温かそうな湯気が出ているマグカップを指差して僕は問いかける。そのマグカップは同居人の物ではない。同居人のマグカップは青い。


「飲みたかったらリビングまで来なよ」


同居人の言い方は素っ気ないが、ひとりでリビングに戻ろうとはしない。僕が動き出すのを待っているようだ。


「そうだね」


原稿を保存し、パソコンをシャットダウンして立ち上がると、同居人は僕より頭ひとつぶん背が低くなった。同居人は一度だけ僕を見上げ、さっさと部屋を出ていく。


部屋の電気を消す。


「ねえ。さっきの質問の答えだけど」


開けっ放しにしていた部屋の扉を閉めながら、廊下に立って僕が出てくるのを待っていた同居人に話しかける。リビングから漏れてくる光の中、同居人はマグカップの中の揺れるブラックコーヒーを見つめて、静かに言葉の続きを待っている。


ああ、そのマグカップはやっぱり僕のために持ってきてくれたんじゃないか。


「小説を書くこと、ね、全く楽しくなかったら、こんなに続かないと思うよ」


全く楽しくなくなっても、僕は、君と一緒にいたい僕のために、小説を書き続けるけれど。

と、心の中で付け足す。


「……そう」


やはり同居人の言葉は素っ気ないが、安心したような顔をして少し微笑んだ。



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