三
お兄ちゃんはまだ帰っていないはずだ。
家へ着いて真っ先にガレージを覗けば、思った通りオートバイは見つからなかった。
夕ご飯を作っているうちは薄まっていた怒りが、居間で待ちぼうけしているあいだにふつふつとよみがえってきた。
どうしてお兄ちゃんはああなんだろう。幾度となく繰り返してきた疑問だ。そして、永遠に答えの出ない疑問だというのもぼくはわかっている。
ああなのが「篠原豪」という人だからだ。自分もまだ成人してないくせに、ぼくを子ども扱いして勝手なことをする。
そんなふうに悶々としていたとき、お兄ちゃんの帰ってくる派手な音がした。
乱暴に玄関を閉める音。カバンを放り投げる音。廊下をどたどた歩く音。
ぼくは居間から飛び出して、台所の入り口でお兄ちゃんを掴まえた。
「お兄ちゃん!」
「なんだ、帰ってくるなり。恐ぇ顔しちゃって。ああ、寒ぃ。ストーブ、ストーブ」
ぼくの制止を簡単に無視して、お兄ちゃんはいかにも寒そうに身を縮めると足早に鴨居をくぐった。居間を突っ切り、となりの八畳間にあるファンヒーターの前で陣取る。
その後ろ姿をぼくは追いかけた。
「お兄ちゃん。きょうね、ゆかりさんに会ったよ。いろいろ話もした」
「へえ」
「へえって、それだけぇ? お兄ちゃん、余計なことはやめとけってぼくには言って、自分はちゃっかりおせっかいしてるじゃん。しかも、ぼくにはそのこと黙ってて」
「結果的にうまいこといったんだから、いまさらもういいだろ」
ファンヒーターのほうを見たまま、お兄ちゃんは吐き捨てるように言う。
「ほんと、めんどくせえヤツだな」
ぼくは言葉を呑み込んだ。
歯噛みしてただ黙っていたら、自分でもよくわからないけど涙が込み上げてきた。
お兄ちゃんへなにも言い返せなかったから悔しかったのかもしれない。ゆかりさんと善之さんのことは共有している問題だと思っていたのに、ぼくの知らないところでお兄ちゃんが解決していたから、裏切られたような気持ちもあったのかもしれない。
「つうかさ──」
言葉を切り、お兄ちゃんはこっちを振り返ろうとした。
涙なんて見せたらますますバカにされると思って、ほくはとっさに背を向けた。
そのまま居間を出ようとしたけど、今度は善之さんが帰ってきて、その大きな体に阻まれた。
「寒ぃ。ストーブ、ストーブ」
お兄ちゃんと同じことを言っている。
善之さんは冷たい風を起こしてぼくの脇をすり抜けると、ファンヒーターの前のお兄ちゃんを押しやるように自分もあぐらをかいた。
「んだよ、うぜえ。あとから来たもんは後ろに並べ」
「ここは年功序列だろ。お前こそ後ろに行け」
そんなことを言い合いながら、押し合い圧し合いをしている。
二つの背中を見て、ぼくはふと考えた。
お兄ちゃんは、ゆかりさんのことで立ち回っていたことを、たぶん善之さんにも話していないと思う。
善之さんも、ゆかりさん経由では耳にしているかもだけど、お兄ちゃんからは聞いていないと思う。
ぼくは鼻をすすった。
お兄さんたちは仲がいいのか悪いのか、本当に判断がつかない。こういう後腐れのない感じが、この人たちのいいところだというのはなんとなくわかっている。でも、ぼくには理解できないところがまだまだ多くて困る。
そんな二人のじゃれあいはいつの間にかヒートアップして、プロレスにまで発展していた。
襖や障子が鳴る。
もう泣いている場合じゃなかった。ぼくは涙を拭うと、慌ててファンヒーターを避難させた。
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