二
でも、今度いつ会えるかわからないし、このままうやむやにして帰ってももやもやするだけだ。
どうして高校を中退したあと行方知れずになっていたのか。
睨みを利かせているお兄ちゃんの顔を浮かべながら、ぼくは恐る恐る訊いてみると、近くの喫茶店へ、ゆかりさんは誘った。
アーケード街にあるお店だ。次郎さんのケーキ屋さんと同じくレンガ造りで、こっちは色や佇まいが重厚だから、ぼくが入るにはまだ早いと敬遠していたところだった。
「きょうはわたしのおごり」
「でも……」
「いいから、いいから。わたしも人夢くんにいろいろ聞いてもらいたいんだ」
ゆかりさんはそう言って、ぼくの前にメニューを広げた。
夕方の中途半端な時間だから人はほとんどいない。狭いお店の内装は、外観に伴って歴史の感じられる沈重さがあった。
カウンターの向こうにいるいわゆるマスターと呼ばれる人も、白い髭のあるおじいさんだ。
ぼくはホットレモンティーとパンケーキをお願いした。ゆかりさんはホットコーヒー。それらが運ばれてきてからゆかりさんはゆったりと話し始めた。
「恥ずかしい話なんだけど、高校受験は失敗したんだ。ちょっと背伸びしすぎたんだよね。よっしーの狙ってるとこいって待っててやるかと思ってたけどだめだった」
野球もまた一緒にやろうと思っていたのにかなわなかったと、ゆかりさんは目を伏せた。
「でね。よっしーは優しいから、わたしの入った高校に行くとか言い出したんだよね。高校は必ずしも終着点じゃないし、まだ先もあるんだから、お前はお前の道を行けって言ったんだよ。そしたら、いつの間にかケンカになっちゃって。お互いまだ子どもだったから折れることもしないでそのまんま。わたしはなにもかもがイヤになって、学校も辞めて、この町からも出たんだ」
コーヒーを飲むの一つとっても、ゆかりさんにわざとらしい動作はない。顔も背格好も、見れば見るほど女の人だ。
けど、話し方の端々に名残のようなものが感じられる。
喋り方でゆかりさんの正体に気づいたというお兄ちゃんの言葉が、ぼくにも少し頷けた。それと、善之さんはぜんぜん気づけなかったというのも。
きっと善之さんはピンポイントで見てなくて、ゆかりさんその人を意識していたんだ。
「女の人にはどうしてなろうと思ったんですか?」
「願望はむかしからあった気がするんだよね。よっしーと出会って、それが強くなったって感じかな。でも、そんなことだれにも言えないし。……ねえ、人夢くん。それおいしい?」
それまでとっても表情の暗かったゆかりさんが急に笑顔を作った。ぼくの手元を指さす。
「あ、食べますか?」
「ううん。いいよ。人夢くん、ぜんぶ食べて」
ゆかりさんはもっと微笑う。
「でも、ぼくはよくわかりません」
「うん?」
「いまの言葉を聞いてると、ゆかりさんは善之さんのことが好きみたいだし、善之さんも──」
「うん」
「なのに、どうして善之さんをふっちゃったんですか?」
切り込みすぎたかもしれない。
だけど、ぼくの気になることはすべて訊こうと腰を落ち着けたんだ。それに、これが一番知りたかったところだ。
ぼくはフォークを置き、テーブルへ身を乗り出すように前のめりになった。
「普通じゃないからだめなんですか? でも、自分はあのときの小寺さんだってことは伝えたほうがいいですよ。だって、善之さんもずっと小寺さんのことを気にしてたと思います。たとえどんなことがあっても、むかしと違っても、善之さんは小寺さんに会いたいと思っているはずです。……善之さんは、中学のときの写真をいまも大事にデスクに飾ってるんです」
ゆかりさんは、ただ黙ってぼくを見つめている。
なぜだか勢いをそがれ、ぼくはテーブルに置いた手を膝の上へ引っ込めた。我に返ってもみる。ずいぶんと踏み込んでしまった気がする。
「……ええと。すみません」
「ううん」
ゆかりさんは首を横に振った。コーヒーを一口飲んで、目を細める。
「よっしーは幸せだよ。ほんと。いい弟くんたちを持って」
「え?」
「人夢くんのお兄ちゃんは肝心なところを言わなかったみたいだね」
ぼくは目をぱちくりした。
「わたし、よっしーにぜんぶ話したんだ。きみのお兄ちゃんにいろいろ言われたから」
「いろいろ──?」
「黙ったまま去るなんて独りよがりもいいところだ、とか。善之がうざいくらい落ち込んでるからなんとかしろ、とか。写真のことも聞かされた」
口は開いたけど、言葉なんて出てこなかった。
それでも気を取り直して、いつの話かとゆかりさんに訊いたら、お店を辞める前のことだと言った。
お兄ちゃんがお店へ行った日だ。
……そういえば、ママさんから話を訊いたあとゆかりさんとも話をしたと言っていた。ゆかりさんは小寺さん本人だと確認したというのも。
それを聞いたぼくは、二人をくっつけるためになにかしてあげようと提案した。けどお兄ちゃんは、でしゃばるなと忠告みたいなことを言ったんだ。自分はもうおせっかいをしていたくせに。
ぼくは口を尖らせ、店内にある時計を見た。もう五時を回っている。
心配そうにぼくを見るゆかりさんに、そろそろ帰らなきゃいけないことを告げ、残りのパンケーキにがっついた。レモンティーも飲み干し、お礼を言うと慌ただしくお店を出た。
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