五
うそだと笑い飛ばしたかったけど、お兄ちゃんの目は真剣そのものだ。不用意に笑ったら、本物のパンチが飛んできそうだった。
お兄ちゃんはおもむろに立ち上がる。
「俺はゆかりさんにも会って、それをきちんと確かめてきた」
「じゃ、じゃあ、自分が善之さんの先輩の小寺さんだってゆかりさんは認めたんだね」
「ああ」
だからゆかりさんは、善之さんにごめんなさいと言ったんだ。
善之さんのいるお店で働くことになった時点で、小寺さんだとバレる覚悟があったんじゃないかと思えるけど、偶然の出会いかもしれないから一概には言えない。
それにしても、ゆかりさんが男の人だったなんて……。いまはどこからどう見ても女の人にしか見えない。
前にテレビで見たそういう人は、どうしてもむかしの形が残っていた。肩幅があったり、どことなく顔がごつかったり。でもゆかりさんは、女らしく柔らかい面立ちをしている。
整形したのかもしれないけど、そうは見えない自然な感じもある。
ぼくは、ハチコウの学園祭で会った瀬尾さんを思い出した。瀬尾さんも完ぺきに女子になっていた。高校生で整形なんてあり得ないから、そういう男の人も中にはいるってことなんだ。
「ちょっと待って。お兄ちゃん」
はっとなって、ぼくは勢いよく腰を上げた。
「ゆかりさんが小寺さんだということ、善之さんは知らないの?」
「知らねえと思うよ。そのことはママとマネージャーにしか明かしてないって、ゆかりさんは言ってたし」
「でも、むかしから知っていた人なら薄々気づいてるんじゃないかな」
「いや、あいつはそういうとこ疎いから気づいてねえと思う。外見なんて気にしない。女はフィーリングで選ぶものだとか言うタイプだから」
「お兄ちゃんは気づいたのに?」
「あ?」
「だってお兄ちゃん。最初はすっぴんのゆかりさんをホステスのゆかりさんだって信じなかったじゃん」
さすがにそれはばつが悪そうに、お兄ちゃんは頭を掻いた。
ぼくはちょっと胸を張ってみる。
「てか、俺は喋り方で気づいたんだ」
「喋り方……?」
「あのゆったりとした感じ。癒し系的な」
「だったらなおさら善之さんは気づいてんじゃないの。そんなに特徴的な喋り方するなら、見た目重視じゃない人のほうが気づくと思う」
お兄ちゃんは舌打ちすると、めんどくさそうにまた顔を歪めた。
「とにかく。善之は気づいてないってゆかりさんも言ってんだ。大体、気づいてんなら、あいつの性格上、本人にとっくに確かめに行ってる。お前ってさ、変なとこ理屈っぽいよな」
「あ、でもでも。考えてみたらそういうフィーリングを大事にする善之さんだからこそ、ゆかりさんにまた惹かれたのかもしれないよね」
「は?」
「善之さんはたぶん、中学時代も小寺さんのことが気になっていたんだと思う。ほら、デスクの上の写真。いま気がついたんだけど、その一枚の善之さんのとなりにいた人。あの人が小寺さんでしょ?」
間を置いてから、お兄ちゃんは頷いた。
ぼくは続ける。
「中学のをいまだに置いてるってことは、それは善之さんにとって、とても大事な思い出だってことだよ。……当時は男同士だったし、それが特別な思いとは気づけなかったんじゃないかな」
お兄ちゃんが珍しく、困惑したような表情をして視線を曲げた。
そんなに変なことを言っただろうかと反芻して、ぼくはうろたえてしまった。
中学生、男同士、特別な思い。まるでぼくと勇気くんのことを告白したみたいで、一気に青くなった。
しどろもどろになりながら、なんとか話を続ける。
「ね、ねえ。お兄ちゃん。だったら、ぼくたちで二人をなんとかしてあげようよ」
「……なんとかってなんだ」
「具体策はこれから考えるとして──」
「そんなんやめとけ。お前はあれだ。自分で直せると思って分解してみたのに、いじればいじるほど事態を悪くしちゃうタイプだ」
それがあながち間違いじゃないから、ぼくはむきになった。
「お兄ちゃんだって二人のことが気になったから、わざわざお店へ行ってママさんに会ったり、ゆかりさんから話を聞いたりしたんでしょ?」
「俺は、ただゆかりさんの正体をはっきりさせたかっただけだ」
ぼくが口を尖らせると、お兄ちゃんはますます困ったという顔をする。
ぼくは拍子抜けした。
それでもお兄ちゃんはなにかに気づいたように目を三角にすると、ぼくにもう一度釘を刺して二階へ上がっていった。
お兄ちゃんの態度は、途中から明らかにおかしかった。
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