二
「さすがの善之さんも絶対怒るよ」
ぼくが注意したところでやめないのはわかっていたけど言わずにはいられなかった。
ゆかりさんを送っていったと思うから、善之さんはしばらく帰ってこないはずだ。でも、やっぱり気が気じゃなかった。階段とお兄ちゃん、交互に目をやった。
お兄ちゃんが手を止めて振り返った。善之さんのデスクを見ている。
黒のスタイリッシュなデスクにはノートパソコンと写真立てが二つ置いてある。その写真立ての一つを手にすると、お兄ちゃんは見つめた。
ちょっとぼくも気になって後ろから覗いてみた。
五、六人の集合写真だ。全員が男の人。中学か高校のときの写真だと思う。善之さんはずっと野球をしていたって聞いたし、ユニフォームではないものの、そのチームメートかもしれない。
もう一つはもっと大勢で写っているものだった。善之さんは控えめに後ろの端にいた。
ぼくらの沈黙を割くようにドアが音を立てた。
揃って振り返る。案の定、善之さんが立っていた。
さすがに怒鳴るだろうとぼくは構えていたけど、善之さんの目はどこか力がなかった。
というか、ゆかりさんはどうしたんだろう。送っていったにしては帰りが早い気がする。
「なんだ。もう帰ってきたのかよ。もしかしてフラれちゃったとか」
お兄ちゃんはにやにやしながら写真立てをデスクに戻した。
善之さんの目がかっと見開く。
お兄ちゃんは、あくまで冗談のつもりだったらしく、にわかに流れ出した笑い事じゃない空気に驚いていた。
「はっ、ガチか」
「お兄ちゃん!」
ぼくは、善之さんの顔が本気の怒りに変わる前に、お兄ちゃんの腕を引いて部屋を出た。
閉めたドアの向こうから、思いきりどこかを蹴った尋常じゃない音がした。
温厚な善之さんが激昂している。
ぼくらが勝手に部屋へ入ったせいもあるし、お兄ちゃんのツッコミが的を射ていた証拠でもある。
そのお兄ちゃんが、ジーンズのポケットから携帯を出し、どこかへかけ始めた。話しながら自分の部屋へ引っ込む。
ぼくは階下へ着くと首をひねった。
ゆかりさんをどこかで見たことがあると言っておいて、お兄ちゃんは善之さんの部屋でなにを探していたのだろう。ゆかりさんとはあのお店で初めて会ったと、善之さんは言っていたんだ。
善之さんとゆかりさんのこともぼくにはわからない。
善之さんはゆかりさんを好きなんだと思う。さっきはあんなに嬉しそうにしていたし。
ゆかりさんも、プレゼントまで持ってわざわざうちへ会いに来た。
それなのに、どうして二人はうまくいかなかったのだろう。
夜、ベッドへ入ってからも、ぼくはあれやこれやと考えていた。
そんなにもホステスとバイトというのは大きな壁なんだろうか。男の人と女の人なんだし、ぼくと勇気くんほど、とてつもない障害ではない気がする。
それでも大人には大人の、子どもにはわかり得ないなにかがあるのだろう。
なぜだか、勇気くんの顔が急に見たくなった。声も聞きたい。
しかし夜も更けたいま、おいそれと会えるわけもなく、やはり自由の利く大人はいいなと思った。
翌日の学校での休み時間、いつものように本を読んでいると勇気くんから呼ばれた。
屋上への開かずの扉の前だ。なにをするのかと内心どきどきだったぼくに、勇気くんは意外なことを言った。
「ゆうべ、豪さんから電話をもらったんだ」
「え?」
「豪さんがおれに電話してくるなんて初めてだから、ちょっとびっくりしちゃって。なにか聞いてる?」
ぜんぜん話が読めない。ぼくは首を傾げてから横へ振った。
勇気くんは口の中でそうかと呟き、坊主頭を掻いた。
思えば、ゆうべお兄ちゃんは携帯でどこかへ電話をしていた。
だったら、あれは勇気くんにかけていたのかもしれない。
でも、やっぱりよくわからない。どうしてあそこで勇気くんに電話する必要があるんだろう。
つい黙り込んでいたら、勇気くんが弁明するように言った。
「いや、大したことじゃないんだ。おれの知り合いの人に兄弟はいるか、いまなにをしているかわかるかって訊いてきて──」
「うん」
「ただ、善之さんのほうがその人のことをよく知っているのに、なんでわざわざおれに訊いてくんのかな……って。もしかしたら、豪さんと善之さんのあいだでなにかあったのかと思ってさ」
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